第42話 テルザトゥルース2

 気の利く友、恵介は、軽く手を挙げると自転車の前輪を元来た方角へ向けた。


「がんばれよ! まだ学生なんだから、やる時はちゃんと……」

「あー、もーいいから! 早く行け!」


 あいつは俺のオカンか。気づいたらすっごく寒いはずなのに自分の顔が火照っていた。


「一ノ瀬くん、どこか行くの?」


 文芽はさりげなく近づいてくると、俺と肩を並べた。あれからお互い連絡はしていない。最後に聞いた言葉は「お願い、帰って!」だ。なのに、今は何も無かったかのようにふるまう文芽。どうしたの?とでも言うように、目をパチパチさせている。悩んでいたのが少し馬鹿らしくなってきた。


「初詣」

「じゃ、私も」


 文芽はなんでこんな所にいたのだろう?まさか新年早々突然顔を合わせるなんて思っていなかったから、心の準備がまるでできていない。


「文芽も願い事?」

「要くんは?」

「ま、そんなとこ」


 名前の呼び方が戻った。ふと眼下にある揺れる髪飾りを見つめる。たぶん、嫌われたわけじゃない。すっと安堵感が心の中に広がっていく。深い息を吐くと、白いモヤがふわっと身体から離れていった。


 夢造桜神社という社がすぐ近くにあって、申し合せることなく俺達は境内に入っていった。大きな石造りの鳥居をくぐると、狭い敷地の中にいくつかの屋台が出ていて、ベビーカステラの良い匂いが漂ってくる。


 夜中からの初詣ラッシュはピークを完全に超えたらしく、さほど有名ではないこの神社の中は人も少なめ。すぐに賽銭を投げて手を合わすことができた。最後の一礼をして賽銭箱の前から一歩後ずさると、文芽はまだ真剣に手を合わせている。


「お待たせ」


 拝み倒した後の文芽は、先程よりも少し清々しい表情になっていた。もしかしたら、緊張していたのは俺だけではなかったのかもしれない。


「行こう?」


 文芽がさも当然というように手をこちらに差し出す。手を繋ぐってこと? どうしようと心は迷っているはずなのに、本能が身体を勝手に動かしたらしく、気づいたら文芽の手を握っていた。俺よりも細い指が絡みついて、そこからじんわりと温もりが伝わってくる。真隣で歩いていると、俺よりも背の低い文芽がどんな顔しているのかはよく見えない。ご機嫌だといいな。そう思った瞬間、おみくじやお守りを売っている仮設テントの前で文芽は立ち止まった。


「あのね」


 こちらを見上げる文芽。やけに無表情だ。いや、何かを隠して押し込めているかのように見える。俺は、文芽が再び口を開けるまでじっと待った。


「もし、私がいなくなったらどうする?」


 いなくなったら。いなくなったら? いなくなる? 何それ。

 以前の俺だったら、こんなことを言われても全く動揺しなかっただろう。普通にどういう意味なのか尋ねておしまい。でも今の俺にとって文芽は……。


 大きな石が喉の奥でつっかえてるみたいに声が出なくなった。文芽があまりに真剣で。何かに焦がれているように切なげな視線。胸がきゅっと締め付けられる。


「俺は……」


 境内には少しずつ参拝客が増えてきた。立ち止まる俺達は流れる人混みの中洲。ここだけ時間が止まったみたいになっていた。

 どれだけ時間が経っただろうか。


「お兄ちゃん!」


 振り向くと、愛がいた。朝からめかしこんで着物を着ている。健司とデートか? 文芽と一緒にいるところで出くわすなんてややこしいことになったと思いつつ、辺りを見渡す。


 いた。

 もっとややこしい奴ら。


 うちの両親だ。


「要、そちらのお嬢さんは?」


 オカンがよそ行きモードで話しかけてくる。


「はじめまして。五反田文芽(ごたんだ あやめ)と申します。要くんにはいつもお世話になってます」

「お兄ちゃんのクラスメートでね、お兄ちゃんの好きな……もごもご」


 文芽の自己紹介に続けて愛が余計なことを言いそうになったので、慌てて口を塞いでおいた。


「そっか。要の……。あ、そのお洋服最近見たような。可愛らしいわね。どこのだったかしら?」


 今日の文芽は、薄らとグレンチェックが入った滑らかな生地の青みがかった灰色のコートに白いファーと白いブーツを合わせている。文芽の癖にちゃんとしてるじゃないか。ヘアスタイルさえなんとかすれば、この世に現れた妖精のごとく可憐だったと思う。


「実は、うちの母のブランドの最新作で……」

「あら! ということは……あぁ、なるほど!」


 オカンと文芽は俺が分からない会話を繰り広げている。ちゃんと後で説明してもらおう。全く事情が分からない。でも文芽もきょとんとしているので、俺と同様、事態がうまく飲み込めていない様子だった。


「要、彼女とデートならそう言いなさいよ。恵介くんと一緒だって言ってたのに。嘘つくなんてお年頃なのね」


 彼女じゃないんです。もしくは、『まだ』彼女じゃないんです。なんてこと言えるわけがない。だからと言って、ここで否定したら今後の希望は全て潰えるだろう。正直、何を言っても不正解になる気がするんだ。文芽が白けた目でこちらを見ている。俺の家族は全員含み笑い。俺、何も悪いことしてないのに何でこうなった?!


「それでは私はこれで」


 文芽は丁寧にこちらに向かってお辞儀すると、すたすたと鳥居の外へ歩いていってしまった。慌てて追いかけようと思ったけれど、ちょうど小学生の一団がこちらの方向へ雪崩れ込んできて、文芽はすぐに人混みの中に消えてしまう。伸ばした手が空しく冷たい空気を引っ搔いた。


「愛!」

「何よ?! 私、何も悪いことしてないからね!」

「分かってるよ。全部……分かってる」


 八つ当たりは良くない。特に、勝てない相手にするのは不毛である。ここで、ずっと沈黙を守っていた親父が口を開いた。


「カッコ悪いな」


 あー、悔しい。穴があれば入りたい。賽銭箱の中に入って体育座りとかしてみたい。


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