第5話 I carve in my heart(ver2.0)



――――――――――6月10日 7:11



 巫女服に着た錦屋いなりは、日課らしい境内で掃き掃除を行っていた。


 似合っている上、厳かな雰囲気をまとっているので、不思議と手を合わせたくなった。


 錦屋は右足を引きずるようにしながら、竹箒を使って器用に境内を掃いて回っていた。


 動けるくらい怪我が癒えているのか、痛みを我慢しているのか、つかみ所がなかった。


 鳥居前で軽く一礼してから鳥居をくぐり、神聖な領域とも言える境内に入ると、俺が入ってくる事を事前に知っていたかのように錦屋いなりが顔を上げた。


「探偵さん?」


 どうやら人が入ってくる気配がしたから見ただけのようだった。


「頼み事があって参上した」


「何か分かったのです?」


「錦屋いなり。俺はお前に謝らないといけない。最初、いなりと麗子に白ワニ事件のメールの事を言われていたのに、俺は全く動いていなかった」


「それは十分に分かっていたのです。探偵さんはきっと動かないと思っていたのです。私達の事を恨んでいるとは知ってはいたので、動いてはくれないと心のどこかで思っていたのです」


 錦屋いなりは、俺の心を読んでいるかのように言い、水に流して当然といった態度であった。


「それでも俺に話しかけてきたのか?」


「あの時は、勇気が必要だったのです。無視されるかもしれないと思って、おどけて見せたのです」


 錦屋ははにかんだ笑みを見せた。


 あの時、妙な言い回しをしていたのは、錦屋いなりなりの配慮だったのか。


 ついつい突っ込んでしまった俺は、錦屋いなりの目論みに見事はまってしまっていたことになる。


「……悪かったな。気を遣わせて」


「もういいのです。探偵さんからこうして話しかけてくれているのだから、もうわだかまりはなくなっているのですよね?」


「話しかけたのは、あのメールそのものを見せてもらいたいからだ。わだかまりは……まだ分からん」


「探偵さんは正直者なのです。今、スマホを携帯していないので、部屋まで来て欲しいのです。取りに行って帰ってくるのは、まだ厳しいのです」


 顔には出してはいなかったが、まだ傷が痛むらしい。


 錦屋いなりは、前も感じたが芯の強い子なのかもしれない。




 * * *



 錦屋いなりの部屋は質素だろうと想像していたのだが、そうではなかった。


 謎の猫のぬいぐるみが大量においてあったりして、これぞ女の子の部屋といった色合いが濃い。


 そんな部屋に入ったものだから、気持ちがそわそわしてしまい、落ち着くことができなかった。


「これなのです」


 錦屋いなりは何回か指で操作をしてから、スマホを手渡してきた。


 俺が悪さをしたりする事など微塵も警戒していない無防備さ加減に危うさを覚えながらも、スマホを手に取り、画面に表示されている例のメールを見つめた。


 錦屋いなりは座るのがまだ厳しいのか、背中を壁に預けるようにして立ち、俺の様子をじっと見守り始めた。


『あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ』


 メールの本分はそれだけであった。


 本文は教えてもらった通りで間違いがない。


 続いて、このメールを送ってきたメールアドレスを確認する。


 フリーのメールアドレスで、これを辿って送信者を特定するのは俺には不可能だ。


 スーパーハッカーではないので、できもしない事はやる気が無い。


icarveinmyheart@XXXXmail.com


 これが送信者のメールアドレスであった。


「ええと、イカリベ……いや、違う。その次はin my heart とあるから、ローマ字詠みではなく、英文として読むべきなのか」


『I carve in my heart』


 @の前にある文字を英文に起こすとこうなる。


『私は心に刻む』


 それが、その英文の意味であった。


 今度は、本文の方を英訳し、メールアドレスの方の英文と接続した。


『I carve in my heart.a matter of Albino Alligator.I know what you did』


『私は白ワニ事件を心に刻む。私はあなたたちが何をしたのか知っている』


 英文として多少曲解して和訳すると、そうなる。


 しかし、その和訳では、このメールを送ってきた人間の本意にそぐわないのではなかろうか。


 もしかしたら、この本文の意味をぼかすために『did』を他の動詞にしたかったのかもしれない。


「先入観……か」


 俺は『あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ』という本文を解釈する際に、ラストサマーという映画を絡めてしまっていた。


