第23話 スチューデンツドゥーティー1
「はぁ?! それ国立じゃん!」
文芽の家の前。アラベスク模様をかたどった黒い金属門の前で、自転車のスタンドを立てた。
「それがどうかしたの?」
その大学は隣の県にあり、日本人であれば誰もが知っているであろう名門。偏差値が相当高くないと入学できないのは想像に難くない。文芽はそこの文学部を目指しているそうだ。文芽曰く、夢だけに打ち込むことも考えたけれど、より人間として成長したりたくさん学ぶ機会を持った方が、長期的に見て優位になるとのこと。何だそりゃ。とにかくこれで、小説家志望がより濃厚になった。
「すごいとこ、目指してるんだな」
「……一ノ瀬くんは勉強嫌いだから、絶対に合格しないだろうね」
「絶対?」
こいつと居ると、なぜかすぐにカッとなってしまう。胸の中の触れられたくないところを逐一つついて来るというか、その匙加減は絶妙だ。煽られているのは分かる。それでも、見返してやりたくなるのは俺の性だ。
「俺はな、一年までは優等生だったんだ! 俺にかかればそんな文学部ぐらいちょちょいのちょいで合格してやるよ!」
しまったと思った時にはもう遅かった。文芽はこちらに向かって自分のスマホをつきつける。猫のストラップがゆらりと揺れた。
『俺はな、一年までは優等生だったんだ! 俺にかかればそんな文学部ぐらいちょちょいのちょいで合格してやるよ!』
少しノイズが加わった俺の声が、文芽のスマホのスピーカーから流れ出した。いつの間にか録音されていたのだ。
「言質はとったよ。でも一ノ瀬くんは文学部じゃないよね。どう見ても理系だもん」
確かに俺は理系科目の方が得意だ。って、なんで文芽がこんなこと知っているのだろう? いや、その前に言質って?!
「好き勝手ばっかり言いやがって」
何か言い返したかったけれど、物語などで登場直後に爆死する雑魚みたいな三流の台詞しか出てこない。
「だけどもう二年も後半だよ? 今からがんばっても間に合わないだろうね」
「やってみなきゃ分からんねぇぞ?」
「一ノ瀬くん。こういうのを『無計画』とか、『無謀』って言うんだよ?」
「分かった、分かった。じゃあ証明してやるよ。まずは来月の定期考査と模試の点数で勝負だ!」
幼い子の悪戯を窘めるかのような含み笑いをする文芽。「嫌な女」と罵りたくなった瞬間、文芽の様子がふっと柔らかくなった。
「一ノ瀬くん。今の私たちは、何にだってなれるんだよ。たっくさんの可能性を秘めてるの。なのに選択肢をはじめからしぼってるのは、自分の人生を否定してるのと同じ。将来何がしたいかなんて、まだまだよく分からないし、決められないかもしれない。それでも何かに向かって精一杯手を伸ばして、我武者羅に必死にジャンプし続けたい。いつか必ず手に入れてやるって思いながら、上を見続けたい。私は夢を掴みとりたいから」
文芽の声は、なぜか心地よかった。特別な波長を発しているかのようで。すっと身体に吸い込まれて、急に肩が軽くなった。
そっか 俺は俺を認めてやればいいのか。
「じゃ、文芽がジャンプして着地失敗した場合は、俺が受け止めてあげるよ」
「失礼ね」
「どっちが? さっきは弁当屋馬鹿にした癖に」
「あのね、弁当屋もわるくないよ。だけど、世の中には一ノ瀬君が知らないこともいっぱいあるのに、それを知らずにもう決めちゃうの?」
「どうせ全部知ることはできないと思うけど」
「そりゃそうだけど、でも、もっと大きくなろうよ。小さくて狭いところに引っ込んでないで、広い世界が見たいな。そうすれば、私、一ノ瀬くんにもっといろんなことを教えてあげられると思う」
こんな会話をする仲になるとは全く予想していなかった。文芽は小首をかざしてこちらの様子を窺っている。俺はそっぽを向いた。
この前ここに来た時よりも、今日は少しだけ時間が早い。まだ夕焼け空の茜色が差しているので、文芽の家は一層厳かに見えた。まるで映画に出てきそうな。中は誰もいないのか、真っ暗。外見が綺麗なだけに、この光の当たり具合では不気味さも際立つ。
「お前んち、お化け屋敷」
文芽はぎょっとした顔をしたけれど、すぐに唇を尖らせた。
「そこまでのボロじゃないわよ。ドングリも転がってないし」
元ネタが通じたらしい。俺はあの少年の影と自分が重なっているような気がしていた。少しずつ、小さなイベントを重ねて、もっと文芽のこと知ることができればいいな、なんて。
……って、俺、なんか変だ。
この感じは変だ。
嫌な予感ではないけれど、違和感がある。
それを誤魔化すように武者震いすると、自転車のスタンドをはずして跨った。文芽は「あれ? 帰るの?」とでも言いたげにしているが、気付かぬふり。
ちょっと一人になりたい。
そして、柄にもなくちょっと真面目なこととか考えてみたい。
それから、珍しく家でも勉強してみよう。
「じゃ、定期考査の解答用紙帰ってきたら報告しろよ」
「ほんとにやるんだ。不毛だよ」
「勝つのは俺だ」
口先では一端だが、内心は落ち着き払った文芽を前にたじたじだった。始まる前から負けているみたいじゃないか。
でも、俺は『やればできる』らしい。それが本当かどうか試すのは今だ。
くっそー
見てろよー?!
一定間隔で降り注ぐ街灯の灯りに照らされながら、俺は住宅街の路地を自転車で立ちこぎしながら全速力で漕いだ。
俺は、どうしたいんだろ。
何になりたいんだろ。
文芽にとって、俺は何なのだろう。
今のところ、ただの冴えない変態であることに自覚した頃、家に着いた。愛からの呼びかけには「ふーん」と「へぇ」で適当にやり過ごし、自分の部屋に入る。鞄の中からクリアファイルを出して、進路調査票を記入しようかと思っていた時。一緒に挟まれていたルーズリーフを見つけた。健司からもらった文芽のプロファイル。
目が、点になった。
そう言えば、文芽もあまり頭は良くないらしい。もしかしたら、勉強してない俺よりも悪いかもしれない。急に笑いがこみ上げてきた。勝利の確信。
でも、なぜか胸がザワつく。これには何か理由があるはずだ。ここは慎重に行こうと思って、今夜は家事を放り投げて勉強することにした。
本気を出したらどうなるか、目にものを見せてやる。
お陰様で、夕飯は愛が準備することに。食べられるものは、炊飯器で炊いた白米だけだった。今後のことを考えると、いろいろ不安になってきた。
こうして俺は、進路調査票には文芽と同じ大学の工学部を記載し、学生の本分である勉学に励み始めたわけである。勉強というものは、やり始めると面白いところもある。ゲーム感覚的なところがあるからか。正解したら嬉しいし、間違えたらくやしいし。やればやるほど、その分自分の実力が伸びていくのが実感できた。
だから、すぐには気づかなかった。
あの夜見た夢が、そのままあの小説の続きになっていたなんて。そして、いつの間にか更新頻度が落ちていたことも。
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