第28話 ダブルブッキング1

 定期考査はかつて無いほどに楽勝だった。『やればできる』という周囲の見立てもあながち嘘ではなかったらしい。これも、現実逃避第二弾として勉強に打ち込んだお陰だ。学習能力のある俺は、もはや化学準備室は危険地帯だと認識し、修練の場を自宅の自室に移したのも功を奏したのだろう。夕飯は既製のソースを使ったパスタだとか、時にはお茶漬けだけという超手抜きになることも続いたが、その分『学生モード』を研ぎ澄まして貫くことができた。


 文芽とは、あれから全く話していない。翌日にはマスクをして登校していたから、やはり風邪だったのかと予想する。チラチラ見てみるものの、文芽は全く俺の視線に気づく様子はなく、あのメールの真相や詳細も確認できずにいた。


 そしてついにテスト用紙が全て返却されて、舞台はすっかり整った!と言いたいところだが、まだ最大の問題は解決していない。


「えーお兄ちゃん、その格好? もっとちゃんとしてよ!」


 本日は12月24日土曜日。なぜクリスマス当日の25日よりも前日の方が盛り上がるのか。未だに謎だ。

 愛はすっかり身支度して、今日も今日とてノックの返事も待たずに俺の部屋へ入り込んできた。もし着替えてたらどうするんだ?! 女はいいよな。見られても、見てしまっても被害者になれるんだから。


「何怒ってるの? お兄ちゃんだって素材はいいんだから、もうちょっとマシなもの着たらカッコよくなるんだよ?!」

「さりげなく失礼だな。だいたい兄妹で出かけるのにそんな気合い入れなくても……」

「駄目! 今日はちゃんとしてもらわなきゃ、門前払いになるかもしれないから困るの。よし! 今からお買い物行こう? 私がコーディネートしてあげる!」


 ニッコリすると年相応の雰囲気になるが、今日の愛はいつもと違う。メイクも違うし、コートの着こなしも大人だ。女子大生か、社会人になりたてのお姉さんという雰囲気。確かにこれじゃ、俺は釣り合わないか。


 だからって、出かけてから僅か一時間で三万円も散財するとは思っていなかった!

 愛に連れていかれたのは駅から徒歩で行ける場所にある繁華街。どこもかしこもクリスマスらしい赤や緑、金銀でデコレーションされて華やかだ。どこからかウキウキするような曲も流れてくる。

 愛は、俺もよく知るセレクトショップに入っていった。慣れた手つきで服を取っかえひっかえし、俺はすっかり着せ替え人形状態に。これ、相手が愛じゃなかったら忍耐がもたなかったかもしれない。結局、自分一人ではなかなか選べないようなお洒落なのを見繕えたのは良かったけれど、この後のデート?のことを考えると財布の中身が寂しい。夏休みにバイトで稼いだ金をごっそりと持ち出してきたから、何とかなるのは思うけれど。俺としては本番、つまり文芽とのデートで使いたいところ。


「うん。これなら大丈夫ね!」


 愛は腰に手を当て、俺の全身を眺めて満足げに頷いている。


「愛、健司にもこんなことしてんのか?」

「え? するわけないよ」

「じゃ、なんで」

「お兄ちゃんは特別なの!」


 ふっと笑みを零す愛。あぁ。健司もこの笑顔にやられたのかもしれないな。


「そんじゃ、昼飯でも食って帰るか」

「ダメダメ! 何言ってんの? 今からが本番なんだから! いけない、約束まで後十分だ。早く行こう!」


 約束? 誰と? そんなこと何も聞いてなかったんだけど。いくつもの疑問が浮かぶ。

 そんなことより、何時まで付き合えば愛は気が済むのだろう。俺はさっさと切り上げて夕方に備えたい。今日はダブルブッキング状態なのだ。愛には文芽とのことを知られたくないし、文芽にもできれば愛と出かけていたことを悟られたくない。変な見栄や意地を張って二人に隠し通そうとしたのが裏目に出たのか。この後の展開が読めなさすぎて焦りが募る。当日までに段取りをちゃんと決められなかった俺の優柔不断さが墓穴を掘っていることは間違いない。でもこんなシチュエーションは生まれて初めてだったのだ。


「お兄ちゃん顔色悪いよ。大丈夫?」

「じゃ、帰らせて」

「嫌」


 俺の腕を引っ張った愛は、兄妹にも関わらず所謂恋人繋ぎをして通りを歩き始めた。戸惑いのあまり一歩遅れてつんのめりそうになる。愛は一瞬悲しげに眉を下げていたのだけれど、その時の俺は気づく余裕なんて全くなかった。


「良かった。間に合った!」


 ヒールの高いブーツを履いた足を肩幅に開き、愛は目の前にそびえる超高層ビルを仰ぎ見た。ここは庶民なんてお呼びじゃない有名な高級ホテル。一泊いくらするのだろうか。広いロビーの入口にはベルボーイが立っていて、その前に黒塗りのデカイ高級車が止まり、ドレスアップした男女一組が颯爽と降り立っていった。俺と愛は完全なる場違いである。


「待ち合わせ場所、もうちょっとマシな所なかったの? わざわざこんな所選ばなくても、駅前で良かったんじゃね?」

「何言ってるの? 今からこのホテルに用があるんだから」

「へっ?!」


 驚きのあまり声が裏返りそうになった。


「愛、正直に教えてくれ。お前、誰と何の約束してんの?」


 不敵に微笑む愛。そこへ、背後からカツカツと品の良い靴音が近づいてきた。


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