第13話 湯河原羽衣騒動の終焉(ver2.0)



 制服に着替えると授業の支度もせず、朝食も食べずに学校へと押っ取り刀で向かい、学校前まで来たところで姫子に電話をした。


「あかりちゃん、高等部の校舎に入った後、見失っちゃって……。どこにいるか分からないの」


「姫子は瀬名に電話をして、羽衣さんと一緒に来るようにって伝えてくれないか」


「どこに?」


「俺のクラスだ。超特急で頼む」


「うん、分かった」


「久堅がこのクラスの周辺にいたら、メールしてくれ」


 俺はそう言ってから電話をきった。


 最悪の事態になっていなければいいと願いながら、自分のクラスへと全速力で向かった。


 階段を一段抜かしで駆け上がり、ようやくクラスへとたどり着いた俺は、目の前に広がっていた光景を見て、自分自身の浅はかさを呪いそうになった。


 教室の後方で御子神朱里が俯せで倒れていたのだ。


 誰かと争ったのか、机の列が乱れているだけではなく、椅子や机が床に倒れていたりした。


「大丈夫か?」


 朱里に駆け寄って抱き起こすと、最悪の事態の一歩手前だった事を知った。


「……あ、名探偵さん」


 朱里は虚ろな瞳で俺を見ていた。


 頬を力の限り殴られたのか、痣ができているだけではなく、鼻血を流している。


 おそらくは手加減をせずに服で隠れているところなどを暴行されたのか、立つこともままならなくなっているのだろう。


「あいつの性格はお前が一番よく分かっていただろうが。前にも顔に痣が残るくらい殴られていたんだから用心すればよかったものを」


「……でも、身内の問題ですので……」


 無理に笑おうとしているのか、それとも、痛みを堪えているのか、朱里の顔が強ばっていく。


「これは俺への課題なんだ。いや、俺の問題と言うべきか。というか、動けるか?」


 朱里は苦痛で顔をゆがめながら、首を横に振った。


 無理に動かさない方がいいか。


 瀬名や羽衣が来たら、保健室に連れて行くか、救急車を呼ぶしかなさそうだ。救急車が来たとなれば大事になるだろうが、それはもう結果でしかない。


「少しの間だけ我慢してくれ。この案件は、ここで終わらせないといけないからな」


 まだ生徒がほとんど登校してない校内を早足で駆ける足音が廊下の方から響いてきた。


 どうやら八丁堀瀬名達が駆けつけてくれたようだ。


 おそらくは、湯河原羽衣に付いてきているだろう。


 そうすれば、今回の件の役者が勢揃いしたことになる。


「邦雄!」


 教室内に滑り込むようにして、八丁堀瀬名が飛び込んできたが、倒れている御子神朱里を見て、身体が静止して表情が固まった。


「何があった!!」


 俺がやったと責めるかのような憤怒の相で俺をねめ付ける。


 そんな視線をやんわりとかわし、俺は続いて教室に入ってきた人物を見た。


「ど、どうしたの、月定くん」


 教室のドアの前で、湯河原羽衣が立ち止まり、ドアに手を添えて乱れる息を整え始めた。


 チャームポイントと言える泣きぼくろが羽衣の魅力を引き立てているのは確かだ。


 これで役者は揃ったはずだ。


 後は合図をあり次第、始める。


 姫子が言った『鬼子』を避けるために置かれた鰯の頭は、最初からこうなる展開を予見していたのだ。


 そして、今、イワシの頭から始まったこの物語を終幕させなければならない。


「羽衣先生、朱里を頼みます」


 朱里は俺の腕の中で、何か言いたげにしていたが、もう言葉もろくにしゃべれなくなっているのか、言葉を発しようともしていなかった。


「は、はい」


 俺に言われて、湯河原羽衣は頭上に疑問符を浮かべたような顔をした。


 羽衣は倒れている御子神朱里を見て、事態を把握してか慌てて駆け寄ってきて、俺の腕から優しく朱里の身体を抱き寄せた。


「朱里さん、気を確かに」


 揺りかごに揺られている赤子に語りかけているかのような母性が露わな表情を羽衣はしているせいなのか、朱里の表情が緩やかに安らぎを取り戻し始めた。


「……」


 そんな時、俺のスマホがメールの着信を知らせるメロディを奏でた。


 これで役者は揃ったか。


 俺は息を深く吸い込み、そして、深く吐き出して立ち上がり、教室のドアの方へと身体を向けた。


 さて、物語の幕引きを始めよう。


「俺に言わせてもらえば、計画犯罪とかちょっとした企み事の才能ないよ、お前は。頭悪いだろ。なんだ、あれは? バカでも分かるようなアカウント名にしてよ。バカじゃねえの」


