第11話 御子神朱里の悩み事(ver2.0)
ベンチから立ち上がると、隣にいた御子神朱里も遅れて立ち上がった。
俺が無言で歩き出すと、朱里も付いてくるように歩き出した。
並んでではなく、二歩ほど後ろを歩く形ではあった。
ちらりと後ろを振り返ると、朱里は俺の視線にすぐに気づいて、俺の目を見返してくるもすぐに俯いて視線を逸らした。
この娘とは、謎解きの時だけ話しただけという事もあり、世間話など今はできそうもなかった。
御子神朱里という人物の子細は、八丁堀瀬名から『御子神朱里が隣町の学校に転校することになった』と告げられた時に受けた説明程度しか知らない。
両親が離婚している事、転勤した父親を説得しに行くための旅費が欲しかったのであの犯行を思いついたなどといった事だ。
小学生にとってみれば、旅費を稼ぐ事は至難の業だったのであんな事を思いついたのだと知り、なんともやるせない思いがしたのだけは覚えている。
もっと別の方向で頭を使っていたら、あのような奸計を巡らさなくても旅費程度なら入手できたであろう事が想像に難くなかった。
「ここだ」
俺は自宅前で立ち止まり、朱里の方を顧みてそう告げると、ドアを開けて家の中へと入って、靴を脱ぎ捨てるように脱いで自分の部屋へと向かう。
朱里は尻込みすることもなく俺に続くように家に入り、靴を丁寧に脱いだ後、きちんと靴を揃えてから俺の後に続いた。
比べてしまうのは酷かもしれないが、立ち振る舞いが八丁堀姫子とは月とすっぽんだ。
姫子がすっぽんならば、朱里は月といったところか。大和撫子と足軽くらいの差はありそうだ。
「どうぞどうぞ」
俺は部屋のドアを開けて、朱里を招き入れる。
「失礼します」
朱里は軽く頭を上げてから、俺の部屋とはすすっと入ってきた。
「ここでは無礼講で」
俺はそう言って、自分の椅子に腰掛けた。
無礼講と言われても、と言いたげな朱里は俺の部屋を見回した後、何故かしら視線を俺のベッドへと固定させた。
足音も立てないような綺麗な足取りで歩み寄り、何故かベッドの上に腰を落としたのである。
姫子も何故かベッドに腰掛ける事が多々あるが、これは女子特有の行動なのだろうか。
「さて……」
公園で待ち合わせをしてから、ここまで来るまでの間、俺は朱里の事をまともに見ていなかった。
このように正対して改めて観察してみると、なるほど美少女である。
さらさらと腰の辺りまで伸びている黒髪と言い、目鼻立ちがくっきりとしていて、おそらくは学内で一番男子のファンがいそうな顔立ちである。
通っている学校のものらしきセーラー服を着ており、大和撫子かあるいは黒髪の乙女という言葉が最適である。
「まずは、名探偵さんの名前を教えてもらっていいですか?」
俺が話を切り出そうとした矢先、朱里の方からそんな事を言われた。
やはり俺は名乗った事がなかったようだ。
「月定邦雄だ。月に定めると書いて、つきさだと読む」
「覚えておきます」
「単刀直入に言うと、瀬名と何かあったのか? 昔、殴られた事の復讐を企んでいるとか?」
前置きとかそういったものは必要はなさそうだったので、本題に斬り込むことにした。聡明そうなので、それが何らかの答えを引き出すのには最短コースだろう。
「せな? 殴られて復讐? えっと、その人はどなたで、なんの話です?」
本当に知らないのか、不思議そうな顔をして、俺の目を見返してきた。
「八丁堀姫子の兄だよ。会った事はあるはずだし、俺が初めて出張った後、瀬名に殴られてなかったか? 次の日、痣とかひどかったし」
「ああ、分かりました。ヒメちゃんのお兄さんですね。
「羽衣? 誰だ、それ」
俺の知らない名前が出て来て、俺が不思議そうな顔をする番だった。
姫子か、朱里の同級生なのだろうか。
それに、兄がいるのか、朱里には。
それも初耳だった。
「あれ? ヒメちゃんのお兄さんが付き合っている女性の方で……えっと、知りませんでしたか?」
「すまない。あいつの彼女には会ったこともないし、名前も教えてもらった事はなかったんだ。羽衣さんだっけ? その人のフルネームはなんて言うんだ?」
俺が初めて瀬名の彼女を見たのは、あのSNSに貼られていた画像でだ。
二股しているらしいが、どちらが羽衣なのだろうか。
「
ん?
