第2話 ファーストコンタクト1

「やっぱりこの後は、勇者様が現れるのかなぁ? 次の更新が待ちきれないよね! ……って、ちゃんと聞いてよ、お兄ちゃん?!」


 振り向くと、ダイニングテーブルからスマホ片手に身を乗り出す妹の姿があった。

 午後五時。高校から帰ってきたら夕飯の支度をするというのも、すっかり板についてしまった。うちは親が共働きだから、兄である俺が家事のほとんどをこなす。だってほら、妹に俺の洗濯物とか触られるのもちょっとな。逆はアリだけど。ん? アリなのか? まぁ、細かいことは気にしないでおこう。


「お兄ちゃんも読んでみなよ。『色気より食い気!アイは煩悩で世界を救う!』って検索したら、すぐに出てくるから!」

「えっと……それってケータイ小説っていうやつ?」

「あぁ、もう、全然分かってないなあ! 今時はね、ウェブ小説なんてすっごくメジャーなの! 書籍化してる作家さんなんていっぱいいるんだから! それぐらい質の良い作品がタダで読めちゃうんだよ?」


 妹はぷっと頬を膨らませた。彼女の名は一ノ瀬愛(いちのせ ちか)。近所でも、高校でも、評判の美人である。あ、俺? 俺は一ノ瀬要(いちのせ かなめ)。うちは一歳違いの兄妹だから、時々上下を間違えられるけれど、俺の方が絶対にしっかりしていると思う。


「愛、世の中タダよりも怖いものはないんだぞ?」


 愛は、校則に引っかからない程度に茶色く染めたサラサラの髪の毛をくるくると指先に巻きつけて遊んでいた。色白でぱっちりとした黒目がちの瞳。凝ったデザインがオシャレなブレザーの制服もよく似合う。確かに可愛いんだろうけれど、家族ともなれば見慣れたものでときめかない。ときめいたら病気だ。



「お兄ちゃん、私ね。もっと共通の話題が欲しいの」

「そんなの無くても、俺たち十分仲良いんだから、それでいいじゃん」

「そうだけど……でもね、私、もっと、仲良くなりたいの」


 いつの間にか隣にやってきた愛は、きゅっと俺のシャツの端を握りしめてこちらを見上げた。睫毛が長い。しっとり濡れた唇。やたら主張している形の良い胸。その全てが目の前にある。思わず握っていた包丁を落っことしそうになるのを踏みとどまり、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 しっかりしろ、俺! 妹だぞ、妹!


「……俺も、読んでみるよ」


 あっという間に妹に『おとされた』俺は、台所のシンクで手を洗うと、通学鞄の中をまさぐった。無い。中にあった教科書なども全部外に出して、鞄を逆さにひっくり返す。無い。スマホが、無い。


「あれ。お兄ちゃん、スマホ学校に忘れてきちゃったの?」

「そうみたいだな。ちょっと学校行ってくるわ」


 そう言えば、今日はまだ制服を着たままだった。ちょうどいい。家の鍵と財布だけをズボンの後ろポケットにねじ込むと、むっと蒸せかえる外へ飛び出した。残暑が厳しい九月は西陽もキツい。眩しさのあまり目を細めながら、自転車を立ちこぎして日が沈む方角へと向かった。


 俺が通う県立夢茶工茶高校(けんりつむちゃくちゃこうこう)は、大きな川沿いに面している。堤防の上には桜並木があって、春は花見スポットとしても有名だ。走る野球部員をスイスイと追い越して、ガランとした駐輪場に自転車を止めた。現在五時半過ぎ。確か先生の見回りは六時なので、まだ教室は開いているはずだ。


 人気の無い廊下はどこか気味が悪い。トイレは電気が消されていて真っ暗だし、いつもは目につかない掲示板ポスターへの落書きなども目に入る。自分の足音だけが校内に響き渡っている気がした。


 二年八組。やっとの思いで到着した教室。引き戸に手をかけたが開かない。鍵がかかっていたのだ。おかしいなと思いつつ、脇にあった深緑色の汚いカーテンを押しのけて、壁の小窓から教室の中を覗きみた。


「えっと、誰だっけ?」


 教室の中には一人の女子生徒が窓際の辺りに居た。腕を組んだまま、椅子に登ったり降りたりと昇降運動を繰り返している。暑い中、何をしたいのだろうか。格好は普通の制服のままだし、一人きりなので運動部の練習というわけでもなさそうだが。


 どうしよう。なんとなく嫌な予感と面倒くささが相まって回れ右しようとしたその瞬間。



 俺たちは、目が合った。



「あ、ノリ子だ」




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