 俺は貯まり貯まっていた鬱憤をぶつけるようにそう毒づいた。


 突然の豹変に、瀬名と羽衣が表情を凍り付かせた。


 即座に瀬名だけいつもの事かと悟って、ポーカーフェイスに戻っていた。


 俺は瀬名たちを無視するかのように、誰もいない教室のドアの方に目を据えて、言葉をぶつける。


「旧姓をまんま名乗るとバレるだろうからと剣豪の名前をパクったりしてよ。阿呆だろ。もっと考えろよ。バレバレだよ」


『ミコガミ』などという珍しい名字を使用すれば、その関係者か、あるいは、恨みを持つ者か何かかと類推されてしまうのが常だ。


 朱里に兄がいると知った時点で、すぐに久堅茂雄が朱里の兄なのではと想定したので、その事を昨日の夜、朱里自身に確認すると、間違いないと答えてくれた。


 父親に引き取られたのに、何故か母方の姓を名乗っているのだそうだ。そして、転勤した父の許しを得て、今はこの街で一人暮らしをしているそうだ。


 姫子が言っていた『鬼子』とは、その兄のことだ。


 厄災をもたらして子供だから、鬼子だと表したのかもしれない。


「お前は頭が悪すぎるんだよ」


 ありったけの罵詈雑言を叩き付けたい衝動に駆られていた。


 敬意を払う必要がある相手ならばそれなりの態度というものがある。


 今回の奴に関して言えば、敬意など払う必要は微塵もなかった。


 ただのストーカーで、ストーキングしている相手を手に入れたいがために交際相手を辱めようとするようなクズなど下郎も下郎だからだ。


「そこで立ち聞きしている羽衣先生のストーカーである久堅茂雄、お前の事だよ。SNSに書かれてもいない事柄をペラペラとまくし立てたりしてよ、その時点でもう見抜いていたんだよ。あのアカウントはお前が作って、あんな画像を貼ったってな。瀬名の課題と関係あるかどうか分からなかったのでスルーしたが、失敗だったよ」


 さっきのメールは姫子からだ。


 罠にかかったネズミというべきか、飛んで火に入る夏の虫というべきか、久堅茂雄の方からのこのこ来てくれていた。


 湯河原羽衣のストーカーなのだから、羽衣を尾行していたとも言うが。


「何の話なんだ?」


 瀬名が俺と同じように教室のドアを見て、まだ事情を理解していない顔をしていた。


「瀬名は『何が起こっているのかの正解を見つけてもらわないとな』と言っていて、ノーヒントを貫いた。だが、それは何が起こっているのか、瀬名も羽衣先生も分からなかったからヒントが言えなかっただけなんだろ? SNSでいきなり二股とか言われ始めりゃ、そりゃ、どういうことなの? と思うだろうからな。だから、イワシの頭が下駄箱にあった事で、誰かが何か企てていると推測して、俺に助けを求めた」


 だから、俺に相談してきた。


 俺ならきっと突き止めてくれると信頼したというべきか、良いように利用したと言うべきか。


 だが、それによって瀬名と羽衣先生に最悪の展開が起こらなくなったと言える。


 朱里が犠牲になったのだが、その犠牲によって、久堅茂雄は処断されるのが確実になったからだ。


「……まあな」


「でも、二股じゃなかった。デートするにあたって、生徒とか保護者とかに見つからないよう細心の注意を払う必要があったから、湯河原羽衣だと分からないように変装したり、化粧を変えたりしていた別人のようにしていたんだ。終いには、お気に入りだった香水まで変えてよ。しかしだ、背の高さと、泣きぼくろは変えようがなかった。久堅茂雄から『二股』って吹き込まれたもんだから、服装と化粧で変装しているだけなのに、別人っていうフィルターをかけてしまって、別人だと思うようになっていた。そこだけは上出来だと評価してやろう」


 俺は朱里を介抱している羽衣先生に視線を流した。


 生徒と教師が付き合うとなると、それなりに覚悟しなければならない事が多いはずだ。


 付き合っている事が公のものとなり、羽衣先生が学校を辞めざるを得ない展開になる事も覚悟の上との事であるらしい。


 あのSNSの画像の女性が全て湯河原羽衣先生である事の確認と、この件が明るみに出れば少なからず二人の関係に影を落とすかもしれないと告げるために、昨日瀬名と羽衣先生に会ったのだ。


「だが、久堅茂雄、お前は妹の御子神朱里の足下にも及ばない、タダの馬鹿野郎だ。いや、阿呆かもしれない。そこまでの策というか、ない頭で考えた愚策じゃ、二人の絆にひびを入れることさえできていないんだからな。妹の朱里なら、もっと上手くやっていたはずだが、お前はバカすぎた。陰気なストーカーの久堅茂雄さん」


 俺は御子神朱里を見やった。


 朱里は、不肖の兄の存在をどう思っていたのだろうか。


 両親が離婚したというが、もしかしたらその原因は久堅茂雄の奇行にあったのかもしれない。


 御子神朱里がこっくりさんのお賽銭盗難事件を起こした時点で、湯河原羽衣のストーカーであった可能性がある。


 なぜならば、俺があの事件のトリックを解いた後、朱里は瀬名と羽衣先生と話し合いをしていたようなのだが、その現場を久堅茂雄に見られた上、盗み聞きされていたようなのだ。


