第2話 口裂け女(ver2.0)


――――――――6月9日 17:00



 茜色学院は、同じ敷地内に中等部と高等部の校舎が別個に建てられている。


 中等部高等部が同じ校舎内に存在している学校や、別々の場所に建てられている学校などもある。


 それに対して茜色学院では同じ敷地内、しかも、壁などでわけ隔てる事をしていない。


 生徒の自主性を重んじていると同時に中等部高等部の交流を目的としており、実際に中等部の生徒が高等部の校舎に行くことや逆の交流などもよくあったりする。


 そんな状況であったから、八丁堀姫子があんな騒動を起こしているのだが。


 美術室は高等部の校舎の一番端にある。


 すぐ傍には裏門があり、部外者で入ってきて、悪さをしようと思えばできる環境であった。


 放課後になると、尼子美羅が美術室で何を見たのかを確かめたくて、俺は美術室の前まで来た。


「……ふむ」


 しかし、美術室に入ろうとするも、カギがかかっていて入る事ができなかった。


 普段から施錠されているのだろうか?


 それとも、尼子美羅の奇行のせいで、一時的に封鎖でもされているのだろうか?


「……今日も何か用ですか?」


 美術室の前でうろうろとしていると、先日、尼子美羅が美術部員かどうか訊ねた女子が声をかけてきた。


 美術部の副部長だったはずだ。


「入ろうと思ったら、ドアが閉まっていたんで」


「備品が盗まれたりするのを防ぐため、授業や部活で使う時以外はカギをかけるようにしているんです。その辺りは結構いい加減ですけどね」


 副部長は誤魔化すように笑った。


「あれ? じゃ、どうして尼子美羅は美術室に入れたんだ?」


「誰かが施錠し忘れたのかもしれないんですよね。自分は違うってみんな主張していて、誰がカギをかけ忘れたのか分かっていません。その辺りもいい加減なものなんですよ」


「……かけ忘れ、ね」


 尼子美羅の時に限っていい加減だったというのか?


 それはそれで変じゃないか?


「今日も尼子さんの話を訊きに来たんですか?」


 美術部の副部長が探るような視線を送ってくる。


「いや、だいたい分かったので、その必要はないかな」


 俺は先日の礼も述べてその場を後にすると、その足で、眠り猫シキは相変わらず鎮座しているが、五十嵐麗子がいない図書室へと向かった。




        * * *



――――――――6月9日 19:05



 日が暮れた通りは思いの他暗かったが、歩き慣れた道であるからなのか、八丁堀姫子は恐怖などを一切感じてはいなかった。


 歩き慣れているだけに足取りは軽やかであったほどだ。


「ぎゃっ!?」


 声のようなものがどこからともなく聞こえてきたのだが、猫が金切り声を上げたのだと姫子は錯覚した。


「……あれ?」


 よくよく考えてみれば、猫が金切り声などを上げることがない事だと思い返した。


 その事に気づいた瞬間、歩き慣れているはずの道が急に暗澹たる獣道のように見え始めて、足が自然と止まってしまった。


「……止めて……止めて……」


 懇願するかのような、今にも風でかき消されてしまいそうな声が姫子の鼓膜に刺さったかのように聞こえていた。


 思わず耳を塞ぎたくなったが、そうしてしまっては誰かを見殺しにしてしまう事になりそうでできなかった。


「……」


 いつも歩いている通りから横に入る路地の方から、か細い女のこの声と何か鈍い音が消えている。


 姫子は息を殺して、足音を立てないよう細心の注意祖払い、恐怖に泣き叫びたくなる衝動をぐっと堪えながら、路地の方へと向かう。


 そっとのぞき込むと、暗闇が支配しているというのに、闇の中でもひときわ目立つ真紅が目にとまった。


 真紅に染まっているものはなんだろうかと思い、目をこらしてみると、赤いロングコートである事に気づいて、姫子は息を呑んだ。


 姫子の中で何か弾けた。


 それは恐怖に付随するものであったのだろう。


 お兄さんと一緒にいる時に見かけた、赤いロングコートの人物が口裂け女だったのを確信に至った。


 口裂け女は姫子に背中を向けた状態で、何かを地面へと何かを何度も振り下ろしていた。


 さっきのが悲鳴であったとするのならば、何をしているのかは想像に難くなかった。


 襲われているであろう女性はもう抵抗する気力も声を上げる事もできずに、ただただ身体を丸めて耐えているだけであった。


 姫子は恐怖に身を任せるのを是とはしなかった。


 息を吸い込み、路地ではなく、通りの方へ顔を向けた。


「火事だあああああああああああああああ!!」


 助けてだとかそういった叫び声だと関わり合いになろうとはしないと祖父から聞いていた事もあってか、窓を開けて外を確認せざるを得ないこの言葉を大声で叫んでいた。


「火事だあああああああああああああああああああッ!!」


 さらに声を張り上げて、もう一度叫んだ。


 その言葉は当然口裂け女にも聞こえていたようで、大声を出した姫子の方をのっそりと振り返った。


 あの夜と同じで、マスクで口を隠し、サングラスで目を隠していて表情を読み取ることは困難であった。


「……ッ」


 姫子は口裂け女が逃げるものだと思っていた。


 だが、そうはならなかった。


 倒れていてぐったりとしている女性を蹴り飛ばすと、姫子の方に身体を向けた。


「ひぃ……」


 赤いロングコートの隙間から見えた口裂け女の喉元で蟲が蠢いた。


 口裂け女の喉には蟲が住み着いているんだ……。


 衝撃の事実と口裂け女に睨まれている気配のためか、足がすくんできて、前に進むことも後ずさる事もできなくなっていた。


「にぃ……」


 マスクで口が見えないというのに、姫子には口裂け女が笑ったように思えたのであった……。

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