闇を照らした光
雨が勢いを増し、雷が地を襲う。
「
心配そうに私を向く緑の瞳。それすらも何故か悲しくて、私の頬を伝うものは雨だけではなくなっていた。
「わからないけど、悲しい。紅河も、紫陽さんも、悲しんでいるような気がする」
「……紅河は、紫陽の息子だ」
息子?紫陽さんの?あの二人は、親子なの?
「詳しく知っている訳ではないが、紅河は幼き頃より父である紫陽よりも強い神力を持っていたという。それを知った帝が紅河を欲し、国の神官であった紫陽は帝の命に逆らえなかった。だが、幼い紅河にとっては、ただ一人で闇の中に放り出されたようなもの。求められるは、帝を守るための呪術、他者の呪術返し。帝の敵たる者を貶める事。幼き紅河は、命を奪うために神力を使う事に慣れるよりほかはなかった。己を帝に差し出した後、住んでいた地を捨て自由に生きる紫陽にどんな想いを抱いていたのだろうな」
紅河は、紫陽さんが私を助けに来ない事を知っていると言った。でも、そう言った時の紅河は、痛みをこらえていた。何も知らない私にも伝わるほどの痛み。本当は、まだ紫陽さんを求めている。紫陽さんも、一人で紅河を止める事など出来るはずがないのに、止めようとした。二人とも、一緒に死ぬことを願っているのだろうか。
駄目だ、このままじゃ駄目。どうしたら、紅河の痛みをやわらげられる?
「朝陽。私、紅河と話がしたい。できれば、二人で」
「……何を話す?わからぬか?其方の力が通じる相手ではない」
柔らかい口調だが、きっぱりとした拒絶。考えなしの私に怒っていることが、伝わる。そうだよね。朝陽のいう事、わかるよ。でも。
「力が通じないのはわかっている。紫陽さんの弟子である私を憎んでいるのも、わかっている。でも、紅河は私を直接傷つけることはしなかった。話は、出来ると思う」
弱い者を切り捨てる冷たさはある。でも、逃げる者を追うことはしない。むしろ、逃げろと言ってくれる。逃げれば、追わずにいてくれるのだろう。
それは、傷つけたくはないという事。闇の中にいながらも、紅河が失う事のなかった優しさ。
「紅河と、話がしたい」
龍の口から、地を這う様な低い唸り声が聞こえる。でも、その瞳は、怒ってはいない。
「紅河と其方の周りに結界を張ろう。紫陽の神力は雪花にも紅河にも届かぬ。だが、紅河の神力は弱まりはするが、其方にも届く。それでも、良いか?」
「ありがとう。充分です」
「今の私では、結界を長い時間は保てない。結界が崩れた後、其方を守り切る自信もない。それでも?」
「はい」
「……行け。其方の声が紅河に届いたとき、結界を張ろう」
ありがとう。朝陽。ゴツゴツとした大きな龍の頭を両腕に抱きしめる。これが最後でも、後悔はしない。
一歩ずつ、紅河に近付く。身体を揺らす激しい雷雨の中、紅河は、身動き一つしない。私が近づく気配に気づくこともなく、真直ぐに紫陽さんを見据えている。
意志を持った雷が、紫陽さんを狙うが結界に阻まれて勢いよく地に落ちる。
「側に来るならば、其方も殺す」
射るような視線。私の側に雷が走るが、当たることは無い。『側に来るならば、殺す』その言葉は、側に来なければ見逃そうという事。やっぱり、自ら人を傷つけることを望んではいない。
「貴方と、話がしたい」
「話など、ない」
私はある。怖いけど、ある。
朝陽、私の声、紅河に届いたよ。
一歩ずつ、歩みを進める。朝陽の結界が紅河の神力を弱め、紫陽さんの神力はもうここには届かない。あれほど激しく憤っていた雷雨も闇に吸い込まれ、静寂が広がっている。
「黒龍様の宝珠は取り戻した。緑龍も、すぐにこの地を離れる。河北の夏は、終わり。これ以上あなたが何をしても、龍の力はこの国の為には働かない」
「だからこそ、この者を生かしてはおけぬ。退け。其方など、どうでもよい」
どうでもいい、ですか。まぁ、どうでもいいですよね。
「紫陽さんを殺すことが、周和国の為?」
「強き神力を持ちながら従わぬ、帝に害なす者だ。疾く、殺しておくべきだったのだ」
後悔と、怒りが入り混じったような低い声。紅河の顔が、一瞬痛みに歪む。
従わないのは、知っていたはず。それなのに自由を与えていたのは、紅河が紫陽さんを求めていたからでは、ないの?
「皇子の情に甘え、殺せずにいた。私は皇子の守り役。皇子が帝となるために、剣となり盾となるが、我が誇り。ここで紫陽を逃がしては、私はもう戻れぬ」
心からの叫びだ。紅河は、心から帝に仕えているわけではない。皇子の為に、龍の力を欲したの?
「紫陽さんは、貴方には従わない。でもこの国の未来が豊かなものであってほしいと願っている。豊かな未来を、共に願うことは出来ないの?」
「……」
呆れかえった、といった表情を見せる紅河。そうでしょうね。私だって、自分が言った言葉がどれほど間抜けかよく分かっている
紫陽さんは、地があるべき姿のままであることを望んでいる。民の暮らしはその地に合わせるものだ、恵まれた季節を過ごす国とは違っても、河北でも穏やかに暮らすことは出来るはず。このままで、国を豊かにする方法があるはずだと信じている。
紅河は、恵まれた季節を持たない河北を切り捨て、実りのある隣国を手に入れる事を望んでいる。この国を強国とすることが、国を豊かにすることと信じている。
では、皇子は?
「皇子とは、どんな方?」
「……心優しきお方だ。人ならざる者と恐れられていた私に、お側に仕えることをお許しくださった。ただ一人、心を砕いてくださった。貧しき民が暮らせぬことにも、心を砕いておられる。だからこそ、この地に夏を呼んだのだ。皇子が帝となるのなら、私はどんなことでもしよう」
皇子へのすがるような忠誠、信頼、感謝、そして愛情が痛いほど伝わる。
「城に上がったばかりの私を、幼き日の皇子は慈しんでくれた。ずっと側においてくださると、私を、生涯の友と呼んでくださった。私は、この命かけて皇子を守ると誓った。他の皇子を退け時の帝となり、皇子の国は他国に脅かされることなき強国へ、永き栄誉を我が皇子に……」
泣いているような、かすれた声。ただ一人で城に上がり闇の中を這いまわった幼い紅河が目に映る。その時慈しんでくれた皇子を、生涯の主と決めたことは、きっと至極当然の事。
皇子の為に、龍の力を欲した。
紅河のしたことを、許すわけではない。間違っていると、思う。でも、闇の中を照らした光を、もっと輝かせたいと思ったのは責める事なのだろうか。
「紅河」
「名を、呼ぶな。我が名を呼んでいいのは、帝のみ」
激しい拒絶の感情が私の胸に刺さる。紅河の闇は、私では祓えない。
何も言葉を紡げないまま立ち尽くす私に、紅河は憎しみのこもった神力を投げつける。限界だったのだろう。朝陽の結界は破れ、抑えられていた神力は強まり、憎しみが煙のように立ち上る。雷が地を貫いた。
それでも、私に雷は当たらない。行き場を見失った憎しみで溢れているのに、それを私に向けることはしない。
私が、紫陽の弟子だから。
「紅河、紅河」
穏やかな声と供に、強い風が紅河を抱いた。
「紅河、罪なき娘を、傷つける気か」
この地を離れたはずの黒龍様に支えられているのは、姉様よりも少し年上だろう男性。その身体から放たれる気配は、気高さと危うさをまとっている。この人……。
「皇子、なぜ、このような地に?」
途端に、紅河の気配が穏やかなものに変わり、風にも近い速さで皇子の側へと走る。
「紅河。私は人ならざる者の力を借りてまで、帝の地位を、強国への道を求めてはおらぬ。帝の地位は、力有る者が手にするべき、国は民の力で強くなるべきだ。そして、私が何より欲するのは、其方の力。龍の力などではない」
「しかし、我が力のみでは、皇子の御身を守り切ることができません。また、あのようなことに」
「其方でも守れぬ時は、天命と思おう。私を守るのは、龍ではなく其方だ」
「しかし……」
「我は、先の帝とは違う。大きな力など求めてはおらぬ。生涯、我に仕えると、我の望みをかなえると、誓ってくれたであろう?約束を、違える気か?」
穏やかで柔らかい声色だが、その中には、強い意志がある。紫陽さんの話に聞いた帝と、この皇子は違う。
この人は、紅河を黒い盾になどしない。
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