 悪事を働いただけではなく、羽衣先生に迷惑をかけた事に久堅は激怒し、朱里を暴行したのは、盗み聞きしていたからだと推測した。


 そういった問題行動を以前からしていたから、久堅茂雄の件で言い争いなどをして朱里の両親が不仲になったのではないかと思えたりする。

 

 朱里や両親は聡明であったのだろう。


 だが、兄である久堅茂雄は違った。


 どうしようもないくらい短絡的で、頭が悪かった。


 つまり、親に似ていないくらい愚鈍であったのだ。


 だからこそ、姫子は『鬼子』と表した。


「お前こそ、なんだ!!! なんなんだ!!!!」


 廊下で立ち聞きしていたであろう久堅茂雄が堪忍袋の緒が切れたと言いたげに、教室のドアを蹴りつけて中へとドカドカと入ってきた。


「お前の妹の朱里に言わせると名探偵らしいが、俺はただのお節介焼きだ。ただし、自他共に認める性格が悪いお節介焼きだ」


「はあ? ふざけんなよ、この野郎が!」


 久堅茂雄が足を速めて、俺との距離を縮めていく。


 殴る気満々の表情を見せる久堅を前に、体術はからっきしの俺はどう対処すべき。


 逃げ回るべき。


 それとも、一か八かで真っ向勝負を挑むか。


「で、こいつ、何がしたかったんだ?」


 俺と久堅との間に瀬名が割って入るなり、久堅の身体が宙に舞っていた。


 さすが文武両道の男、瀬名。合気道か何かを習っていたはずだ。


 そういったところが鼻について、懲らしめてやろうとしたのが、瀬名と羽衣先生の馴れ初めらしい。


 懲らしめようとしても瀬名は平然と受け流し続けた事もあり、羽衣先生は実力行使に出た。


 瀬名を押し倒して、主導権を握った後、子供だという事を思い知らせてやろうと考えたのだ。


 だが、身体の相性が良すぎた上に、性格の相性まで良くて付き合い始めたのだと昨日のろけ話として聞かされた。


『やってみてから付き合うかどうか考えるのもありなんだよ』


 以前、実の妹の事なのにそんな事を言ったのは、羽衣先生とそういった経緯があったからだそうだ。


 全くの色ぼけ野郎だ。


「ぐえっ?!」


 カエルのような声を上げつつ、久堅がドスンと大きな音を立てて地面に落ちた。


 そんな久堅に追い打ちをかけるように、瀬名が倒れている久堅の上に乗るなり、腕を締め上げた。


「悪巧みを思いついたんだろう。SNSであらぬ噂を流せば、瀬名と羽衣先生が別れるって」


「へぇ」


 瀬名はポーカーフェイスをまたしても崩さずに、久堅の腕をさらに締め上げていく。こういったところは容赦ないよな。


「朱里が変なおっさんに絡まれていたところを瀬名と羽衣先生に助けられているのを見て、妹の朱里に嫉妬したりしたんだろうな。その時に撮影した画像を二股していた女の彼氏との修羅場とか言ってみたり、あんなアカウントを作って、妹を誹謗中傷したりするしよ。それに、今日は妹の顔を殴ってたりしたみたいだし、ホント、クズ中のクズだよ」


 後は、瀬名と羽衣先生に任せれば、瀬名の案件は一件落着かな。


 朱里がまだ起き上がれないようだから、救急車を呼ぶのは必然になりそうだ。


 そうなれば、離婚後の戸籍の扱いがどうなのかは不明だが、今は別々に暮らしている実の妹の朱里を殴って怪我をさせた久堅茂雄の悪事が露呈し、退学処分になるのも必定といったところか。


 今回の一件で、こんな男を放逐できるのだから、俺が色々と動き回っていた事に意味はあったのかもしれない。


「瀬名、救急車は俺が呼んでおくが、後は任せる。羽衣先生の件もあるから、これはお前が処理すべき問題だしな」


 御子神朱里は、どちらかといえば、もう一つの案件の関係者ではあるし、羽衣先生に任せるのがいいのかもしれない。


「上手く誤魔化すさ。で、邦雄はどこに行くんだ?」


 瀬名が久堅を締め上げたまま問いかけてくる。


 瀬名ならば、きっと羽衣先生との関係を誤魔化してくれるだろう。組み伏せられているゴミクズが何かわめき散らすだろうが。


「人と会う約束があってな」


 スマホを取り出し、待ち合わせ場所を指定する文章を作成してメールをパッと送信した。


 俺の行く先は屋上だ。


 屋上と言えば、犯人が告白するにはもってこいの場所でもある。


 久堅茂雄の事を知るはずもない姫子が知っていた事実。


 そんなところで馬脚を現すとは、姫子も抜かったな。


 俺を姫子の手の平の上で泳がせていたつもりだろうが、そんな事は先刻承知しているさ。


 さて、姫子はどんな告白をしてくれるのやら……。


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