第18話 マイフューチャーマイラブ1
イライラしていたのがおさまってきて、ようやく冷静になれたのは家に着く頃だった。俺は自転車をゆっくりと漕ぎながら、今日のノリ子、くるくると表情を変えるあの姿を思い出していた。
やはり作者だから、つまらないなんて俺が言ったことに怒ったのだろうか。それとも、コスプレするぐらいの強烈なファンだから、お気に入りの小説を悪く言われて悲しかったのだろうか。
なんにせよ、ちょっと言い方は悪かったかもしれない。それに、結局俺の当初の目的は果たせなかったのだ。
俺は、ノリ子にちゃんと謝るつもりだった。
秘密のことではなくて、ちゃんとあの時、泥水を被った時に助けなかったことを。
魔女はああ言っていたけれど、あまり信用ならない。『全身泥パック』なんてワードは明らかにノリ子が言いそうなものだけれど、やるならばちゃんと場所を選び、ちゃんとまともな方法でするべきだ。あの時のノリ子は、悲壮感すらぶっ飛ばしたような無表情だった。あまりにも痛々しいあの姿は強烈過ぎる。
ほっとけないのに。
ただ、見ることしかできなかった。
ノリ子は、もっと大事にされるべきだ。ノリ子自身ももっと自分を大切にするべきだ。ついでに言えば、他の誰かにも、いきなり自分の身体を触らせたりしているのだろうかと不安になってくる。男はラッキースケベ的な感じで済むけれど、女の子はそうではないはず。ある種の自傷行為にすら見える。
俺にできることはないかな。
謝ることができなかったけれど、俺はこれからもノリ子のクラスメイトだ。
そうだ。
『文芽(あやめ)』って呼ぼう。
当たり前のことだけれど、ノリ子の母親はノリ子を文芽と呼んでいた。本名は以前から知っていたけれど、改めて、この子は文芽なんだなって認識できた気がする。
こんなの自己満足って分かってる。
ちょっと他の奴らから変に思われるかもしれない。でも、それもいいかな?って思えるんだ。
家に帰って玄関に入ると、愛の靴が無いことに気づいた。愛のクラスも打ち上げがあるだろうから、それに参加しているのかもしれない。両親からは、今夜も帰りは深夜近くになると連絡が届いていた。
リビングのソファに沈み込んでテレビをつける。チャンネルを一通り変えてみたものの、見たいと思える番組はない。こんな時に限って一人きりだ。先に風呂でも入るかと思って立ち上がった時、玄関の方から物音がした。
「ただいまー!」
愛だ。
「おかえり。愛も打ち上げ?」
「うん。お兄ちゃんは打ち上げばっくれたんでしょ? 早速噂になってるみたいだよ」
噂って、俺がノリ子……じゃなかった、文芽の家に行ったことがもう広まってるのか?! 早過ぎるぞ。さすが田舎。娯楽がない土地ので、こういう悪い噂は光の速さで拡散してしまうのは知っているけれど。
「ノリ子先輩と、どこまでいったの? ねぇねぇ、教えて!」
にやにやした愛は俺の脇腹を突きにきたが、ここで素直に答えてしまうは兄としての矜持に関わる。それに、どこまでって言ったって、俺たちは喧嘩別れしただけで、何にも始まってはいないのだ。
「で、愛はこの事誰に聞いたんだ?」
「えーそんなの内緒!」
「ふーん、いいんだ? じゃぁ俺、愛の彼氏に挨拶入れとこうかなぁ?」
挨拶とは、もちろん喧嘩をふっかけるという意味。
「ダメダメ! 健司くん、あまり喧嘩強くないと思うから、そんなことしないで!!」
「健司……くん……?」
俺は、てっきり愛には彼氏がいないと思い込んでいたのだ。兄貴の恋愛気にするよりもお前も彼氏作れよとか言って形勢逆転するはずが、なぜこんなことに。しかも健司だって?
「それって、俺が知ってる健司?」
「そう! お兄ちゃんの親友の健司くんだよ。最近学校からよく一緒に帰ってたんだけど、今日は打ち上げ終わってから『会えない?』ってメールが来て、告白されちゃった」
「……で、即OKしたと?」
「ダメだった? だってお兄ちゃんの親友だから昔から知ってる人だし、お兄ちゃんも友達だから信頼できるでしょ? それにね、お兄ちゃんにも晴れて彼女ができそうだから、私達も幸せになってもいいよねー?!って健司くんとお話したの」
一瞬目眩がした。
糞っ。いつの間に! 俺の愛が……!!
健司は殴る。絶対に一発は殴る!
「うふふ。健司くんは、実家のお弁当屋さんを継ぐのが夢なんだって! 私は将来そこの看板娘に……!! って、奥さんになったらこんな言い方は変かもしれないね」
口元を手で押さえてクスクス笑う愛。お兄ちゃんは、あんなエロい奴の口車に乗るような女の子に産んだ覚えはありません! 当たり前か、俺、男だし。
あぁ、今から放浪の旅にでも出たい気分だ。そこへ愛は話題を変えてきた。
「そうそう! お兄ちゃん知ってる? 四ノ森先輩って留学するらしいね」
魔女が留学なんて初耳だ。
「健司くんが言ってたよ。打ち上げで発表があったんだって! お父さんが外国の会社の社長さんになったから、家族で引っ越すらしいよ。すごいよね!」
すごいことはすごい。そんなことよりも、拍子抜けだ。たぶん今の俺、豆鉄砲くらったような顔してるだろうな。
だって、何もかもそれで解決するのだから。
文芽はもう魔女に脅かされることはなくなるし、俺も交際を迫られたりもしなくなる。こんな簡単に話がまとまってもいいのだろうか。
今日は一日のうちにいろいろありすぎて、もう頭の中がショートしそうだ。俺はフラフラと風呂場に向かって歩き始めたが、廊下の中程までに行き当たったところでリビングの方を振り返った。
「愛!」
「愛は、その……」
「なあに?」
「健司とは……どこまでやった?」
愛の顔からすっと表情が消える。
「お兄ちゃんって肝心なところでデリカシーがないからモテないのよ!! サイテー! もう大っ嫌い!! 健司くんの『健』は健全の『健』らしいから、もう何も心配しないで!!」
同時に飛んでくる愛のスリッパ。見事に俺の頭にヒットした。
ぁんのやろぉ!!
健司の奴、明日は覚えてろよ?!
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