第20話 マイフューチャーマイラブ3

「勇者様、これであってますか?」


 アイは勇者の自室で二人きり。半開きの扉からは部屋の前に立つ衛兵が二名見える上、中は必要最低限のくたびれた家具しかなく殺風景なこともあり、ロマンティックな雰囲気は皆無。何よりアイの関心はただ一点、日本語に注がれている。


 もし日本語が読めるようになれば、勇者のレシピノートを解読して自分でも和食を作れるようになるかもしれないのだ。そんなことをしなくても、勇者から直々に教わればいいのだが、勇者も勇者で忙しい。今も王城の図書館から持ち出した骨董品のような古い本を広げて、元の世界に戻るためのヒントを探すのに夢中になっている。


 ちなみに勇者は、この世界に来て数ヶ月でこの国の読み書きをマスターしてしまった。……というのは嘘で、実は見るもの聞くもの全て自動翻訳されるというチートを持っていただけなのだが、アイは勇者にそんな力があることに気づいていない。


「うん、あってるよ。ちなみに、漢字で書くとこんな感じでいいんじゃないかな?」


 勇者は、勉強熱心でしつこいアイに、まず自分の名前を書けるようになることを勧めていた。そこで、アイは紙に『アイ』を何度も何度も繰り返し書いている。ようやく、古代の象形文字から日本語らしい形になってきたので、次は漢字を教えることにした勇者だった。


「これは何と読むのですか?」

「これもアイだよ」


 勇者が紙に書いたのは『愛』の文字。アイはその文字の形の複雑さに顔色を悪くしながらも、見様見真似で書いみた。そして最後の『はらい』を書いた瞬間だ。


 チャラランという安っぽい効果音と共に、アイが『愛』と書いた紙が突然宙に舞ったのだ。紙はピンク色のハート形をしたたくさんの花びらに変化して、はらはらと辺りに散った。呆気にとられて動けなくなったアイと勇者。そこへ廊下の方から誰かが走る大きな靴音が猛スピードで近づいてきた。


「アイ! 今の何?!」


 扉を押し開けて入ってきたのはアイの母親でもあり、この国の王妃であった。


「妙な魔法の波動が伝わってきたわよ!!」

「妙な魔法? これ、魔法だったの? 私はただ日本語を書いただけなんだけど」


 遅れてやってきた王妃付きの侍女たちは扉付近でおろおろしている。それにも構わず王妃は、アイの目の前にある机の上の紙を引っ掴み、目を走らせた。勇者の走り書きや、アイが文字を練習している紙である。


「これは……!!」


 アイは期待の眼差しを王妃に向ける。


「これは?!」


 王妃はゴクリと唾を飲み込んで、ゆっくりとアイの方を向き直った。


「読めないわ!」


 漫画のように床へずっこけるアイ。しかし、王妃からは貴重な情報がもたらされた。


「でも、これは間違いない。王家に伝わる古の魔法文字だわ! これは王家の血筋でないと使えないのよ。この文字で何かを書くと、それが現実になって現れるという魔法なの。『殺』とか『死』とかは駄目だし、他にも『エイを呼ぶ』とか他の人を動かすようなことはできないなど制約はあるけれどね」


 これには、それまで歴史書を読みふけっていた勇者も聞き入っていた。


「つまり、アイは俺を元の世界に戻せるかもしれないってことか?」


 王妃は少し上を見上げて考えるそぶりをする。


「そうね。帰還の魔法陣を出すということはできるかもしれないわね」

「じゃあ、明日にでも……」

「私は駄目よ。私は王家にお嫁にきた身。情報はもっていても、王家の血は引いていないからできないわ。病に臥せっている王か、アイに頼むことね」


 勇者はアイの方を見た。アイは俯いていて、勇者の方からは表情がよく見えない。


 アイは、唇を噛み締めて泣きそうになるのを堪えていた。せっかく『和食』への道が開きそうになっていたのに、勇者にいなくなられてしまっては困る。しかしアイには、和食への思い以外にも、チクリと心が痛むものがあった。


 勇者がいないと、寂しい。



 アイはブンブン首を横に振る。何も言わずに勇者の部屋を飛び出していった。







 目が覚めると朝だった。カーテンの向こうが白くて、鳥が鳴いている。勉強机の上には昨日帰宅して置いたままの通学鞄が寝そべっていた。そう言えば昨夜も勉強しなかったな。


 髪を手ぐしで整えながら、階段を降りて一階へ。トイレと洗面所へ行った後リビングに入ると、愛と親父がトーストを頬張りながら談笑しているのが目に入った。


 愛はすっかり制服に着替えて軽くメイクもしていてバッチリだ。まだ六時半だぞ。いったい何時に起きてるんだろうな。寝ぼけ眼のままダイニングテーブルの親父の向かいに腰を下ろし、既に用意されていた冷めかけのトーストに手を伸ばす。


「お兄ちゃん、昨日はすごかったね」


 隣から話しかけてきた愛は、今朝も元気いっぱい。こっちは朝が弱いんだ。テンション合わすのは正直キツイ。


「何が?」


 俺は横目で睨みながらトーストにイチゴジャムを塗った。


「寝言よ、寝言! おかげさまで良いネタが仕入れられたけどね!」

「ネタ? 勝手に部屋に入ってくるなよ」

「入らなくても聞こえたもん」


 愛は妙に上機嫌だ。対する親父は一人もくもくとトーストを平らげて、コップの牛乳も全て飲み干していた。いつも通りのマイペース。


「要」


 親父から声がかかるとなると、夕飯のことか、休みの予定のことぐらい。この歳になると、それ程会話はしないのだ。


「何?」


 別に仲が悪いというわけでもないのだけれど、俺の親父に対する返事はどことなくそっけなくなってしまう。難しいお年頃なんだよ。仕方ない。


「愛に聞いたぞ」

「ん?」

「小説読んでるんだってな」

「あぁ、うん」

「夢にまで見るそうだな」

「え?! なんでそれを知って……!!」


 隣でクスクス笑う愛。犯人はこいつか!


「要、知ってるか? 二次元とは結婚できないんだぞ?」


 分かっとるわーい!


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