第4話 悪い領主様(ver2.0)



 放課後、姫子のお見舞いに行くと約束した。


 じいさんは渋々といった口調ではあったが、その時までに調査しておくと言ってくれたので礼を述べた。


 じいさんは『お前のためではない! 姫子のためだ!』と怒鳴っていた。俺的には誰のためでも問題はなかった。


 通り魔事件を終わらせる事ができるのであれば。



        * * *



――――――――6月10日 6:30


「よし」


 俺は午前六時に起床して、六時半には制服ではなく私服姿で家を出て、一路、茜色八幡神社を目指した。


 話によれば、錦屋いなりは早起きして、巫女服に着替えた後、茜色八幡神社の境内の掃き掃除などを行っているらしい。


 怪我をしている今は掃除などを行っているか怪しいが、早起きはしていることだろう。


 会うことができれば、あのメールの原文を見せてもらえないかと頼もうと思っている。


 錦屋いなりがあのメールの謎を解いて欲しいと言ってきた以上、まだ保存しているのが予想できるし、五十嵐麗子、三富一穂の連絡先は知らないし、愛川ひとみは捨てたと言っていたし、赤城絵里は入院中であったりして、そういった事を頼めるのが錦屋いなりしかいなかったりする。


 よくよく思い返してみれば、送られてきたメールそのものを俺は目にしていなかったのだ。


『あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ』


 この文言のメールが送られてきたと錦屋いなり、五十嵐麗子から聞かされただけだった。


 一言一句、本当に間違っていないか。


 送ってきた相手のメールアドレスが何かなど確認を怠っていた。


 そういったメールが送られてきたと教えられた時、メールそのものをこの目で記憶しておくべきだったのだ。


 通り魔事件が起こる前という事もあって、俺は軽く聞き流していた。


 麗子といなりから話を聞いた時点で、もっと真剣に取り組んでいたのならば、通り魔事件など起こらなかったかもしれない。


 それに、正直なところ、俺は白ワニ事件の関係者を良くは思っていない。


 その気持ちが出てしまって、メール以前に、彼女らをぞんざいに扱ってしまっていたのかもしれない。


 その結果、姫子まで被害にあってしまった。


「月くん」


 駅前の大通りに出た時であった。


 後ろから声をかけられて、俺はその場に立ち止まり、声がした方に身体を向けた。


『月くん』などという甘ったるいあだ名で俺を呼び止めるような奴を俺は一人しか知らなかった。


 軽蔑を込めて『探偵』と呼ぶ奴もいれば、月定と呼び捨てにされることも多い。


 最近は、声をかけられることも少なくなってきていて、『おい』とかで済まされる事もあったか。


 そのためなのか、『月くん』などと呼ばれるのは、意外と恥ずかしい。


「……古城有紀? どうして?」


 予想通り、古城有紀であった。


 そう言ってから、有紀からもらったメールの文面を思い出す。


「ああ、バイトか」


 この前のメールで、短期アルバイトでこの街に来る事があると書いてあったはずだ。


 その短期バイトとやらは、こんな早朝から出勤しなければいけないものなのだろうか。


 いや、違うか、セーラー服を着ているから、学校に行く前に働いてきたのだろうか。


 だが、それもあり得ない事に気づいた。


 本当にバイトだったのか?


「お仕事の打ち合わせだったかな?」


 仕事の事はあまり口にしたくはないのか、誤魔化し笑いを浮かべて濁すように言った。


「事前に打ち合わせまであるのか。お堅い仕事だな」


 出勤でも働いてきたわけでもない事に納得した。


 打ち合わせだけなら、通学前に済ませる事はできそうだ、と。


「うん。難しいお仕事だね」


「どう難しいんだ?」


「警備のお仕事だから段取りが必要なのよね」


「ああ、そういう事か」


 警備員は短期アルバイトで結構稼げるみたいな話をきいた事がある。


 そういったのに手をださないといけないくらい、有紀も生活が苦しいのか。


 借金を抱えた父親が自殺したせいもあって、母親が結構な額の借金を背負っていたはずだったし。


「月くんは、どこにいくの? 学校……じゃないよね?」


 有紀は俺の格好をじろじろと見ていた。


 茜色八幡神社に行った後、一旦帰宅する予定であったから制服を着てはいなかった。


「会えるかどうか分からないが、錦屋いなりに会う必要があってな。茜色八幡神社に少々」


「錦屋さんに会うのは遠慮したいけど、途中まで一緒に行ってもいい? どんな回答が一番良いのか分からない設問があって……」


 錦屋に会うのが嫌ということは、白ワニ事件のわだかまりがまだあるというのか。


 ああいう結果になってしまったのだから、そういう気持ちになるのも頷ける。


 それにだ。


 有紀が悩むほどの設問が何であるのかが興味がある。


「で、どんな設問なんだ?」


 俺と有紀はそうするのが当然といったように並んで歩き始めた。


「昔々のお話です。とあるところに悪い領主様がいました。その領主様には一人娘がいたのですが、領主様の支配欲はとても強く、領民だけではなく、その一人娘さえも自分の思い通りにしようとしていました。一人娘はその事に気づいてはいましたが、非常にか弱く、すぐに壊れてしまいそうな繊細な心しか持っていなかったのです。逆らうすべを知らず悪い領主様の言いなりになっていました」


「昔話……か?」


 童話とか日本昔話などにそういった話があっただろうか?


 似たような話をどこかで聞いた覚えがあるから、そういった童話なんだろう。


 設問と言っていたから、そういった童話の文章の一部を切り取った問題で、何かのテストで出題されたものなのだろうか?


「とある日の事でした。一人娘は偶然にも一人の少女が盗賊に襲われているところを助けたのです。その少女は領主の一人娘にとても感謝をして、恩人として付き従いたいと言い出したのでした。領主の娘は父親にその事を報告すると、父親は大変喜びました。ですが、その際に言った父親の一言で領主の娘は複雑な思いになってしまいました。領主の娘は、父親になんと言われたのでしょうか?」


「複雑な思い……ね。怒り、悲しみ、喜びとかそういったものなのか?」


「どちらかと言えば、怖いと思ってしまったのかも」


 領主が領民をどう見ているかで、この設問の答えは違ってくる。


 搾取の対象として見ているのか、支配すべき愚民と見ているのか、それとも、もっと暗い感情であるのか。


 その設問だと領主の考え方をくみ取ることができないので、設問として問題がある。


 だが、それだけの内容で答えを出せと言うのならば、導き出される答えは限られてくる。


「誰も彼も思い通りにしたい領主の言葉はこんな感じだったんじゃないか?」


「……」


 固唾を呑んで、という表現が相応しいくらい、有紀は俺を食い入るように見つめてくる。この設問がそれほど重要なものなのだろうか。


「利用し尽くして捨てられる人物を得られるとは運がいい」


「どうしてその台詞を思いついたの?」


「恩人として付き従ってくれる人物は、領主にどう映ったか、だ。無理難題をもやり遂げる駒のように見えたのかもしれない。恩義で動いている人物に無理を押しつけ、その難題をクリアできれば次の難題を押しつけ、できなければ捨てればいい。そう考えたような気がする。娘でさえ支配したいと思う領主だ。支配と言うべきか思い通りに動かせる駒のように見ているのかもしれない、自分以外の他者を。だから、いいように動かせる人形を手に入れたのだと考えた」


「……そういう答えもあるんだね」


「で、正解はなんだったんだ?」


 有紀は何も答えずにその場に立ち止まって、困ったような顔で曖昧な笑みを浮かべた。


「ここまで……かな?」


「ん? そういうことか」


 もう視界に茜色八幡神社が入っていた。


 錦屋いなりには会いたくはないのだから、これ以上は近寄りたくはないのかもしれない。


 錦屋が住んでいる家に近づくことさえ生理的に駄目になっているのかもしれない。


「答えは……また今度ね」


「ここで答えてくれないのかよ。それじゃ生殺しだろうが」


「ふふっ、月くんの答えは不正解だって教えておいてあげるね」


「……違ったのか」


 ならば、領主の娘が怖いと思った台詞は何だったのだろうか。


「今度会うときまでに正解を見つけておいてね、月くん」


「分かった。俺に導けない答えなどない……とは思うが、考えておくさ」


「また逢えたら……ね。きっとだよ」


「おう、またな」


 有紀はきびすを返して、今さっき俺達が歩いていた道を遡り始めた。


 どういう意図であんな設問を俺にしてきたのかを、有紀の背中からは推し量ることができなかった。


 それに加えて、ちょっとひっかかる事があったが、それについては、じいさんが詳しいだろうし、あの件共々訊けばいい。


 何はともあれ、あのメールだ。


「錦屋いなりがいればいいんだが……」


 俺は有紀の背中が見えなくなってから茜色八幡神社へと急いだ。

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