初雪

「私、母様に似ている?」


「ああ、とても」


「父様のことは?」


「すまぬが、知らぬ」


 興味もない、と言いたげな朝陽に知らずに笑いが漏れた。朝陽は、母様と私をとても大切に想ってくれていたのだろう。


龍庭ロンティンの夏を守れなかった時に、誰よりも雪花シュエファの身を案じた。が、我が妻として社に来ることを知り、嬉しいと思ったのも事実だ。幼き日に我が神力を受け入れた雪花ならば宝珠を取り戻す事ができる、そしてまた一緒に暮らせると。其方には、なによりも辛い事だったのにな」


 すまない、と頭を下げる朝陽に胸が締め付けられる。


「花嫁となる娘が、他の娘だったら?」


「雪花の神力は、幼き日に私が与えた者。他の娘に与えることは出来ぬ。他の娘であれば宝珠を取り戻すことは出来なかった。その時は、自らの力で雪花を守っただろう」


 それは、朝陽自身で宝珠を取り戻すということ?それでは黒龍様の命は?黒龍様よりも、私を?

 

「我は雪花の生ある限り、雪花の夫となろう」


 私の、生ある限り?ええと。龍は人とは寿命が違う。だから、私が死んだら他の妻を娶る?

 いや、それ、目の前で言ったら、駄目じゃないの? 

 今までの感動が、ちょっと薄れていくのがわかる。


朝陽チャオヤン、それって、私には黙っていた方がいいんじゃないのかなぁ?」


「なぜだ? 雪花がもう一度生を受けても、私はまだこの世にいるのだぞ」


 心底不思議そうな顔をされた。まあ、永く一人は、寂しいよね。気持ちは、わからなくもないですが。


「私、きっと龍庭ロンティンの近くに生まれてくる。だから朝陽、私を見つけてね。新しい妻ができていたとしても、一度でいいから私を見つけてね。幸せだって、教えて欲しい」


「ああ、必ず」


 言葉と同時に、私の身体は朝陽の胸に押し付けられた。あれ?あれ? 

 心臓は早鐘のようになり、血が激流のように身体をめぐるのがわかる。

 これ、どうしたらいいのだろう。

 少しの間、私を抱きしめていた腕はゆっくりと離れていった。火照った顔では、朝陽を見上げることすらできない。


「一度、人の世に残るがいい」


「人の世に、残る?」


「雪花。私は雪花の夫だ。だが、私の妻になるかは、雪花が決める事。人の世を捨て龍の妻となるか、人として暮らすのか、ゆっくりと決めるがいい」


「え、と?」


 朝陽は夫だけど、私は妻じゃない?意味が分からない。

 困惑する私に、朝陽は笑った。


「わからねば、よい。身体を厭えよ。社へは、いつでも遊びに来るといい。私は、雪花の生ある限り、雪花の夫だ。雪花が私の妻とならずとも、いつでも迎え入れよう」


 クツクツと笑い、私の頬を撫でるその腕は、優しく暖かい。その腕に手を伸ばそうとした途端、目の前から急に消えてしまった。話、終わってないんだけど。龍神様って、ずるい。


 雪の気配が近づく頃には、私の身体はすっかり良くなっていた。

 去年と同じように村長を手伝い、庭の木の雪囲いをこなしていく。美羽の桜の木は、村長がお酒をかけてから丁寧に囲う。もう、そこに朝陽は居ないのに。


 風が吹くと、風鬼さんを思い出す。

 雨が降ると、黒龍様を思い出す。

 穏やかな日差しを見ると、朝陽を思い出す。

 会いたい、な。あの優しい手に触れてほしいと、思う。

 それは、妻になりたいということだろうか。


 陽の当たる庭を見てぼんやりしている私の横に、珠樹が座った。


「もうすぐ、雪がふるなぁ」


「うん」


「朝陽に、会いたいか?」


「うん」


 でも、それが妻になりたいという事なのかは、わからない。


「雪花が、会いたいと思うなら、また会えるだろ」


 いつかの紫陽さんと同じ言葉。私が会いたいと思っても、いいのだろうか。


 朝、目が覚めたら庭は真っ白に変わっていた。

 初雪だというのに、足首まですっぽりと埋まるほどの雪。積もった雪が風にさらわれ、空に踊っている。

 雪の中、振り返ることもなく去っていったいつかの記憶がよみがえる。ずっと、雪が嫌いだった。

 どれだけ泣いても叫んでも、戻ってきてはくれなかった。でも、私が自ら追いかけたら?


 心優しい龍は、どんな気持ちで雪を見ているのだろう。一緒に雪が見たいと思った。


「雪花?」


 不安そうに私を見る珠樹の手が頬に触れた瞬間、何かが胸に落ちた。


「ごめん、珠樹」


 触れてほしいのは、珠樹ではない。


「私、やっぱり龍神の妻になる」

 


 珠樹と一緒にいたいと思った。他の娘が珠樹の横に並ぶことを、嫌だと思った。誰よりも、珠樹に生きて欲しいと思った。それは、本当の気持ち。これからも、珠樹が暮らせなくなるようなことがあれば、私は何を置いても守るだろう。


 でも、今は朝陽に会いたい。あの優しい腕に、触れたいと思う。

 私は、供物ではない。自らの意志で龍神の妻となるのだ。



 寒さの為何枚もの着物を重ね、足には藁で編んだ長靴。村長からの祝いの酒は重く、社に着くころにはすっかり息は上がり、とても嫁入りとは思えない姿だ。これなら、供物としての嫁入りの方が、よっぽど花嫁らしい。それでも。


「朝陽!」


 雪に響く私の声に、朝陽は嬉しそうに社の扉を開けてクツクツと笑っていた。

 息の上がった私の手を取り、胸に抱く。


「初雪だ。愛しい妻と見たいと思っていた」


 はい。私も、そう思いました。

 どのくらい、降り積もる雪を眺めていただろう。不思議なことに、少しも寒さは感じない。

 寒くて、静かで、泣きたくなるほどの真っ白な世界が、今はとても明るく感じる。

 どれだけ泣いても、帰ってきてくれなかった背中は、今私の側にある。

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龍神の妻が春を呼ぶ 麗華 @kateisaienn

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