第41話 テルザトゥルース1
イライラする。賞味期限がちょっとすぎた牛乳を飲んで、腹が痛いのに下痢になりそうでならないみたいな中途半端さが今の感じ。
ああ、どうしてくれよう。活字嫌いの俺が小説、それもラノベなんてものでこんなに気持ちを掻き乱されてしまうとは!
解せん。なぜケイもアイもエイも腹を割ってしゃべらないんだ。俺なら、アイに向かって「お前のこと好きだから帰りたくなくなってきた!」って言うし、エイには「年増には興味ない。ってか、これまで異世界人について調べて分かったことを全部吐け!」って詰め寄るだろう。
この苛つきは、どうやら俺だけではないらしい。感想欄や活動報告にあった更新報告の記事のコメント欄では、俺と同意見が炸裂している。このままでは物語はバッドエンドしかありえない。おい、文芽、この状況どうやってまとめるつもりだよ?! と心の中で訴えてみる。でも作者が文芽だとまだ確定したわけではないから、直接メールで苦情を伝えるわけにもいかず。かと言って、このまま何もしないのも落ち着かない。
「よし。書くか」
俺は心を決めた。拙い。意味不明。アホっぽい。小学生の夏休みの絵日記か?! どんな言葉が返ってきても耐えるとしよう。
とにかく書く。感想とやらを!
それから一時間後。俺が自分の部屋に篭って机に向かっているのを目撃した両親は、俺を『受験生の鏡』だと勘違いしている。すまんな。俺は感想の下書きをするのに必死だったんだよ。
小説サイトの感想欄は、けっこう緩い内容のものが多い。中には、絶対に読書感想文とか得意だろ?!と言いたくなるような高尚な文章のものもあるが、俺のような低レベルの奴もわんさかいる。俺は投稿し終わった自分の感想文を何度も読み返しては後悔し、なんで感想文は後々編集できないのだと悪態をつきながら眠りについた。いつの間にか年が変わっているのも気づかずに。
翌朝、元旦の目覚めはスマホの着信音だった。こんな朝っぱらから誰だよと思いながら画面をよく見ずに出てみると、耳元からは聞き慣れた可愛らしい声が元気よく弾け飛ぶ。
「お兄ちゃん! あけましておめでとうございます!」
相変わらず朝に強いらしい。朝というよりかは朝方に近い。まだカーテンの後ろから差し込む光は青紫色だ。
「愛、なんで家の中で電話してくんの?」
「ねぇねぇ、部屋を真っ暗にして、お布団に潜り込んだまま私と電話したら、添い寝してるみたいな気分にならない?」
……確かにそうだけど。電話だと細かい息づかいまで伝わってきて、ここにいないのに目の前にいる時以上の存在感がある。サラサラの髪から覗く濡れた瞳、化粧してなくても血色が良くて紅い唇、柔らかなニットから覗く胸の深い谷間。目を凝らすと見えてきそうだけど見えてこない。当たり前か。日頃使わないような無駄に色気ある声を出すものだから、耳がくすぐったくなってちょっと変な気分になる。って襲われたいのか、こいつは!
