ブランチポイント〜俺と君と小説と〜

山下真響

第1話 プロローグ

 ここは切り立った山脈に囲まれた内陸部の盆地。高く澄み切った青空では、今日もワイバーンが大きな翼を広げて地上の獲物を狙っている。


「今日という今日こそギッタギタのグッチョグチョにしてやんよ?!」


 主人公の姫君アイは、赤メッシュの入った長い黒髪を風にたなびかせて、王家に伝わる宝剣を頭上に掲げた。この剣、形は剣の癖に刃が潰されていて、近接戦闘には向かない。決して、アイが馬鹿力で剣を壊したのではなく、元々こういう仕様のものなのだ。


 アイは詠唱を唱え始めた。火鼠の革で仕立てられた高級マントがふわっと広がる。


『集え万人の煩悩よ! 我が欲望のままに大きな火の渦と成りて、いざ果たさん積年の恨み!』


 詠唱なのか、宣戦布告なのか。それは唱える本人ですら区別することは叶わない。言葉はともかく、これで剣の魔法はきちんと発現するのだ。


 次の瞬間、剣の切っ先に赤い炎が球状に丸まったものが出現した。所謂ファイヤーボールである。


「行けー!!」


 アイが宝剣を上から下へ薙ぎ払うかのように振り下ろすと、ファイヤーボールは見る間に巨大化し、ワイバーンの群れへ向かって突っ込んでいった。

 固唾を飲んで戦況を見守るミイの護衛達。微動だにしないのは、剣を振るった瞬間、アイのスカートの中身が見えて狼狽えているからではない……はず。いや、実はここまでがアイの作戦通りなのだ。何しろアイが扱う剣から放たれる魔法は、人間の煩悩を動力源としているのだから。



「今日はイチゴ柄だ……」

「布地の面積が狭い……」

「ワイバーンの肉って、珍味だけど美味いよな」


 図体のデカイ護衛達が、足場の悪い岩場でキリリと表情を引き締めたアイを見上げている。これは、呆けているとも言う。

 アイのファイヤーボールは、前方の空一面に広がっていった。既に先程まで飛翔していたワイバーンの姿はない。ただのファイヤーボールではなく、エリア拡散型の強力なタイプだったらしい。真っ赤な空を眺めて不敵に笑うアイは、まるで悪役のようだ。


「姫さん、やっちまったんじゃないか?」


 護衛達が撤収作業を始めようとしたその時だ。


「私がこんなことでやられると思ったら大間違いよ?!」


 アイの炎で焼け落ちたワイバーンからもくもくと上がる煙が広がり、やや視界が悪くなった空。薄っすらと見える太陽の方角から、何かが高速で落下してきた。


「エイ!まだ生きていたなんて!」


 黒いローブに黒いトンガリ帽子。緩やかなウェーブを描く紫の髪に真っ赤なルージュが妖しく煌めく。彼女はアイの天敵、魔女のエイだ。ワイバーンを従えて、樹海の奥深くで暮らしている。


 アイは反射的に持っていた宝剣を翳して防御の姿勢を取った。アイは魔法は得意だが、こういった剣を使った戦いは苦手である。対するエイは、魔物を従える力はあるものの、普通の魔法はからっきし。


「魔女の癖に魔法使えないなんてバーカ!」

「はっ?! 姫の癖に剣も嗜んでいないなんて、頭おかしいんじゃないの?!」


 アイは必死に速いエイの剣の動きについていく。しかし、完全にエイの方がが押していた。護衛達は……完全にエイの美しさに目を奪われて、見惚れている。相変わらず使い物にはならない。アイの国は貧乏なため、優秀な冒険者を雇うことができないのだ。


「あーら、今日は愛しの勇者様は来ないのね?」



 エイには世間話する余裕すらある。


「彼は……彼は、きっと……来てくれるはずよ!!」


 アイは、ついに泣き出してしまった。


「私は、決めたんだから! 私はいつか、勇者様と一緒に海へ行くの! そして、鰹っていうお魚を絶対に釣り上げるんだから!! だから私達の邪魔をしないで!」


 勇者様とは、一年前、アイの王国に突如現れた男のことだ。名前はケイ。アイが住む世界とは別の場所にある日本という国からやってきたらしい。とりわけ腕力があるというわけでもないし、強力な魔法が使えるわけでもないが、時折独自の知識を利用して戦闘道具を創り出し、それを駆使して魔物を大討伐することがあるので、勇者と呼ばれている。


 アイは、王城で保護している勇者から、和食というものを馳走してもらったことがあった。それは、芋の煮物であったり、スープであったり、全体的に茶色ばかりで彩りは悪いのだが、どれも美味なのだ。どんな隠し味を入れているのかケイに尋ねたところ、返ってきたのはこんな答え。


「鰹節だよ?」

「それ、どんな魔物を倒したらドロップするアイテムなの?」

「ん? いや、そんなのじゃなくて、海に行ったら鰹っていう魚がいてね、それをアレコレして乾燥させた後に、カンナみたいな道具で薄く削るんだ。それを料理の出汁に使うと……」

「勇者様!今すぐ私と海に行きましょう!」


 と言ったものの、アイは海という存在は伝説の中でしか知らない。ここは深い山の中。隣国との繋がりも薄いこの国には、蓄えられた知識や情報もほとんど無い。


 そこへ、いつものように魔女が現れた。暇な時は、国を乗っ取りにやってくるのだ。アイは尋ねた。


「海がある方角を教えなさい!」



 エイは物知りな魔女なのだ。


「タダで教えるものですか!そんなことより、若い男を寄越しなさい! そうよ、勇者という男がいいわ!」


 エイは男好き。アイも指定されたのが勇者でなければ、王女特権で男をエイにあてがったかもしれない。けれど、アイにとって勇者は特別なのだ。アイの知らないことをたくさん知っている。いつも笑顔でキラキラしている。何より、美味しいご飯を作ってくれる。


 それ以降、アイとエイの対立は激化。アイは宝剣を手に取り、鰹出汁の料理をたくさん食べるために……ではなく、国を守るために立ち上がった。


 さて、場面を戻そう。


 エイの剣さばきは鋭い。ついに、アイの髪が一束切断され、風に流されて空へと散っていった。それに気を取られた瞬間、頬にも一筋傷が入り、血がつっと首に向かって流れ始める。まるで魅了の魔法をかけられたかのように、エイへ熱い眼差しを送ったまま動かない護衛達。アイは息も切れ切れで、倒れるのも時間の問題。アイは王家の一人娘であり、ここで死んでしまっては国がエイのものになってしまう。しかも、勇者が元の世界から持ち込んだ鰹節はもう残っていないので、このままでは二度と和食が食べれなくなってしまうのだ。


 アイは叫んだ。


「勇者様ー!」




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