第24話 スチューデンツドゥーティー2

「俺は決めたんだ。一ヶ月は口きいてやらない!」

「もっと仲良くしましょうよ、義兄さん」

「俺は認めないからな!」

「そこをなんとか!」


 お馴染みの化学準備室にいる。俺と健司は試験勉強をしていて、恵介は誰かとスマホでやり取りしているようだ。今日は先生もいる。ちなみにうちのクラスの担任。年季の入ったおんぼろデスクトップパソコンにずっと向かっている。何をしているのだろうと思って背後から盗み見したら、幼女の写真のファイルを整理しながらニヤニヤしていた。思わず関西弁で『こいつ、あかんわ』と思い、見なかったことにした。


 前から変わった先生だと思っていたけれど。こりゃ事件とか起こされる前に疎遠になっておいた方が得策かもしれない。愛にも注意しておこう。愛はもう幼女じゃないけど念のため。


 健司は愛と両思いになれたお陰か、どこかツヤツヤしている。まさか既にヤったとか……そこまでは進んでいないと信じたい。でもそれも時間の問題か。別に、羨ましくともなんともないんだからな!


 俺は、長テーブルの上に近所の本屋で買った参考書を広げた。問題集も解いていく。カリカリとシャーペンが紙の上を叩く音だけが聞こえて心地良い。家よりも集中できた。


「で、お前らが急に勉強するようになったのはどういう風の吹き回しなんだ? ん? 正直に話してみな」


 せっかくの静寂は、俺が『危険性物』認定したうちの担任。先生が生徒の勉強を邪魔してどうする。年上だろうと、先生だろうと、あんなのを見た後では尊敬の欠片も抱けない。少し長めの髪と伸びた髭、タレ目がちな面立ちは一部の女子から支持されているらしい。ただの化学教師にしてはがっしりしすぎている図体。休みの日にはジムにでも通いつめているのかもしれない。


 繰り返す。

 別に、俺は羨ましくともなんともないんだからな!


「なんだ。無視かよ。そうだな……やっぱり女か? 女だろ?!」


 あからさまに挙動不審になる健司。愛と釣り合うためには頭が良くならなくてはならないとか言い出して、こうして一緒に放課後勉強しているのだ。健気というか、何というか。


 先生はふんと鼻を鳴らし、俺が座る革張りソファに腰を下ろした。美少女ならともかく、こんな男と狭い椅子でスキンシップしたくない。


「何ですか?」


 先生はおもむろに俺の肩に腕をまわした。俺の警戒レベルはさらにワンランク上がる。この人、もしかして守備範囲が広いのではないだろうかと。


「ノリ子と付き合ってるんだろ?」

「先生の癖に字名で呼んでいいんっすか?」

「さすが彼氏だな」

「そんなんじゃないって」

「あやめたん」


 健司と恵介がプッと吹き出した。俺は絶対零度以下の冷たさで先生を睨む。


「そう怒るなって! いいじゃないか。無茶祭ではすごい化けっぷりだったよな。元がいいし、スタイルも抜群だし、抱き心地良さそう」

「あげませんから」


 そこへ悪ノリする奴が約二名増えた。


「やっぱり痩せすぎはいけない」

「そういう意味で愛ちゃんは完璧だよな。さすが俺の彼女!」

「そういやノリ子、あぁ見えて接客すごかったよな! メイド喫茶とかでバイト経験あったのかな」

「俺もびっくりした! クラスの奴らもすっかりノリ子のこと見直してたし。要、さっさと告っとかないとヤバいんじゃない?」


 もはや勉強どころではない。


「だから……!!」


 次の言葉を発っそうとしたのに、俺の口は何かで塞がれた。見ると、口に突っ込まれていたのは焼きそばパン。何するんだ、この先生は。齧るとちょっと甘めのソースの味とごわごわした麺の食感が広がっていく。やっとのことでパンを嚥下したら、先生が急にクソ真面目な顔になっていた。


「俺はデニッシュパンの方が好きです」


 恵介はカレーパンだとか、健司はフランスパンが王道だとか言ってるけど、先生の表情は変わらない。


「一ノ瀬、人生の先輩として、ありがたいお言葉を一つ贈ってやろう」


 この先生からそんなもの出るわけがない。胡散臭いなと思いつつも、耳を傾けた。


「人生は一回だ。今この瞬間も一回きりだ。分かるな? 素直になれ。担任になってからずっと見てきたけど、今のお前はこれまでと違う。その理由は誰よりもお前が分かっているはずだ。せっかくのチャンス、無駄にするなよ」

「チャンスって何ですか」


 先生は目元に手を当てて、ふっと深い息を吐く。


「手に入れたいものがあるよな?」

「……夢とか?」

「そうか。そうきたか。でも、もっと具体的にあるだろ?」

「……手に入れるっていうか、手が届きそうにないというか。それにいくつも欲しがったら、どうせ無理って分かってるし」

「いいじゃないか。良い成績も、ノリ子も、夢も、全部手に入れればいい。もっと欲を出せ」


 欲ねぇ。物欲は元々少ないほうだ。目の前のことは、できるだけ自分で片付けるタイプだ。誰かに期待するのは不毛だ。でも、誰かに負けることも嫌いだ。そして、今までの自分が立ち止まっていたことを自覚している。やっと歩き出した。それは、紛れもなく文芽のお陰。


「好きなんだろ?」

「でも」

「でも?」


 ようやく、この羞恥プレイの実態に気づいた俺は、そそくさと勉強道具を片付け始めた。なんで野郎相手に告白の練習みたいなことさせられねばならないのだ。


 化学準備室から薄暗い廊下に出たら、背後に恵介が追いかけてきた。


「今度、ダブルデートしような!」

「メンバーが全く分かんないんだけど。誰来るの?」

「お前のとこは分かるよな? 僕は女神を連れていく」


 女神? 悪いけど、何もかも分かんないや。とりあえず、帰ろう。


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