第6話 口裂け女の正体(ver2.0)


――――――――――6月10日 12:20



 美術室の件で話を聞きたくて尼子美羅のクラスに行ってみたが、今日は病欠であった。


 しかも、白ワニ事件の関係者は誰も彼も欠席していて、俺にできる事は放課後まで待つという選択肢しかなかった。


 やる事がないからと無為に過ごすワケにはいかない。


 今朝、有紀が出した設問の答えを授業中であろうと昼休みであろうとずっと考えていた。


 しかしながら、有紀が語っていたあの文章だけでは正解を見いだすのは難しい。


 領主もそうであるが、領主の娘も、どのような性格をしているのかが明示されてはいないのだ。


 それでは、正解を導く道しるべがないようなものである。不完全な問題である以上、答えを出すことは不可能に近い。


 だが、俺は拘らなければならないだけの理由がある。


 それは、今朝、有紀が嘘を吐いていたからであった。


 あの嘘があの設問と関連している……そんな予感がしてならなかった。




 * * *



――――――――――6月10日 16:41


 回答を見つけられないまま、放課後が訪れた。


 学校が終わるなり、俺は姫子が入院したという病院へと急いだ。


 姫子が入院したのは、駅前の市内では大病院の部類に入る東茜色病院であった。


 大した怪我ではなかったのにも関わらず、じいさんが検査入院という体で無理矢理に入院させた。


 可愛い孫娘に何かあっては大変だとの事らしいが、大げさすぎるとは瀬名の談である。


「あ! お兄さんだ!」


 瀬名から病室の番号は聞いていた。


 迷うことなく件の病室へとたどり着き、ドアを開けた時、姫子はベッドに横になっていて、手持ち無沙汰といった様子でぼけっとしていた。


 俺の顔を見るや否や、パッと顔を輝かせたのである。予想に反して、病室には姫子しかおらず、じいさんの姿がなかった。


 あの頼み事を反故しようとでもいうのだろうか、あのじいさんは。


「元気そうだな」


 姫子はピンク色の入院着を着ていて、その姿を見ているだけで入院している事実を突きつけられた。


「うん。二回ほど警棒で殴られただけだったから大した怪我はしてないんだよ」


 姫子は元満面の笑顔を俺に見せて、俺を安心させようと元気を振りまいていた。


 大した怪我はしていないという話だったからこそ、そんな顔ができるのだろう。


「最初の一振り目は右足を狙われたんじゃないか? で、倒れたところを追い打ちで一撃みたいな感じか?」


「……え? 誰から聞いたの? 」


 自分から説明する楽しみを奪われたのが不満だったのか、姫子は口をとがらせて、不機嫌そうな顔をした。


「いや、卑怯者のやりそうな手口だと思ってな」


「卑怯者なんだ、口裂け女って。話に聞いていた口裂け女と違って怖かったんだよ」


 姫子は襲われた時の事を思い出してか、身震いして見せた。


「……ほぉ」


「お兄さん。だってね、赤いコートの合間から覗いていた喉のところに蟲が蠢いていたんだよ! 蟲だよ、蟲! 上下に動いていたんだよ! 喉に蟲が蠢いていたんだよ!」


 襲われた時の恐怖を思い出したのだろう、興奮して声をうわずらせていた。


 俺はそんな姫子を冷ややかな目で見つめていた。


 喉に蟲などいるはずがない。


 蟲を見たというのは、姫子の錯覚なのだ。


 姫子に事実を伝えるべきなのだろう。伝えてしまえば、姫子はきっとがっかりする事だろう。


 だが、伝えなければいけない真実というものがある。


「……姫子」


 俺は覚悟を決めて、重くなりつつあった唇を開いて、のし掛かってくる躊躇いを振り切る。


「どうしたの改まって? あ?! お兄さん告白する気なんだ! 私が入院しているのを見たら、急に愛おしく思っちゃったんだよね! 受け入れ準備はオッケーだよ、お兄さん!」


 恐怖心があさっての方向に向かってしまったのか、興奮した口調でそんな事を口走り始めた。


 俺はため息を吐いて、


「残念なお知らせだ。姫子を襲ったのは、口裂け女じゃないんだ」


「ううん、きっと口裂け女だって!」


「喉に蠢いていた蟲の正体は……だ」


「……ほへ?」


 姫子は目を点にして、何度も何度も首を傾けた。


 茜色学習塾の前で赤いロングコートの人物に遭遇した時に俺は言いようのない違和感を覚えた。


 俺はその外見から目の前にいた人物を『女』だと思ってしまった。


 その勘違いを補強してしまったのが、姫子の『口裂け女みたいだったね、あの人』という発言であった。


 あの発言がなかったら、俺は違和感の正体に気づいていたに違いない。


 深く息を吸い込んだとしても、喉は見て分かるほどに『』はしない。


 喉仏を見て、隆起しているなどと俺は思ってしまったのだ、あの場面では。


「男には見てわかるほどの喉仏がある」


 俺は顔を上げ、姫子に俺自身の首を見せて、喉仏を指さした。


「しかし、女には喉仏はあるものの、男の喉仏みたいにはっきりと浮き出ていない。姫子には先入観があったんだ。赤いロングコートの人物が『女』である、と。だから、女にはないはずの喉仏の出っ張りが蟲に見えたんだ。勘違いから起こった幻覚なんだろうよ、喉にいた蟲ってのは」


「でも……うぅ……でも……うぅぅぅぅ……」


 信じられないといった表情ではなく、納得行かないといった目で俺に可愛く威嚇してくる。


 それもそうだろう。口裂け女だと思っていた奴が何の証拠もなく男だと言われたら、普通は納得できない。


 俺が姫子と同じ立場だったら、当然の反応だ。


「姫子が口裂け女だと思った奴の名前は、藤沼善治郎。元茜色学院中等部の先生だった男だ。そいつが通り魔事件の犯人だ」


 じいさんが来る前に、俺は姫子に種明かしをしていた。



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