第8話 バッドデイ2
一人だけ体操服で授業を受けるノリ子の横顔をチラ見しながら、気だるい午後は過ぎていく。帰り道に寄る予定だったスーパーのタイムセールは諦めて、鞄を肩から担ぎ、屋上へと向かった。
呼び出しというものには、良い思い出がない。付き合ってくれと言われるだけなら、まだいい。「これ、食べてください」と紙袋を押し付けて走り去っていくケース。これは危険な場合が多い。中身はたいていスイーツなのだ。渡してくれた彼女達なりの愛がふんだんに含まれているのかもしれないが、食べるにも、むしろ見るだけでも胃もたれしそうな可愛らしすぎる外見には目眩がする。俺は甘いものが苦手だ。
もちろん、魔女からの呼び出しも悪い思い出の一つ。その後も偶然を装って頻繁に話しかけにくるが、俺はOKした覚えが全くない。「恥ずかしがらなくていいのよ?」とか言われるけれど、魔女にはもう少し自らの行動を省みて恥ずかしがってほしいところだ。
さて、本日の呼び出しはどんな用件なのだろうか。なぜか呼び出しについてきた友人二人。もしかして、俺は頼りなく見えるのだろうか。小学生の初めてのおつかいでもあるまいし。こそこそと物陰に隠れながら尾行しているようだが、完全にバレバレである。
「来たわね」
夕方の屋上。今日は少し風があるので爽やかだ。室外機の羽の音だけが響く。委員長は相変わらず仁王立ちだった。なぜこんなにも怒っているのだろう。心当たりと言えば、授業中居眠りしすぎていることぐらい。
「後ろの二人は無視するとして……」
さすが委員長。華麗なるスルー。
「単刀直入に言うよ?」
そう言いながらも、口をつぐんだままの委員長。こんなところで、タメを作らないでほしい。いくなら一気にいってくれ。
「一ノ瀬くん……あなた、分かってるの?」
言葉が足らなさすぎる。
「何のこと?」
「彼女のことに決まってるでしょ!」
彼女か。彼女と言えば、彼女のことしかないよな。
俺の頭の中では昼間の事件のことがずっと尾を引いていていた。目を閉じても、人形みたいに無表情になった泥まみれのノリ子の姿しか出てこない。
「なんであんなことになったと思う? 一ノ瀬くん、昨日の夕方、教室でノリ子と密会してたでしょ? 運動部の何人かに見られてたんだから!」
「え……」
それって、俺が秘密にしておく以前に、ノリ子の秘密は皆にバレてたんじゃ。
「そしたら、もちろん魔女の耳にも入っちゃうわけ! もう分かったでしょ? 一ノ瀬くんのせいなんだからね!」
魔女がノリ子に八つ当たりしたってことか?
全ての音が消える。俺の周りにあったありとあらゆる物の気配が消えて、俺はただ一人になった。この世の全ての生き物が死んで、一人ぼっちになったみたいな気がした。いや、そうなりたかっただけなのかもしれない。
俺のせい?
俺のせい?
俺の……
逃げたい。
逃げたいけれど、
ノリ子、どう思ってるんだろう。
昼休み、三階の教室から見えたノリ子は、昨日の彼女とは同一人物に見えなかった。あの時は、あんな大胆な台詞を吐いてニヤリと笑っていたのに。実は、普通の女の子なのだ。でもこんなこと、他の誰が知っているだろうか。
そうか。
もしかして、ノリ子の秘密って……
「ちょっと待ってよ! そんな顔されたら、私がイジメてるみたいじゃないの!」
「あ、ごめん、ごめん」
「っていうわけで、一ノ瀬くん! 」
委員長はビシッとこちらを指差した。
「さっさと魔女をやっつけなさい! これは学級委員としての命令よ!」
「はぁ……」
やっつけろと言われても、できるものならとっくにやっている。相手が腐っても女子だからこそ、こちらも打てる手が少なくて困っているのだ。正直なところ、時間で解決するしかないと考えていた。
「そんなやる気のない返事は駄目! もしかして、一ノ瀬くん、魔女のこと好きで庇っているの?」
その瞬間、どこかがプチっと切れた気がした。ん? 今、何て言った? 俺が、魔女のことが好き?!
「あんな奴、大っ嫌いだ! できるものなら、ファンタジー小説に出てくる火の魔法ぶっ放して丸焦げにしてやりたいよ!」
しまった。気づいたら、ノリ子の小説に影響されすぎているのか、ものすごく恥ずかしいことを叫んでいた。厨二だとか言われて笑われることを覚悟して、反らしていた視線をそっと委員長に戻す。
委員長はきょとんとしていた。こんなあほ面もできるのかと、こちらこそ驚いてしまう。委員長も、普通にしていれば可愛い方なのだ。うちの妹には負けるけどな。
「……い、一ノ瀬くんっ! わ……私、あなたを助けてあげても、いいんだからね? だって、ほら! 私、学級委員だし」
なぜこのタイミングで顔が赤い? 急にもじもじされて調子が狂う。確か今の今まで真剣に真面目な話をしていたはずなのに。何なのだ、この緩い空気は。
女子とは、つくづく不思議な生物なのである。
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