第35話 エンドオブザイヤー2

 距離はゼロセンチのまま、委員長は口を開いた。


「一ノ瀬くんが好きな人、私知ってるんだ」


 委員長の瞳は、川面と同じく鈍色なのに、すごく透き通って見えた。まるで、好きな人だけでなく、あらゆるものをお見通しだとでも言うように。


「後ちょっとだけだからね。もうしないからね。これで最後だから、ね」


 委員長は俺の背中に回した腕に力を込める。素直に暖かいと思った。でも、そこに安らぎはない。少し身じろぎすると、委員長からの拘束はさらに強くなって、ついつい深いため息が出てしまう。


 こんなはずじゃなかったんだけどな。


 委員長は見た目も悪くないし、しっかりしているし面倒見も良い。運動神経もそこそこ良くて、中学までは確かバスケ部だった。一方文芽は、存在感が希薄で、たまに視界に入っても物陰に溶け込みすぎてしまう地味系女子。成績もパッとしなければ、外見もお洒落ではない。それどころか、オリジナリティがありすぎる独特の感性は変な方向に飛び抜けていて、大変『痛い』人物である。


 だけど、俺は。


「よし!」


 急に身体が軽くなったと思ったら、委員長は俺の両腕を痛いぐらいにパンパン叩いた。


「私、六十谷智子は、勝手ながら一ノ瀬要くんからの応援を無断で受け取らせていただきました! 今後は勝手に幸せになるので、一ノ瀬くんも勝手に幸せになってください!!」


 泣きながら笑うのって、本当に反則だよな。

 俺は鞄からタオルハンカチを出して、委員長に差し出した。委員長はすっと後ずさりして俺達には再び距離ができる。その長さ、三十センチ。俺の腕は一度だらりと地面に垂れて、ハンカチは鞄に戻る。


「じゃ、明日学校でな」


 とりあえず、切り上げるしかなかった。


「後は終業式だけなのに、面倒臭いよね」

「委員長でもそんなこと言うんだな」

「私だって人間だもの」


 委員長の小さな背中は、元来た道の方向へ消えていく。それを見送る俺の頭の中では後悔の波が津波みたいに押し寄せてきた。凶悪な黒い高波だ。何か大切にしていたものを次から次へと飲み込んで、宇宙の彼方へ運んでいく。俺は少しずつ空っぽになる。


 空中を見つめていると、そこに文芽がぼんやりと現れた。そっと腕を広げてこちらへ近づいてくる。これは夢と幻想と希望。


 クリスマスイブ、あの時の文芽は俺になされるがままだった。文芽からはほとんど手を伸ばしてもらえなかった。それがあの涙の意味の『答え』なのだろうか。


「いつまでぼーっとしてんの」


 突然投げかけられた荒っぽい大声。振り向くと、恵介が堤防沿いの道に立っていた。


「あ、恵介じゃん。どしたの? お前ん家、こっち方面じゃないのに」

「いいよな、モテる奴は」

「どこか行く途中? 暇だったら何か食いにいこうよ」

「女泣かす奴なんて、最低だけどな」


 話が噛み合わない。いつもの冷静さが恵介からは全く感じられなかった。言葉から察するに、委員長と一緒に居たのを見られていたみたいだけれど。

 恵介は大股でこちらへ近づいてくる。様子がおかしい。


「一発。いや、何発か殴らせろ」

「え?」

「歯、食いしばれよ。行くぞ」


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