第40話 ミーニングトゥイグジスト3

「婆さん、ボケたんじゃないの?」

「は?! 失礼ね! あなた目どこにつけてんの?!」


 今度はエイが驚く番だった。最近はずっと『聖女様』と呼ばれて崇め奉られていたのに、突然の年寄り扱い。キッとケイを睨みつけたが、ケイはものともしなかった。


「俺、あんたとちゃんと話すのはこれが初めだよな? まずは一つ、はっきりさせておく。俺は俺の人生を自分で決める。あんたに指図されたり、のせられてあげる優しさもない。そして、帰ると決めたわけでもない」


 次は、アイがはっと息を呑んだ。


「だいたい、いきなり現れてその言い草はないだろう? 俺はこれでも王城に居を構える者。王族とも親しい。そこから引き抜くにはそれ相応の手土産がないとな」

「何がほしいのよ? 言ってみなさい」


 ケイは苦笑した。


「じゃ、アイの剣を返してもおうか?」


 エイはおもむろにローブの中に腕を戻して、腰のあたりをまさぐった。剣がようやく返還される。そう思ったアイはずいっと前に進み出たが、エイが取り出したのは古ぼけた地図だった。


「ここよ」


 そこに書かれてあった文字は『シーサイド王国』。その名の通り、海辺の王国だ。アイ達がいる『ヤマナカ王国』からさらに二つの王国を通り抜けなければ辿り着けない場所であり、この大陸屈指の巨大軍事国家である。


「ちょっと気分転換がしたくて旅行がてら遊びに行ったら、うっかりここの王子に目をつけられちゃってね」

「そしてアイの剣が奪われたと」


ケイはエイの言葉を引き継いだ。アイは顔面蒼白。アイにとって、これは最悪の事態だった。


「何てことしてくれたのよ! ますます断れなくなるじゃない!!」

「あら、あの王子の話は本当だったのね。あんな馬鹿娘やめておきなさいと一応忠告はしてあげたのに」

「え?! どういうこと?! ちゃんと説明しろ!」


 わざとらしくため息をつくエイ。ケイは話についていけず青筋を立てている。


 アイは渋々、皆に隠していたことを話し始めた。

 つい数日前、アイにシーサイド王国の王子へ側妃として仕えるようにと、使者が極秘に訪れていたのだ。ヤマナカ王国は弱小国で、大国であり軍事力も強いシーサイド王国相手に逆らうことはできない。もし悪い返事をするとなると、たちまちヤマナカ王国は属国として酷い扱いを受けるか、猛攻撃をされて滅んでしまうだろう。


 とは言え、ヤマナカ王国とてやすやすとアイを差し出すことはできない。現在、王位継承者第一位がアイなのだ。第二位以下はかなり遠い親戚筋をあたらなければならず、アイを遠くへ嫁にやるなんて王夫妻は考えたこともなかった。


「なんでよりによって私なんかを……。大昔、隣国の晩餐会で王子

と顔を合わせた時は『ガキに興味は無い』って言われたの。てっきり興味はもたれていないと思っていたのに」


 アイは頭を抱えている。


「もしかして、日本語の魔法がバレたのか?」

「ご名答」


 ケイの推測はすんなりとエイに肯定されてしまった。エイの情報では、アイの力がシーサイド王国の軍事力、または王家の力をさらに誇示するのに役立つと見なされているとのこと。アイの知らぬところで、日本語の魔法の噂はかなり広まっていたのだ。


「別に悪い話じゃないと思うわ? シーサイド王国に嫁げば、あなたの剣も無事に手元に返ってくると思うわよ?」


 エイは、元々自分が剣を奪ったことを棚に上げて、さらりと言ってのける。アイは沸騰しそうな程に顔を熱くして地団駄を踏んだ。怒りに任せてうっかり本気を出してしまったため、詰所の床には細かいヒビ割れが蜘蛛の巣のような放射状に広がってしまった。城がさらにボロくなる。


 そこへ、ケイからアイへ会心の一撃。


「シーサイド王国。そこなら、アイが欲しがってる鰹も手に入るかもしれないな。日本語も随分覚えられてきたし、俺はもう……」

「ちょっと待って! 勇者様までそんなこと言うの? それとこれは全然別の話だよ! 私はね、私はね……」


 アイは両手を顔に押し当ててうずくまってしまった。先程までの怪力が嘘みたいに狭い華奢な肩がかたかたと揺れる。


「泣かないでよ。辛気臭い」


 そういうエイも、唇を噛み締めて何かに耐えているかのように見えた。


 城の外は今にも雨が降り出しそうな低い空。黒い雲が空を埋め尽くし、城を上から圧迫している。遠くの方で雷が落ちた。フラッシュ光線が開け放たれたままの詰所の入口から差し込んで、一瞬辺りは白と黒の世界になる。


「聖女様!!」


 子ども達の声が近づいてきた。なかなかエイが客間に戻ってこないので不安になったのだ。エイは再びローブのフードを深くかぶると、くるりとアイに背中を向けた。


「子どもっていいわよ。私の元いた世界にあった物語ではね、勇者と結ばれるのは聖女っていうのが定石なのよ。だから聖女を名乗るためにも柄にもないことしていたのだけど、存外楽しくって。子どもは何も分かっていない。無垢な瞳を向けてくれる。そしたら、それに応えなきゃって思ってしまう。だから私、もう魔女だなんて誰にも呼ばせないわ。私はあの子達を守って生きていく。まさかこんなことが人生の分岐点になるなんてね。アイ、あなたもがんばりなさい」

「生きていくって……元の世界には帰らないってこと?」

「それはまだ諦めていないわ。時間はたっぷりあるしね」

「それ、どういう意味?」

「私達、転移者には寿命がないの。私の姿は転移してきた三百年前と全く変わらない。ケイ、あなたも気づいているのでしょう?」

「そうなの?!」


 アイはケイの顔を振り返った。ケイは無言でいるものの、その沈痛な面もちからは肯定が読み取れる。


「そんな……」


 アイもケイもうまく言葉にならない。


「ケイ、あなたもよく考えなさい。聖女になったからには、帰還のこと以外にも少しは味方してあげてもいいわよ。ついでに失言も許してあげる」


 詰所を出たエイは、あっという間に子ども達の歓声に包まれた。エイは地面にしゃがみこみ、何人かの小さな子の頭を優しく撫でる。その姿は正真正銘の聖女だった。


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