 もし、このメールを送った人物が映画のラストサマーを見ていないとしたら、ラストサマーについての知識が皆無であったら、どうだろうか。


『I know what you did』ではなく、『何があったのか知っている』を普通の英文『I know what happened』に変換してみたらどうだろうか。


『I carve in my heart.a matter of Albino Alligator.I know what happened』


 そういう事だったのか。


「『I know what you did』と『I know what happened』じゃ、意味合いが異なるよな。つまりは、このメールは脅迫とかじゃなかったのか」


 映画にあったような脅迫メールめいたではなく、特定の人に対して、何かを知らせようとするメールだったというのか。


 うかつだった。


 先入観、下手な知識は判断を鈍らせてしまうという事か。


 やはり俺はまだまだ半人前だな。


「……分かったのです?」


 今まで、じっと俺の様子を見守っていた錦屋いなりが口を開いた。


「おおよその事は検討がついたが、まだ満点の回答が出せてない。っと、その前にいなりに確認したい事が一つある」


「できる事なら協力するのです」


「いなりは、茜色学習塾に通っているのか?」


「嫌な講師はいるのですが、あそこは良い塾なのです。とても分かりやすくて選んで正解だったのです。……あれ? どうして分かったのです?」


 錦屋いなりが目を見張って、さも驚いたとばかりに俺を見る。


「ついで言えば、あの事件の関係者で茜色学習塾に通っているのは、愛川ひとみ、五十嵐麗子、三富一穂、赤城絵里、それと君の五人じゃないか?」


「……あれれ? 私達が通っている事は有名だったのです?」


『今日の朝、通り魔が出没しているかもしれないので、当塾の生徒は来る時には注意してくださいというとメールであったのです』


 錦屋いなりが屋上でそう話していたのを思い返す。


『当塾』というフレーズから愛川ひとみと錦屋いなりが同じ塾に通っている事は明白だった。


 あの日、塾から出て来た愛川ひとみは『一穂と絵里にも同じメールが来てたそうよ。さっきあたしに話しかけてきて確認してきたのよ、その二人が』と口にしていた。


 おそらくは塾内で待っていた三富一穂、赤城絵里が同じ塾に通う愛川ひとみに話しかけてきたと推測できた。


 五十嵐麗子に関しては、明確な情報はなかったが、五十嵐麗子が襲われた事をいなりが知っていた事と、図書室以外では接点がありそうだった五十嵐麗子と錦屋いなりのつながりでありそうだと勝手に想像して口にしてみただけではあった。


 そうではなかった場合、五人の別の繋がりを探す必要があっただけだ。


「あの事件の関係者で、古城有紀、尼子美羅、桜庭美奈、大塚珠希には、このメールは届いてはいなかった。あのメールが届いた五人に何かつながりがあるんじゃないかと思って、推理しただけだ」


「そうなのですね。やっぱり凄いのです」


 いなりは心から感心しているようであった。


「おそらくは塾内に保管されていた個人情報のメールアドレスを見て、あんなメールを何者かが送ってきたんだろう」


「通り魔は塾の関係者という事なのです?」


 何か心当たりがあるのか、錦屋いなりは目を細めて、厳しい表情を見せた。


「……思い当たる人物がいるんだな。だが、通り魔だと断定されたわけじゃないからその名前は口にしなくていい。俺はもうたどり着いている」


 あのメールの意図は、本人に訊くしかないだろう。


 そして、何故今更白ワニ事件などを蒸し返しているのかを。


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