夏の終わり

「すまなかった。人が龍の力に及ばないこと、人に龍の力は扱えぬことは、充分に存じている。だが、我に他の皇子を退けて帝となる力、国を守る力が足りず、従者である紅河は焦り龍の力を欲した。全ては、我の力不足。責は、我に」


「……違う。龍神よ、皇子には関わりの無き事。責は、我に」


「従者の行いは、主である我の責」


 穏やかに紅河を見つめる皇子に、紅河はがっくりと膝をつき、皇子の意志を嘆くように何度も何度もその拳で大地を叩く。

 ただ一つの光を守れない事に嘆き、光に責を負わせることを悔やんでいるのだろう。


「皇子よ。紅河は、黒龍の命である宝珠とこの緑龍の守る地の春を奪った。龍の領域に触れるのであれば、この国に未来はない。未来が無いのであれば、其方が帝になることも、ない」


 朝陽の声が、低く響く。皇子は、庇うように前にでようとする紅河を制し、無言のまま膝をつき頭を下げる。その姿は、忠誠を誓う従者のよう。


「龍の領域を汚したこと、心より詫びよう。龍の望む責を、我に」


 皇子の申し出に朝陽は無言で黒龍様を見つめ、少年の見目をした龍神は怒ったように嘆息した。


「まずは、其方の命ある限り、河北フェァベイに平穏を」


「承知した。我が命ある限り、この地を守ろう」


「もう一つ、永く宝珠を奪われていたので、神力が戻り切らぬ。紅河の神力を、我に」


 黒龍様の言葉に、皇子が息を飲む。私の神力は朝陽に与えられた。それなら、龍神は神力を奪う事もできるのだろうか。もともと神力のない私なら、奪われたところで何も変わらないのだろうが、紅河は?龍神のように、身体を維持できなくなったりするのだろうか。

 皇子が口を開くよりも前に、紫陽さんが黒龍様の前に膝をついた。


「黒龍。国の神官である紅河の神力は、国の為、皇子を帝に導く為必ず必要になる。皇子が帝につかねば、河北に平穏をもたらす事もできぬだろう。勝手を言っているのは承知しているが、紅河の神力は許してほしい」


「紫陽、其方とて紅河を滅するつもりで来たのであろう?」


 黒龍様の声が冷たく響く。確かに、紫陽さんは紅河を殺すつもりだった。だが、それは宝珠を奪い、龍の力をその手に収めようとしたため。


「誠に、国の為を思う神官であれば、滅することなどしない。皇子はこの国のために必要だ。皇子が帝になるには、紅河の神力は必要。紅河は、この地の為に必要な民だ」


 紫陽さんの声が、重く闇に響くが、黒龍様のまっすぐな視線は迷わない。


「その者が帝となるかは、我らにはかかわりのない事。その者の責は、『命ある限りの河北の平穏』龍の宝珠を奪った紅河への責は神力」


 きっぱりと言い放つ黒龍様に、紅河は紫陽さんを抑え、黙って膝まずいた。まるで紫陽さんに庇われることを拒絶するように。

 ゆったりとした動きで、紅河に手をかけようとした黒龍様の腕を、紫陽さんが掴む。


「神力が必要であれば、我が神力を。任を解かれたとはいえ、私も一時いっときは国の神官であった。国の為なら、神力などいらぬ」


「……其方では、足らぬ」


「それでは、我の神力で足らぬ分を、紅河より。頼む、黒龍」


 凍り付くような空気と静寂の中、黒龍様に掴みかかって一歩も引かない紫陽さんに、恐怖すら感じる。


「黒龍、紫陽は其方を助けるためこの地へ足を運んだ」


 たまりかねたように朝陽が穏やかな声をあげた。仕方ない、と言いたげに紅河に向っていた黒龍様の腕は紫陽さんの肩を掴む。


「其方の、神力を我に」


 闇を裂いてはっきりと私の耳に届く、小さな声。その声にこたえるように、紫陽さんの身体に光が走り、黒龍様の胸へと消えていく。どれだけの光が黒龍様の元に消えたのだろう。気が付くと光は全て消え、紫陽さんはぐったりと地に伏していた。

