第25話 アウェアネス&プロミス1
帰宅したら、珍しく玄関外にある小さなライトがついていた。少し赤みのある光。そこだけ、どことなく優しげな温もりがある。季節は冬にさしかかり、日が落ちるのも随分早くなっていた。
自転車を狭い車庫の片隅に止めながら首を傾げる。こんな気の利くことをするのは一人しか思い当たらない。でもまだ五時半だ。いるはずのない人物を頭の中に浮かべながら、鍵を開けて家に入った。
リビングは真っ暗。まだ誰も夕飯の支度だとかはしていないらしい。けれど、隣にある和室の襖の隙間からは白い光が漏れ出ている。
「おかえり」
ここは両親の寝室。オカンは、羽毛布団を頭まで被り、腕だけを布団から出して枕に載せたノートパソコンをパチパチ叩いていた。
「ただいま」
明らかに顔色が悪い。化粧は既に落としてしまったのか、見慣れたどこにでもいるオバサンになっている。目の下のクマはいつも以上に濃い気がした。
「風邪ひいたの? 医者は行った?」
「行ったよ」
「寝てなよ」
「あと少し」
オカンのオカンになった気分になる。病気の時まで働らかなきゃいけないなんて。
「眉間に皺寄ってるよ」
「誰かと違ってまだ若いから大丈夫。型になって残ったりしないから」
「病人に喧嘩売るなんて、いい度胸ね」
「あれ、自覚あったんだ?」
どう見ても、オカンの眉間の方が深い皺が刻まれている。ちなみに、他の場所にも。スッピンだとそれがよく目立つ。基本パーツは美人なだけに残念な状態。
「何か食べる? お粥作るよ」
踵を返そうとした時、思わぬ返り討ちにあった。
「アンタ、好きな子できたでしょ?」
肩だけがピクリと反応してしまった。うっかり挙動不審になってしまったのを悟られたくなくて、慌てて後ろ手で襖を閉める。でも襖なんて、薄っぺらな壁。逃げ終えたことにはならない。
「どんな子なの?」
ここで返事をすれば認めることになってしまう。無視を決め込んで、とりあえず米櫃(こめびつ)の蓋を開けた。今夜は手抜きしてカレーにしよう。
一合、二合、三号……。計量カップで米を計る。襖の向こうは静かになった。こんなところで身を引くなんてオカンらしくもない。でも追撃がないのは、不調だからだろうと一人で納得したその時。
「これでも母親なんだから。アンタのことは、いつも見てるのよ?」
『いつも』と言う程、そんなに顔を合わしていないのだけれど。でも、母親の立場から見ると最近の俺は変なのかもしれない。自覚もある。
「がんばりなよ!」
「うるさいな!」
「あ、勉強もね」
「普通逆だろ?」
冷静にしていたつもりだったのに、米を何合まで計ったのか分からなくなってしまった。あーあ。計りなおしだ。オカンは、いつも家事を押し付けてゴメンと言った後、静かな寝息を立て始めた。オバサンの癖に、無防備で愛嬌のある寝顔。何故か毒気が抜かれてしまって、それまで渦巻いていたモヤモヤとイライラがすっと消えてしまった。
換気扇で家の内外にカレー臭を拡散させ始めた頃、愛が帰ってきた。
「お兄ちゃん!」
「おかえり。オカン、風邪だってさ」
「この前の週末から調子悪そうだったもんね」
「……」
オカンが前から不調だったなんて、気づいてなかった。俺、ちょっとぼーっとしすぎてるのかもしれない。
それにしても、愛も健司と負けず劣らずのツヤツヤ感を放っている。今日は少し低めの位置からツインテールにしていて、小動物の尻尾みたいに可愛らしく揺れていた。
「お兄ちゃん、何かいいことあった?」
「別に」
「ふーん。じゃぁ、クリスマスって予定ある?」
視線を鍋から愛に向けた。『じゃぁ』って何なのだ。おたまを握る手に力が入る。
「愛、相手が健司だからってクリスマスも油断するなよ? アイツはパッと見ヘタレっぽく見えるかもしれないけど……」
「はいはいはいはいはいはいはいはい」
愛は全く「はい」とは思っていない様子で、足取り軽くリビングから出ていった。スキップでもしそうな勢いだったけど、何だったのだろう。クリスマスに女の子と会う予定も無い惨めな兄を見て喜ぶような性悪ではないと思うのだけれど。
クリスマス。
無宗教な人にとってはただの祭りだ。なのに、なんで世間ではクリスマスだけが他の祭りよりも特別なのだろう。祝わなくても日常生活は何も変わらないはずなのに。どうしてこう、恋愛などの人間関係において勝ち組と負け組をくっきりと色分けするかのような物差しになってしまうのか。実にけしからん!
そんな悪態をつきながらも、頭の中で繰り返し再生してしまうのは文芽の姿。
一回目。
制服のチェック柄のスカートを翻してこちらを振り向く。
「一ノ瀬くん!」
文芽は、無茶祭の接客の時のように弾ける笑顔。前髪は横に流してある。薄化粧もしてる。
二回目。
無茶祭で着ていたメイド服で、中が見えるか見えないかの際どい長さの短いスカートを翻してこちらを振り向く。
「一ノ瀬くんになら、見せてもいいよ?」
恥ずかしそうに顔を赤らめる文芽。
三回目。
アイの衣装。すなわち深緑のひらひらミニドレスが脱げかけ。背中が露わになっていて、腕で胸元を隠している。振り向いた文芽の瞳は潤ってキラキラ。
「一ノ瀬くんのエッチ。でも……」
「好き」
文芽の腕がふわりと胸元を離れる。そして、ミニドレスがするりと床へ落ちて……
「私、好きな人と一緒にがんばりたい。がんばってる人って、素敵でしょ?」
脳内文芽はアラレもない姿でこちらへ歩み寄ってきた。
「私は夢を叶える。一ノ瀬くんは夢を見つける。それがいつか、どこかで重なるといいな。なんてね★」
文芽がゆっくりと手を伸ばし、俺の身体を捉える。二人の距離がゼロになる。そして……
気づいたら、俺は二階の自室のベッドの上で、妄想の世界の文芽に悶絶していた。
末期だ。
分かってるよ。誰がどう言おうと、多分俺は、文芽のことが好きなんだ。理由なんてあってないようなもの。考えるだけ無駄。好きになるって、きっとこういうもんじゃねぇの? 俺に力を与えてくれる存在。もう、可愛くて可愛くて仕方ない。
この運命には抗えない。
急に文芽に会いたくなって、スマホを手に取る。無茶祭の時の写真はすっかり宝物だ。ピュアな意味じゃなくて、別の意味での。
俺はれいの小説を最近読めてなかったことを思い出した。まずはブックマークリストをチェック。そこで驚いてしまった。なんと、かれこれ五日も更新されていなかったのだ。これは他の小説ではよくあることみたいだけれど、ご飯のお供先生の作品においては異常事態。慌てて活動報告もチェックしたけれど、こちらも何も更新されていない。
どうしたのだろう。
とりあえず、未読の最新話を読んでみよう。
明日はいつも以上に文芽のことも観察してみよう。
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