あの事件の後?
もしかして、瀬名はその湯河原羽衣とは中学生の頃から付き合っていたのか?
年の差がありすぎるようだし、それって犯罪か何かに近いものがあるような。
「ヒメちゃんのお兄さん……瀬名さんですよね。最近の話ですけど、瀬名さんと羽衣先生のデート中に、変な形で再会しました。でも、それだけですが、何かあったんですか?」
「……」
再会した時の印象通り、朱里が俺をだまそうとしていなければ、やはり瀬名の件では『白』のようだ。
しかし、謎が深まったとも言える。
姫子が何故ヒントとして、御子神朱里の電話番号を渡したのかが。
「……ならいいんだ」
姫子のただの勘違いなのか、それとも、何か別の意味があるのか。
それは明日にでも姫子に確かめるしかなさそうだ。
「で、相談者を探していたとか言っていたけど、何か困りごとでも?」
瀬名の件は姫子に問い詰めてから、改めて話をすればいいと決めた。
とりあえず話だけでも聞いておくべきか。
「噂の出所を調べて欲しいんです」
「噂……ね」
瀬名の二股の件といい、世間は噂話がお好きなようで。
「私が援助交際しているという噂が流れていて迷惑しているんですけど、どこからそういった噂が流れているのか知りたくて……」
瀬名からの試練がまだまだ糸口さえ見えていない、というわけではない。
何が起こっているのかがまだ全然分かっていないというのに、さらに面倒そうな案件を持ち込まれるとは。
「……むぅ」
課題を何も抱えていないようならば、その案件を調査するのはやぶさかではないのだが。
「タダでとは言いません。お金が欲しいようでしたら、数十万円は用意しようと思えば用意できます」
「その頭を使ってか? たぶん、小学生の頃より悪知恵は働きそうだから、あの手この手で簡単に集めそうだよな。でも、金はいいや。入手手段が気になって、手を付けられないそうだし」
「分かりましたか。あの時みたいな努力をすれば、今だと百万円は集められるかもしれませんね」
悪びれもせずに言うには、何か根拠があるのだろう。
入手方法は人から盗むのではないのは分かるが、出所が怖いお金ほど嫌なものはない。
「お金はいらないよ。特に君からのね」
「汚れているとでも言いたげですね」
「実際にそうだったろう? 労働で得た対価ならば、受け取るのもやぶさかではない」
「名誉欲は私には与える事はできません。他には、食欲、性欲……よく言われる人の欲求と言えば、それくらいでしょうか?」
「それを提供できるとでも?」
「覚悟もなしに、のこのこと一人で男性の家に行くと思っているのですか? それなりの覚悟はしています。援交の噂まで流れていますから、一度くらいならば問題ないと考える男性も世の中にはいますから」
朱里は表情を全く崩さずにそうさらりと述べた。
おそらく、今の俺の表情は、少し前に流行ったチベットスナギツネにそっくりだろう。こういう台詞を平然と言える女子の心理というものは読めないものである。
「片手間でいいなら、ロハで調べるさ」
人の欲求とやらが対価では、調べものとは釣り合わない。
調査が釣り合うようになるのは、それが本業である者であるべきなのだ。
「ただより高いものはないと言います。それではいけません。ヒメちゃんのでは満足できていないかもしれませんし、どうですか? 対価として、私のおっぱいでも揉みますか?」
俺の表情が、チベットスナギツネそのものになった。
年頃の女の子の心は理解不能である。
一瞬だけ『しまった』というような顔をしたように見えたが、俺の気のせいか?
「勘違いしてはいないか? 俺は姫子とは付き合ってはいない」
すぐに元の自分の顔に戻って、俺はさらりと否定する。
「え?」
朱里の表情が一瞬だけ崩れて、戸惑いを隠しきれない狼狽えたような表情を垣間見せた。
想定した問答とは違う答えが返ってきたために、頭の中で積み上げていた会話を再構築しなければならなくなった。その隙に見せた素顔なのかもしれない。
「俺は姫子と約束を交わしている。約束事だな。それが達成されない限りは、付き合うのは無理だとなっている」
「約束事……ですか?」
朱里は明晰な頭脳故、もう会話の想定を再び積み上げたようではあった。
「望んだのは姫子だ」
それ以上は話す気はなかった。いや、話せなかった。
あの事は俺と姫子との秘密だからだ。
あの時、あの場所でかわした約束を。
『私、八丁堀姫子は誓います!! お兄さんに認めてもらう事を! 弱い私と別れて、お兄さんと対等な私になる事を!』
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