 地に伏した紫陽さんから外された手は、紅河を掴む。もともとの神力が違うせいか『足らぬ分』だからか、紅河は地に伏すほどではなかったらしく膝を折ったままの姿勢で、無言で紫陽さんを眺めていた。


「宝珠は戻り、神力も戻った。これより先の、国のまつりごとは龍の預かり知らぬこと。良いか、緑龍?」


「我は、龍庭ロンティンに春が戻れば、それでよい」


 龍の姿のままで、朝陽が笑う。その笑いは、いつもの穏やかな物とは少し違っている気がした。


「ただ。皇子、一つだけ聞け」


「……はい」


「国を守る神官が、龍の力を使ってまで其方を帝にと願った。従者の心を汲むのも主の務め。神力は弱まったが、神官として使えぬほどではない。時には従者を剣と、盾とすることも主の役目である。それが出来ねば、従者は自ら盾となり県となろうと道を誤るであろう。従者を導ける、強き帝となるがいい」


「……必ず」


 龍の姿ではあるが、朝陽の穏やかな空気が戻ってきた。

 目の前が歪んでいく。星が、月が、見えなくなっていく。



 目が覚めた時には、紫陽さんの小屋だった。神力を失ったはずの紫陽さんは、相変わらず大きな声で笑い、私と珠樹チュシュの世話をしてくれている。情けないことに、私達は二人とも身体が全く動かない。


 龍に倒された兵、河北の民、風鬼さんの血縁だという少女、そして紅河。あれから、どうなったのか、聞いても答えは返ってこなかった。


「其方が会いたいと思うのなら、いつか会えることもあるだろう」


 そういって穏やかに笑う紫陽さんに、詳しく聞かせてもらう事は諦めた。隣国の事、これ以上は知る必要はないのだろう。


 珠樹と二人、横になったままで日が昇り、落ちていくのをただ眺める毎日。少し会話をすると眠くなるという日々が続き、ようやく身体を起こせるようになったのは、日差しの強さが変わった頃だった。


 使っていなかった身体は思った以上に動かない。嫌がる身体を無理に動かし。外の空気を吸おうと小屋をでた所で頭から血の気が引き、崩れる手前で黒龍様に支えられた。


「動けないのに、動こうとするのは迷惑だ」


「……申し訳、ありません。少しだけ、外が見たくて」


 見目は、私よりも少し年下の黒龍様。見目通りの年齢だなんて思ってはいない。が、やはり年下の子に怒られているようで、少し切ない。


「緑龍は日暮れまで戻らぬ。それまでに、其方に何かあっては私が責められる」


 面倒そうな顔で、これから薪になるだろう丸太の上に座らせてくれた。少し、血の気が戻り冷たい空気が身体の中に染み入ってくる。もう木々の色が、変わり始めている。


「この地の夏は、もう終わる。緑龍が守る地へ戻り、休むがいい」


 そうですよね、このままここに居るわけには、行かないよね。

 龍庭で、私は朝陽の妻になるのだろうか。

 姉様のように?それとも、龍の従者として、風鬼さんのように?

 妻の名に甘え、河北では随分に勝手を許してもらった。朝陽の妻になることに、不満などない。誰より私を慈しんでくれる夫だ。でも。


「すまなかった」


 言葉と同時に、月色の瞳がうつむいた。何を、急に?


