第2話 紅雀(ver2.0)



「依頼はとても簡単だ。高等部の奴四人の証言を取ってくるだけでいい。本当にそれだけでいい。探偵なら楽なお仕事だろう?」


 俺に下着を見せながら不敵に笑うこの頭のネジが緩んでいる少女を見上げながら、俺は言葉に窮した。


 目には爛々とした光が宿り、正常には見える。


 見目は黙っていれば絶世の美少女といった様子だが、この奇抜さえ通り越して奇行に走っているのはいかがなものか。


 それに、こんなに偉そうにしてなんだというのだ、痴女の分際で。


「それは探偵というよりもパシリなお仕事だろうが」


「言うな、へなちょこ探偵の分際で」


 中等部の少女が腰を落としてきて、俺のお腹の辺りに馬なりになると、俺の事を獲物を見つけて舌なめずりをしている猟師のような目で見下ろしてくる。


 しかも、下着は見せつけているかのようで、やはり常識外の行動をされて俺は当惑を隠せなかった。


「あたしがここまで見せてやっているんだ。当然受けるよね?」


 俺が受けて当然といった態度が癪に障る。


「受けないと言ったら?」


「痴漢には鉄拳制裁だ」


「はぁ?」


 少女が笑みを浮かべながら、右手を振り上げて拳を作った。


「……わ、分かった。で、俺はどうすればいいんだ?」


 この少女は本気なのだと理解した。


 この状況だと、本当に痴漢だなんだとわめき立てて、俺を地獄の底へと突き落とす事も可能であった。


 まずはこの状況を打破してから事態を好転させるしかあるまい。


「……その前に、だ」


「ん?」


「あたしが来た事にも気づかずに思案にふけっていたようだが、何を推理していた? あたしに言ってみるがいい。あたしはこう見えても、名探偵と呼ばれているのだ」


 少女は上げていた拳から力を抜き、そのまま俺の顔の方へと下ろしていき、人差し指で俺の唇をなぞる。


「言え。何を推理していた」


 有無を言わさぬその眼光に射すくめられ、俺は白ワニ事件とこの三週間の間に起こったあらましを説明した。


 もちろん少女に馬なりにされたまま……。


「……なんだ。話以上のへなちょこではないとは。前者の推理が正しい。懲戒免職とバンドの解散は藤沼善治郎の身辺整理とも言える。多額の報酬を手に入れたから高飛びする予定だったんだろ。それが報酬とは証明できはしないが」


「高飛び? 報酬?」


 俺が知らない何かを知っているというのか、この痴女は。


 下着を見せ続けている事に恥じらいさえ感じないのも確実に何かがおかしいが、何かのっぴきならない雰囲気というものを少女に感じ始めた。


「数ヶ月前に尼子グループのどこかの会社で現金五千万円が強奪された事件があったはずだ。防犯カメラが故障していたため、犯人の特定はできず、だったはずだ。おそらくはその五千万円が藤沼善治郎の報酬だ」


 そんな事件あったか? などと思って回想してみる。


 そういえば、じいさんが『尼子ファイナンスから五千万円が』とか言っていたような気がする。


 ……そうか。


 屋上で訊いてきた『五千万円』はその『五千万円』だったのか。


 あの時点で、古城有紀と尼子美羅は、藤沼善治郎が五千万円を受け取って、事件を起こそうと、いや、起こしているのを勘づいていたのか。


「その件と尼子美羅とやらが襲われた件で古城有紀が尼子宗大のシナリオを察知して事前に手を打った……それだけの話だ。それにな、古城有紀にお前が選ばれたのは信頼されていたからだ。信頼できそうもない奴を巻き込むつもりはなかったはずだ。古城有紀と尼子美羅とで片付けるつもりだった藤沼善治郎をとっ捕まえたお前は、古城有紀の想定以上の働きをしていたという事だ」


「はぁ……」


 にわかには信じられそうもない。


 あの件において、俺は大馬鹿野郎でしかないからだ。


「そして何よりお前に欠けているのは全体を見渡す視野だ。それが欠損していたからこそ、へなちょこな推理をしてしまう。それにだ……」


 少女はやれやれ、と言いたげに片目だけとつり上げながら鼻で笑った。


「お前の推理が間違った理由は『恋は盲目』だ。古城有紀を神聖化してしまっていた。だから、目が節穴になってしまった。それだけだ。そんな事だから、八丁堀姫子に愛想を尽かされるんだ。今頃になって失恋したのだと自覚したのだからふぬけになるのも無理はない。そんな元カノに未だに心ひかれているのを目の当たりにして、姫子が傷心しているのは当然の結果とも言える」


「なっ!?」


 何故俺が姫子に愛想を尽かされた事を知っている!


 何でこの痴女は俺の事をこれほどまでに見抜いているんだ。名探偵の姪という話だが、本当なのか?


「最近、元気だけの取り柄の姫子が上の空だという話があってな。最近の状況を鑑みれば簡単に分かる事だ。そういった事がお前はできなかった。ならば、できるようになればいい」


 俺は言葉を失っていた。


 周りからは探偵と言われている俺などよりも、この痴女の方がよっぽど探偵をしている。こんな奴が中等部にいるとは恐れ入った。


「さて、あたしが推理してやったのだから依頼は受けてもらおう。その上、下着まで好きなだけ見たのだから、もう拒否はできまい」


「下着って……」


 目と鼻の先にあるような白の下着に視線を向かわせる。


 白の下着にわずかな染みができている事に気づいて、その意味を確かめるように少女の顔を見上げる。


「鉄拳制裁、決定」


 秘密を見たな、といった残酷な笑みを浮かべ、少女は拳を再び振り上げて、そして、容赦なく振り下ろしてきた。


「一応名乗っておこう。あたしは、紅雀楓べにすずめ かえで。お前に依頼したい事は、高等部の四人からとある件について証言を聞いてくる事だ。後でメールを送る。メールアドレスを教えろ」


 一発頬を殴った後、何事もなかったかのように紅雀はそんな事を言ってきた。


 しかたなくメールアドレスを教えると、ようやく馬なり状態から解放された。


 自分勝手な女だな、こいつは。


「本物の探偵をお前に見せてやろう。もうほぼ解決しているのだが、裏付けが欲しいんだよ、あたしの推理のな」


「というか、何の件の証言が欲しいんだ?」


「覚えてないか? 今年の始業式で尼子宗大に生卵を投げられた事件があったろう? あの事件に関する事柄だ」


 始業式でお偉いさんが何人か檀上に上がって退屈な話をしていた記憶がある。


 だが、尼子宗大がいたのかは記憶にない。


 白ワニ事件において何度か名前は挙がっていたが、見た事はないと思っていた。どうやら、俺が覚えていなかっただけのようだ。


「覚えてないって顔をしているのか。だから、へなちょこなんだよ、お前は」


 先輩にお前お前言うお前はどうなんだ。


 そう言いたくなるのをグッと堪えて、俺は本物の探偵と自称する紅雀楓の手腕を見てやろうなんて思っていた。





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