「あれ? お兄ちゃんには刺激強すぎた? それとも添い寝してほしかったとか?!」
「馬鹿」
「ひどーい。お兄ちゃんが私の声でムラムラしてるって健司くんに言いつけるもんね!」
「頼むからやめてくれ」
愛はひとしきり笑った後、声のトーンをいつも通りにまで戻して切り出した。
「で、お兄ちゃん。昨日の晩、小説の感想書いたでしょ?」
「え?! なんで……」
俺のユーザー名はカナ。要って本名そのまま使うのも嫌だし、カナだったら性別も誤魔化せそうだから、絶対誰にもバレないと思ってたのに。愛は再び声をあげて笑う。
「やっぱりね! お兄ちゃんありがと。私もう少し寝るね。おやすみなさい!」
こっちはヒヤリとしてすっかり目が覚めちまった。仕方なくベッドから這い出て一階に降りると洗面所へ向かう。鏡に映った顔の傷は随分赤みがとれて、かさぶたも取れ始めてきた。顔を洗うと冷たい水が身体に沁みる。
「よし、恒例のアレいっときますか」
俺は台所に行って冷蔵庫を開けると、年末作っておいた黒豆をフライングで口に含んだ。美味い。箸をもっていない左手で、スマホをさささと操作した。
福袋を買い始めたのは二年前からだ。だから、まだ恒例とまでは言えないかもしれないけれど、この新年らしいイベントは今後も参加することになりそうだ。
今年も自転車で三十分ぐらい離れたところにあるショッピングモールに来ている。けっこう早起きできたので、服に加えて靴と食料品の福袋も買えた。俺にメールと電話で叩き起こされた恵介は、服とキッチン用品の福袋をゲットしたようだ。未だ寝ぼけ眼だが、片親世帯の彼はちゃんと母親向けのお土産もキープしているあたり、案外しっかりしている。
「これからどうする?」
自転車の持ち手に福の字が大きくプリントされた紙袋をぶらさげて、閑散とした幹線道路の側道をゆるゆると漕ぎ進める。俺は恵介の顔を見ないで答えた。
「初詣でも行っとく?」
「そうだな。こうなったら神頼みしかないよな」
「受験だしな」
「馬鹿。美結が幸せになりますようにって祈るんだよ」
俺もこれぐらい真っ直ぐになれたらいいんだけど。
実は、福袋を買う行列で待っている間に、感想の返事が届いたのだ。ご飯のお供先生直々のお返事。高鳴る鼓動を胸に感想欄にアクセスしてみると、拍子抜けするほど短かい文章が書かれてあった。
『本当ですか? 待ってます。』
俺が書いた感想を要約するとこうなる。もし自分がケイならば、こんな焦れったいことをせずに堂々とアイに告白したい。辛いことがたくさんあるけれど、二人で力を合わせたらなんとかなるかもしれないし、ハッピーエンドになってほしい。
我ながら、何とも身勝手な感想である。
ご飯のお供先生は何が言いたいのだろう。他の人には普通に返事をしているのに、俺にだけ謎かけみたいなことをしている。俺は『本当ですか?』の言葉が胸に突き刺ささったまま、鈍い痛みを引きずっていた。
「なぁ恵介、こう言ったらまた殴られそうだけど、八田さんの幸せな未来にお前はいないっていう可能性はない?」
恵介が漕ぐ自転車のスピードが少し落ちた。そして止まった。俺はそれに気づいて後ろを振り返り、一緒に自転車を止める。
「あるけど、ない。全部、僕次第だ」
恵介は自転車のブレーキを握りしめて、足は地面を踏ん張っていた。
友達は偉大だ。
俺も足掻くのは止めよう。俺もケイと一緒だ。本音がうまく語れない。伝えたらその瞬間全てが壊れてしまう気がして怖い。だけど俺にはまだ可能性がある。文芽とは後一年余り、同じ高校の生徒として近くにいることができる。この分岐点をどちらに進めて、どんな未来を作るか決めるのは俺次第なんだ。
ご飯のお供先生に告ぐ。心の中で叫ぶ。
『本当です。待っててください』
ちゃんと、告白するから。もう少し、待っててほしい。
すっと目を閉じて、文芽の顔を頭の中に思い描いた。パジャマ姿で、羽の髪飾りをつけた文芽がにっこりと笑った。
ふと冷たい風が吹き抜けて、目を開けた。
あれ?
文芽が、住宅街の細い路地から出て来た。一瞬正月早々お化けが出たのかと思ったけれど、ちゃんと足はついているし影もある。しかも頭にはあの髪飾り。
「おはよう」
何か言わなきゃって思ったんだ。今が新年だとか、そういう状況が全て頭からぶっ飛んでた。ただ、気づいてほしくて、こっち向いてほしくって。
「あけましておめでとう?」
文芽が、長い前髪の向こうの瞳を三日月形にする。そのちょっと意地悪な笑顔に和む俺は、やっぱり少し変かもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます