第33話 ホーリーナイト3
猫至上主義の文芽が、自身を猫にしてくれと言う。それすなわち、もしかして、もしかしなくても?! 瞬時に現れた桃色妄想はなけなしの理性で蓋をして、俺は反撃に躍り出た。
「可愛げのない猫だな。頭に耳も生えてないし」
「生やしましょうか? ご主人様」
反撃失敗。こいつだったら、普通に猫耳カチューシャの一つや二つ常備していそうだ。さて、気を取り直して俺は俺の用事を先に済ませることにした。
「……いや、いい。代わりのものを俺が生やすから」
招き猫ポーズでフリーズする文芽を尻目に、俺は部屋に持ち込んだ自分の鞄の中に手を入れた。せっかく店の人がラッピングしてくれたけれど、これは俺が開けさせてもらおう。
「後ろ向いて」
「変なことしないでよ?」
「お前にだけは言われたくない」
文芽は渋々といった体で俺の膝から降りると、少し離れたところにしゃがんで背中を見せた。準備ができたので近寄ると、気配を感じたのか文芽の肩はビクッと動く。
「じっとしてて」
俺は、文芽の髪に触れた。自分からちゃんと触れたのは、初めてかもしれない。ふわっと甘い香りが広がる。いい匂い。今俺たちは、同じ風呂に入って、同じ香りに包まれている。
「鏡見て」
文芽はすぐに立ち上がると鏡の前に移動した。
「綺麗」
文芽の髪には天使の羽みたいな形のバレッタをつけた。ビーズやファーを組み合わせて作られたもので、文芽が頭を軽く降ると天井の照明の灯りを反射してキラキラ光る。鞄や服にコサージュとして付けてもいいように、ピンも付いている優れものだ。
もちろん普段使いしたら仮装パーティーみたいになりそうだけれど、白で統一されたものなので可憐に見える。文芽にはよく似合っていて、我ながら良い仕事をしたと思う。
「でもちょっと派手じゃない?」
「文芽はさ、」
「何?」
「ジャンプするんだろ? 夢があるって。それに向かって、必死に飛ぶんだって聞いたから。だから、羽がいいなと思って」
文芽からはおちゃらけた雰囲気が消えて、まっすぐこちらを見ている。
「俺は、文芽を応援したい。文芽が飛べるように、文芽の羽になれたらいいのになって」
「一ノ瀬くん……」
「それが、今の俺の夢なんだ。って自分で言ってても臭すぎるな。ごめん、めっちゃカッコ悪い」
珍しく文芽からは辛辣なツッコミは入らないし、せっかく風呂の中で考えていた台詞もシドロモドロだ。恥ずかしすぎてどうしたらいいのだろう。
「ありがとう」
反らしていた視線を文芽に戻す。そこには、本物の笑顔があった。やっぱりこいつ、可愛い。きっとこんな無防備な笑顔、他の誰も見たことがないんだろうな。これは、俺だけのものだと思うと胸がいっぱいになっていく。今日、会えて良かった。喜んでもらえて良かった。とても声に出しては言えないから、瞳で訴えてみる。俺の方こそ、ありがとうって。
そしたら、すっと文芽がこちらに寄ってきた。それこそ、猫みたいに。今、一瞬頭に猫耳が見えた気がしたぐらい。
「電気、消すね」
文芽は手元のリモコンで照明を消した。一気に真っ暗になる。慣れない部屋での闇。一瞬方向感覚も無くなって、早く目を慣らそうと瞬きをしていると、手に温もりを感じた。
手だ。
文芽の手。
次第に視界が少しはっきりしてきて、暗いながらもカーテンの隙間から差す外の光で文芽の顔も薄ら見えるようになってきた。
「要くん」
「文芽?」
「文芽って、呼んでくれてありがとう。他にもいっぱいいっぱいありがとう」
「どうしたの?」
「私ね、要くんと出会えて本当に本当に良かったよ」
文芽の瞳が濡れたようにキラキラ光った。宝石みたいだった。すごく大切なものに見えた。理屈とか理性とかそういうの抜きの特別な空気。エアコンがまだ効いていなくて、冷えきった耳がツンと痛い。そんな中で文芽にだけ暖かい色が宿って見える。
俺の指先を握った文芽の腕を手首から首に向かってなぞっていった。女の子なんだなって、感じる。文芽の顔は神秘的な陰影を落としていた。やがて、俺の右手は文芽の左頬に触れる。左手は文芽の手から滑り抜けて、彼女の背中へ。
文芽は瞳を閉じた。
今度はもう、迷わない。
俺たちは、キスをした。
しばらくして、唇を離す。
文芽は泣いていた。
目から零れた雫がほうき星みたいに光る尾を引いて流れていった。
「ごめん、嫌……だった?」
文芽は激しく首を振る。けれど、涙は止まらない。とめどなく流れて、ごしごし手で擦った目元はあっという間に腫れてしまった。
「ほんと、ごめん。大丈夫? 俺、つい……」
文芽はついに声を上げて泣き始めた。
「文芽……」
「ほっといて!」
「でも」
「もういいの。私はもう……」
それから約一時間後、俺は夜道をとぼとぼ歩いていた。文芽に帰ってくれと言われたからだ。一応こたつ猫ミカンのアイウォーマーが入った袋を文芽の部屋に残してきた。今必要なのは、目を冷やすものなのにな。
気持ちがぐしゃぐしゃだった。何が悪かったのかが分からない。腹が立っているのか、悲しいのかも分からない。自分の家がとてつもなく遠い。
帰宅後、運悪く廊下で愛と鉢合った。
「お兄ちゃん、泣いてる?」
ばーか。って言おうとしたのに、声が出ないまま自室に入って扉の前で座り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます