第14話 八丁堀姫子かく語りき(ver2.0)



「……お兄さん、まだかな」


 お兄さんが指定した待ち合わせ場所である屋上で、お兄さんが来るのを今か今かと待ちわびていた。


 今は一分、ううん、一秒でさえ長く感じる。


「今、お兄さんはどんな顔をしているんだろう?」


 きっとお兄さんはたどり着いている。


『鰯の頭』の意味に。


『鬼子』の意味に。


 鰯の頭は、警告でも、鰯の頭も信心からという意味でもなかった。


 本当に頭の悪いストーカー気質のあった久堅茂雄を鬼子に例え、セナなどに近づかないで欲しいという意味も含めて置いたのだ。


 でも、その願かけは叶わず、ストーカー行為が激しさを増していった。


 羽衣さん本人は気づいていないストーカー被害に遭っている件に、お兄さんが首を突っ込んでくるように促すための撒き餌でもあった。


 一ヶ月前くらいから急展開し始めたのに気づいた私が仕掛けた、事態を強引に解決へと向かわせるための導線であった事を。


 久堅茂雄が焦り始めて、SNSアカウントを作成して嘘の情報を流し始めたのは、あかりちゃんが変なおじさんに絡まれていたところをデート中だったセナと羽衣さんが助けて、羽衣さんとあかりちゃんが親しげに話しているのが原因のような気がする。


『ゴミクズみたいな妹が親しくしているのに、どうしてこんなに愛している俺に愛情を向けてくれないんだ』


 そう思ってしまったから、久堅は行動し始めたんだと私は思っている。


 あかりちゃんから今は一人暮らしをしているという久堅茂雄の性格をそれとなく聞いていたから、そういった事なのだろうと類推できた。


 こっくりさんのお賽銭盗難事件であかりちゃんが久堅から暴行を受けたのは、あんな事件を起こしたからではなく、密かに思いを寄せていた湯河原羽衣と親密にしていたとは何事だ、という理由だったそうだ。


 実の妹故に嫉妬に狂ってしまったのだ。


 嫉妬深さからの暴走だと私は感じた。放置してしまっていては、何か事件が起こってしまうのでは、そう危惧するようになったので、お兄さんの登場を促したのだ。


 事実、昨日の夜、お兄さんと羽衣さんが会っていると知って、久堅茂雄は嫉妬に狂ったそうだ。


 夜にこそこそと出かけるセナに何かを感じとって、私は跡を付けた。


 三人が会っている現場を見て、写真を撮って、あかりちゃんに送付して、こんなメッセージを添えた。


『明日、全てを終わらせたい』


 あかりちゃんはそんな私に応えてくれて、終焉の場所として、早朝の学校を選んだのだ。


 私やあかりちゃんでも、久堅茂雄に引導を渡す事は可能だった。


 けれども、それでは意味がない。


 こんなふうな事、私にだってできるんだよ、とお兄さんに分かってもらうためには、この方法しか選択できない。


 そして、お兄さんに気づいてもらう。


 私だって、お兄さんの事を手玉に取れるんだよって事を。


「今日は記念日にしたい……かな?」


 私は隠そうとしても隠しきれない笑みで破顔しながらそう独りごちた。


 あの時のお兄さんとの約束が今日こそは果たせるかもしれない。


 今回の全貌を知ったお兄さんは、引きこもりで誰かに導いてもらわないと外さえ出られない私ではなく、お兄さんをだませるくらいに成長した私として見てくれるようになって、きっと認めてくれるだろう。


 あの時、あの場所でお兄さんに約束をさせた、あの事を。


『私、八丁堀姫子は誓います!! お兄さんに認めてもらう事を! 弱い私と別れて、お兄さんと対等な私になる事を!』


 こっくりさんのお賽銭盗難事件で、私は生きていく事が恐ろしくなってしまった。


 私をはめようとしたあかりちゃんを恨んだ事は一度もないし、恐ろしいと思った事は全くなかった。


 そんな事よりも、思い込みで突き動かされてしまっていたあの集団が怖かった。


 集団によって、個である私はなすすべもなく犯人に仕立て上げられ、そして、断罪された。無罪を訴えても信じてもらえず、お金も持ってない事を証明しても相手にしてもらえず、あかりちゃんが私が犯人だと告白しても無視され、あかりちゃんが私の身の潔白を証明しようとしたら馬鹿な事をするなと止められ、私は集団の意思に沿って犯人にされてしまった。


 世の中は人の集まりで形成されている。


 私を断罪したような集団が世の中には無数に存在しているかと思うと、社会で生きていくのが恐ろしいと思うようになって家に引きこもるようになってしまった。


 そんな私を外に連れ出そうとしたのが、お兄さんだ。


『おい、姫子。自分探しの旅に行くぞ』


 意味不明な理由で私を外へと連れだし、ヘンテコな場所へとよく連れて行ってくれた。


 最初は鬱陶しいと思っていたけど、次第にこういうのも悪くはないと思うようになっていった。


 こういうのも悪くはないから、お兄さんって良い人だなって思うようになっていった。


 そして、お兄さんが傍にいてくれるなら、こんな社会でも生きていてもいいかな、なんて思うようになっていった。


「おい、姫子。今から高尾山に行くぞ。山頂まで楽に行けるらしいぞ」


 早朝にいきなり家に来て、高尾山まで強制的に連れていかれた事があった。


 朝の五時くらいに起こされて、両親が用意していた登山用の服を着せられて、お母さんの手作り弁当を持たされて、嫌がる私の手をひっぱりながらお兄さんに連れられ、駅まで行かされて、電車に乗せられ、乗り換えさせられ、そして、高尾山口の駅で下ろされ、ケーブルカーに乗せられ、私は高尾山の山頂へとたどり着いた。


 そして、山頂からの景色の美しさに心を打たれたからなのか、今思うと恥ずかしいけれども宣言してしまった。


『私、八丁堀姫子は誓います!! お兄さんに認めてもらう事を! 弱い私と別れて、お兄さんと対等な私になる事を! お兄さんに認めてもらえそうな時、必ず告白します! その時は、何も言わずに私とデートしてください。告白の返答はいつするかはお兄さんにお任せします! 私と約束してください!』


 今回の件で、お兄さんは私を認めてくれるだろうか?


 認めてくれると思っているから、私は告白する。


 そして、デートをしてもらう。


 そこから先は、どうなるかは分からない。


 でも、未来の私はきっと努力をしているに違いない。


 鰯の頭も信心から。


 今は、セナの下駄箱に入れたイワシの頭にでも願いたい。


 お兄さんと上手くいきますように、と……。



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