第17話 ウエスタンスタイル3

「美味しいですか?」


 ダイニングテーブルについているのは一組の親子。無心にサクサクという音を立てている。彼女達が頬張っているのは天ぷらだ。俺にとっては手抜き夕飯である。


 冷蔵庫を開けると、食材があるにはあるが、どれも使いかけで量が少ないか、腐りかけ。仕方なく残り野菜の手っ取り早い活用法を考えたところ、このメニューに決まったわけだ。


「美味しいわ!」

「あの、許していただけませんでしょうか」

「そうね。まだ高校生なんだし、節度あるお付き合いになさいね?」


 いや、そういう許しではなくてですね。でもまぁ、いいか。

 見ているこちらの胸がすっとするような良い食べっぷりの母親。対するノリ子は、無口なまま、小さな口でもぞもぞとマイペースにナスの天ぷらに齧り付いている。その様子は小動物的で、日頃学校では絶対に見られない姿だ。何も言わないけれど、これだけ食べているのならばノリ子の口にもあったのだろう。俺は味噌汁を啜って、ほっと息をついた。


 俺は勝手に上がり込んでいたばかりか、ノリ子の母親にまともな挨拶もできなかったお詫びに夕飯を作らせてもらったのだ。口ぶりから察するに、ノリ子もノリ子の母親も料理は苦手としているようだから、ちょうど良かった。


 食べ終わって、食器洗いから使用済みの油の始末まで済ませたところで時間を確認する。午後八時。そろそろお暇の時間だ。


「要くん、また遊びにいらっしゃいね!」


 ご機嫌な母親に挨拶をして、邸宅だとか屋敷だとか言えそうな家を出る。ノリ子は外まで見送るつもりなのか、一緒に後ろをついてきた。


「一ノ瀬くん」



 ノリ子は、あの深緑のドレスのままである。暗闇の中、白い脚が浮き上がって見える。


「じゃあな」


 一瞬、健司や恵介の家に行った時みたいに「今日もありがとな」と言いそうになった。どちらかと言えば、本日世話したのは俺なんだよな。


 やはり、この歳になると女子の家に上がり込むというのはハードルが高い。無茶祭という大仕事を終えた後ということもあり、妙に疲れてしまった。ノリ子のことも、踏み込めば踏み込む程地雷を踏んでいるようで、本当に心臓に悪い。

軽く手を上げて踵を返そうとしたその時だ。


「一ノ瀬くん」


 ノリ子が慌てて俺の正面に回り込んできて立ち塞がった。とにかく読めない女子、ノリ子。今度は何なのだろう。


 ノリ子は近づいてきた。すっとこちらを見上げる。おかっぱ髪がさらりと背中側に流れて、ノリ子の顔がよく見えた。頬にほんのり赤味が差しているように見える。視線を交わらせていたのは二、三秒。


 ノリ子は目を閉じた。冷たい風が通り抜ける。気の早い人は、もうマフラーを巻き始めるこの時期。夜のこの時間にもなると、少し肌寒く感じられる。


 俺はノリ子の唇を見つめた。


 これって、

 もしかして、

 キス待ち?



 昼間、額を出したヘアスタイルのノリ子を見て確信していた。実はノリ子、可愛い系の美人である。母親譲りなのだろう。


 それに、ちょっと振り返ってみよう。


 放課後の教室に二人きりになって乳探りあい、文化祭の打ち上げを二人でばっくれて女子の家でまたもや二人きり。俺の前で着替えなんて大胆なことをして、母親まで紹介されている状態。


 あれ。これって、彼氏並みの親密さなんじゃ……。


 女の子と付き合ったことは何度かある。中学の時に三人。いずれも、なぜか妹の愛に劣等感を感じただとか言い出して、向こうから別れを切り出されている。つまり、自分の容姿と誰かと付き合っているというステータスにしか興味がないのだ。俺は別れてもあまり寂しくなかった。休みの日、家事ができる時間が確保できて良かったなと思うぐらい。愛のことも、俺の大切な妹なので、俺の恋愛の妨げになるという感覚は皆無。むしろ、愛と仲良くなってくれることが『俺の彼女』の条件と言ってもいいぐらいだ。


 その点、ノリ子は愛と同じ小説を読んでいるのだから、多少は共通の話題があるだろうから好条件である。愛も、ノリ子『先輩』と呼ぶぐらいだし、本人自身は自分の容姿に鼻をかけるタイプじゃないだけあって、他の人にも何かと寛容だ。


 そして最後に、俺はノリ子のいろいろを知ってる。この手に、この目に、その記憶が刻まれている。


 はい、自己分析はここまで!



 要するにだ。俺がこのままノリ子とキスして、その後うっかり告白とかされちゃって、あれよあれよという間に付き合うことになってしまっても構わないわけである。




 よし。


 こういう経験はあまり無いけれど、こういう時はいくしかないだろう。



 俺は、ノリ子の肩を引き寄せようと手を伸ばした。


「はい、時間切れ」



 え?


「一ノ瀬くんって、Sなの?」

「ちがうちがう!」

「じゃあ、M?」

「なんでそうなんの?!」


 全身の身振り手振りで否定する俺。それを見たノリ子の目が怪しく光った。


 これはまずい。



 と思った瞬間。ノリ子の手がすっと目の前に伸びてきた。突き出した人差し指が、俺の口の中に突っ込まれる。咄嗟のことに、うっかりその指をちろりと舐めてしまった。


「こら! くすぐったいでしょ!」


 すぐに指を引っ込めたノリ子はすたすた家の方へ歩いていった。何なのだ。おい、母親、ここの娘も挨拶ができない子みたいだぞ?


 急に負けたような気がして、腹が立ってきた。同時にちょっと良いことを思いつく。



「文芽!」



 ノリ子の動きが止まった。ゆっくりとこちらを振り返る。俺はノリ子としっかり目を合わせた。


「『色気より食い気 アイは煩悩で世界を救う』っていう小説、知ってるよな?」


 ノリ子の表情が固まった。うん、やはり小説が深くノリ子に影響を与えているのは確かなようだ。



「俺もあれ、読んでるんだよね。小説なんてほんと読んだことなかったけど、あれは好き。面白いし。でも」

「でも?」


 俺は、期待の眼差しでこちらを見つめるノリ子に気づいていなかった。だから、うっかりこんなことを口走ってしまったのだ。


「最近マンネリ化してるのか、展開遅いし、ちょっとつまんなくなってきてる」


 その後に訪れた静寂の長さで、はっと我に帰る。俺は、小説の今後の展開とかをお互い予想しあって一緒にワクワクすればいいかと思ってた。ほんとに悪気はなかったんだ。


 ノリ子は俯いていた。



「帰って!!」



 言われずとも帰りますとも。だいたい連れ込んだのはお前だろ。

 俺は心の中で悪態をつきながら、今度こそノリ子の家を後にした。


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