第30話 ダブルブッキング3

「もしかして、この件はまだ何も聞いてないのかな?……というか、今の君には話しづらいことかもしれないし」

「どういう意味ですか?」


 七井先輩はふるふると首を振って、柔らかな薄茶の髪を揺らした。毛並みの良い犬にも見える。きっと、女子か?!と突っ込みたくなるような高価なコンディショナーを使っているのだろうな。なんてことを考えて、はたまた余所見していたのがいけなかった。


「で、お兄さんも今日は予定は無かったの?」

「え、えっと、あの」


 恵介の話に戻したいけれど、あっという間に頭の中は文芽でいっぱいになってしまって、うまく言葉を繋げることができない。自分でも分かるぐらいに挙動不審になってしまった。シャーベットが溶け始めているのにも気づけないぐらいに。


「そっか。それは悪いことしたね。時間は大丈夫?」

「はい。待ち合わせは六時なので」


 と答えた瞬間、横から鋭い視線が突き刺さる。


「お兄ちゃん?」

「……はい」

「私、聞いてない」

「ごめん」

「今日は私とデートしてたんだよね?」

「えっと、あのな。これには訳があって」

「言い訳は聞きません!」

「でも夕方からだから、なんとかなるかな?って」

「違う!」

「何が?」

「そんなことじゃないの! お兄ちゃん、手ぶらでしょ?! 何で何も相談してくれなかったの?!」


 愛は怒り心頭で、行儀も構わずテーブルをドンドン叩き出した。愛がここまで怒ることなんてそうそう無い。そこまでの地雷を踏んだとは思えないのだけれど。


「だって俺、鞄とか持たない主義だし」

「そうじゃなくて! プ・レ・ゼ・ン・ト! クリスマスデートにプレゼントも用意してないなんて、どういうつもり?!」

「悪かったって。愛には今度何か埋め合わせするから」

「ちがうの! あー、もう! 頭きた! そんなことだから、いつまでたっても進展しないのよ! 七井先輩も何とか言ってやってください!」


 七井先輩に助けを求めて視線を送ろうとしたら、にっこりと微笑みが向けられていた。


「確か五反田さんは、猫が好きだよね。特にこたつ猫のミカンが好きじゃなかったかな?」


 なぜそんな細かな情報を知っているのだろうか。尋ねると企業秘密だとの返事がかえってきたが、これは文字通りの意味のような気がして追求はできなかった。


 七井先輩と愛によると、こたつ猫のミカンとは、最近流行りだしたキャラクターらしい。カタツムリが殻を無くして生きられないように、こたつ猫は種族的にコタツ無しでは生きられないらしい。冬になるとそういう人間をよく見かけるが、あれもコタツ猫属なのだろうか。


 ミカンは、白地に蜜柑色のブチ模様が入った太々しい表情の猫で、雑貨屋などに行くとグッズが手に入るとのこと。


 その後はあれよあれよという間に、愛と俺は七井先輩とどこからともなく現れたお付きの方?!に連行されて、近くのショッピングモールへ。移動はもちろん七井先輩専用の黒塗りリムジンだ。


 中ではシャンパングラスに入ったトロピカルなジュースが出てきたたが、緊張しすぎて味がよく分からなかった。だいたい車の中でキャップがついていない飲み物を飲むなんてナンセンスだ。もしこぼしたら掃除が大変だとか、汚れが落ちないんじゃないかと不安になるのは庶民なので仕方がない。


 モールに到着してからは、高級ランチのお礼を七井先輩に告げて愛と二人で行動。せめて自分のランチぐらい自腹で払おうかと思ったけれど、お付きの黒服の男性に見せられた電卓の数字に眩暈を起こし、出しかけた財布はすぐに引っ込めた。かっこ悪い。


 こうして無事に確保できた軍資金を元に、俺たちは雑貨屋を数店渡り歩く。こたつ猫ミカンはすぐに見つかった。メモ帳やタオルハンカチ、フィギアやシールなど幅広く展開されていて、それなりの知名度はある模様。


「あ、これ……」

「お兄ちゃんも見たことぐらいはあるでしょ?」

「うん」


 こたつ猫ミカンは、先日靴箱に入っていた文芽からの手紙にもプリントされていたものだった。ただの猫かと思えば、こういうことだったのか。


「愛、ありがとうな」

「どういたしまして」


 愛はニコニコしながら、こたつ猫ミカンのキーホルダー二つを買い物かごに放り込んだ。きっとこれは愛と健司の分で、俺に買えという意味だろう。


 俺は悩んだ挙句、アイウォーマーなるものを購入した。レンジでチンした後、アイマスクのような布ケースに入れて目元を温めるものだ。もちろん柄はこたつ猫ミカン。きっと小説執筆や勉強でたくさん目疲れしているはずだから、使ってくれるはず。……と信じている。


 夕方まではまだ時間があった。俺はちょっと思うところがあって、愛に相談の上もう一つプレゼントを購入。ついでに、愛が健司のためにプレゼントを選ぶのにも付き合った。


 そして、ついに時間は五時半近くに。


「お兄ちゃん、がんばって!」


 本人よりも気合が入りまくっている愛。少し早いけれど、俺は駅前の時計台へと歩いていった。




 外は一段と気温が下がっている。もしかすると、今シーズン一番の寒さかもしれない。白い息を吐きながら歩いていくと、目的の時計台が見えてきた。高い時計台の根元は花壇になっていて、この季節はクリスマスに合わせたポインセチアが植わっている。空はもう暗くなっていて、行き交う車やタクシー、イルミネーションの電飾や飲み屋のデカイ看板の灯りが辺りを照らし出している。


 そんな中、俺は早速奇妙なものを見つけてしまった。


 人の往来が激しい駅前。時計台を目印に待ち合わせする人もたくさんいる。それなのに、ある場所だけぽっかりと人がまばらになっている所があった。その空洞の中央には、一人のサンタが立っている。


 嫌な予感しかしないが、近づかない限り今夜の目的が果たせそうにないことも明らかだ。


「寒くない?」

「こういう時は、『ごめん、待った?』って尋ねるのが定石じゃないの?」


 いや、まだ約束の時間まで三十分近くありますから。俺は遅刻したわけではない。


「こういう場所に来る機会ってなかなか無いから、どんな格好をすれば街に溶け込めるかな?って悩んだの」

「完全に浮いてるぞ」

「私もそう思う」


 文芽は、所謂サンタコスだった。白くて太い縁取りのついた赤のミニスカワンピ。『防寒』という単語が存在しない世界で作られたかのようなデザインだ。大きなトナカイのぬいぐるみの首に紐をつけ、足元で侍らせているのも異様である。


 俺は手紙の『無事に到着』の言葉を思い出した。なるほど。確かにこれはある意味トラップだな。多分文芽は無意識にやっているのだろうけれど。


「くしゅんっ」

「そんな格好するからだろ」

「こういう時は『可愛いね』って言われるはずなんだけど」

「そんなマニュアルは知らない。さ、行くぞ」

「どこに?」

「……」


 あ、ほんとだ。

 俺、これからどこへ行こう。デートコースなんて、すっかり考えるのを忘れていた。


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