「私の思慮が浅かった。無理に穏やかな季節を呼ぶことがどういったものか、私にはわかっていなかった。緑龍の守る地から春を奪おうとしたわけではないが、結果、緑龍にも其方にも負担をかけた。すまなかった」


 伏せられた月色の瞳から伝わるのは、後悔。誇り高く、心優しき龍の瞳が揺れている。

 来ない春を待ち望んだ、不安な日々。供物になると知った時の恐怖。

 きっと一生忘れることはできないが、黒龍様を責めるつもりはない。今は、紅河とて責める気にはなれない。それはきっと、朝陽が守ってくれたから。守られることで、人は穏やかでいられる。


「其方は、供物として緑龍の妻になったのであろう。春を奪ったのは、私の責。其方が人の世に戻りたいのであれば、緑龍には私が話をしよう」


 慰める様な、穏やかな物言い。心遣いは、とてもありがたい。


「いえ、きっと朝陽は、私が望めば戻ることを許してくれます。『そうか』って笑って」


 少しだけ、寂しそうな顔はするだろうけど。


「そう、だな」


雪花シュエファ、起きたのか?」


 不意に、風鬼さんを胸に抱いた朝陽が目の前に現れた。 神力を使い、一瞬で移動する。これって……。

 朝陽の頭には、鹿のような二本の角がある。


「朝陽、神力、戻ったの?」


「ああ、この国の理に逆らった夏が過ぎ、龍庭も我が神力を使わずとも正しく季節が巡る。風鬼の風で龍庭まで飛び、角を取ってきた。いつまでもここで面倒をかけるわけにもいかぬからな」


 一緒にいる間に、風鬼さんの朝陽に対する敵意のようなものは少しずつ無くなっていた。


「明日、我が地に戻るぞ」


 朝陽の言葉に、風鬼さんの手が一瞬こわばった気がする。横顔が寂しそうだと思えるのは、自惚れだろうか。


「其方は、誠に緑龍の妻になるのか?間男と共に人の暮らしに戻るのではないのか?」


 風鬼さんの真剣な瞳に言葉が詰まった。鬼となって、黒龍様の側に使える風鬼さん。私には、覚悟が足りないと、言いたいのだろうか。私は、どうしたいのだろう。


「……私は、朝陽の妻ですから」


 私の口からでたのは、事実だけだった。


 その夜、風鬼さんは、小屋には戻らなかった。


「すまぬ。あれは見目通り、いつまでも子供のようで、気に食わぬとすぐに逃げ出そうとする。逃げても、どうにもならぬのに」


 ため息交じりに黒龍様がつぶやく。貴方も見目は少年ですけどね、という言葉は飲み込んだ。あれだけ帰りたがっていた珠樹は、村に戻れるとなってから一言も口をきかない。朝陽は、そんな私たちを眺めながら時折口の端だけでクツクツと笑っている。

 いつもと同じように、私と珠樹は並んで横になり、窓に浮かぶ月を眺めていた。


「明日から、お前は龍神様の社で暮らすんだな」


「うん」


「一緒の場所には、帰れなかったなぁ」


「うん」


「元気で、な」


「うん」


 隣に並んで眠るのは、今夜が最後。言葉を交わすことすら、今夜で最後なのだろうか。

 龍神様の花嫁になると決めた日に、覚悟はした。河北では、朝陽の妻であることを当然と思った。朝陽を、大切だと思った。それでも、やっぱり。

 朝陽があんまり優しいから、供物になった時の覚悟が消えてしまった。珠樹と共に帰りたいという気持ちが、消えてくれない。


 何も話せないのに、眠るのがもったいなくて、珠樹の息遣いを聞いているうちに外が明るくなってきた。ああ、朝だ。


「いつか、また会おう」


 初めて会った時と同じように、豪快に笑って手を差し出してくれる紫陽さん。

 風鬼さんは、いつの間にか戻ってきてくれていたけど、不貞腐れたような顔で、黒龍様の後ろに隠れている。


「風鬼さん。また、会いましょう」


「其方が人の娘に戻っても、緑龍の妻のままであっても、また会ってくれるのか?」


「もちろんです」


 嬉しい。風鬼さんに、また会いたいと言われた。一見冷たそうなのに、とても優しい鬼。

 本当に、また会いたいです。その時は、風鬼さんの名を、教えて欲しい。

 ゆったりと笑う黒龍様。黒龍様にも別れの言葉をと思ったところ、手で遮られてしまった。できることなら、黒龍様とももう少し打ち解けたかったな。


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