第5話 カツ丼とヒント(ver2.0)
その日の夜、近所にある、美味しいと評判のとんかつ屋に姫子を連れていった。
もちろん俺のおごりだ。
姫子とは多少話したい事があったので、高校生の俺にとっては手痛い出費ではあるものの目をつむるしかなかった。
店はそれほど広くはなく、壁際にある二人が向かい合うように腰掛ける席へと案内されて、顔をつきあわせるようにして座るとすぐカツ丼を二丁注文した。
「瀬名に何が起こっているんだ?」
おそらくは姫子は教えてはくれないだろう。
だが、一応確認しておく必要があって、そう訊ねていた。
「セナから口止めされているから話せないかな? でも、お兄さんが好きだって気持ちだったらいくらでも話しても良いよ」
姫子はテーブルに両肘をついて、裏表のない気持ちそのものを笑みとして俺にぶつけてくる。
その気持ちが俺には眩しすぎるからなのか、目をそらしてしまった。
今はこうも明るく振る舞っているが、小学六年生の頃、姫子はとある事から塞ぎ込んでしまい、数ヶ月ほど家にずっと引きこもり、不登校になっていた事がある。
あの頃に比べれば、姫子は快活を絵に描いたような女の子になっていて安心できるものの、こうも愛情表現を隠しもしない性格になってしまったのはいかんともしがたい。
なんで俺を好いているのかは不思議なのだが……。
「その必要は特にはない」
「……残念」
言葉とは裏腹に、姫子は幸せそうに微笑んだ。
「……というか、なんで俺なんだ?」
瀬名の事は教えてはくれなさそうな雰囲気なので、とりあえずその話題を続けてみる事にした。
こうやって真っ向から訊ねた事は今までなかったはずだ。
「その答えは、お兄さんだから」
「しかし、な……」
俺は姫子が引きこもる原因となった事件を記憶の中から呼び起こした。
姫子のクラスで『こっくりさん』が流行した。ここまでは小学校ならよくある普通の話で、狐憑きだとかそんな事件が起こったりするのはよくある事だ。
姫子のクラスに呼び出された狐はお金を要求しだしたのだ。
何人かが本当にお金を持ってきて、こっくりさんで呼び出した狐にそのお金を渡そうとするも、当然のことながら狐など実在していないのでお金を渡せるワケなどなかった。
何故か姫子がそのお金を預かる事になり、数万円集まったところでお金が消失してしまい、ろくな証拠もないまま姫子が盗んだ犯人だとして断罪されたのだ。
そのために心に深い傷を負った姫子は引きこもってしまい、不登校になった。
そんな姫子を見ていられないと瀬名に相談を持ちかけられた俺がその盗難事件を見事解決し、姫子の潔白を晴らす事となるも、姫子の引きこもりは治りはしなかった。
そこで俺は姫子を強引に外に連れ出したりして、ようやく立ち直らせることに成功し、とある約束まで交わすことになった。
その後は、こんなふうになってしまったのだが……。
「私の事は、気にしなくてもいいんだよ」
俺の心を読んでいるかのように姫子が諭すように言う。
『こっくりさんのお賽銭窃盗事件』と姫子が後にそう名付けた、その事件を俺が解決した事によって、姫子のクラスは文字通りバラバラになった。
姫子は卒業するまで無視され続けたのは言うまでもなく、窃盗犯は逃げるように他の学校に転校し、その取り巻きの何人かも同じように転校した。
それだけではなく、姫子を断罪した何人かが不登校となったりして、卒業するまでギクシャクとして重い空気になっていたのだとか。
姫子の当時のクラスメイトは俺たちが通う学校には誰一人として入学していないので、校内でその事を知るのは、俺と瀬名と姫子くらいなものだ。
「私にはお兄さんさえいればいいんだから」
「それはそれで怖いんだが」
「お待たせしました」
ちょうど良いタイミングで、カツ丼がテーブルの上に置かれたので、俺はその話題には触れないよと言いたげにカツ丼を食べ始めた。
「お兄さん、あ~ん」
姫子は何を思ったのか、一切れを箸で取り、満面の笑みを浮かべて俺の方へと向けてきた。
「お前が食べろ」
姫子が差し出している一切れのカツを無視して、俺は自分のカツ丼を食べ続ける。
「はい、あ~ん」
姫子は箸を引っ込めない。
それどころか、何か名案というか、悪巧みが思い浮かんだかのようににんまりと笑った。
「これ食べてくれたら、ヒントくらい上げてもいいかもしれないな~」
おのれ……。
一切れくらいなら、応じてやってもいいか。
これも全てヒントのためだ。
「……はむ」
こそばゆいが、俺は姫子の差し出していた一切れに食いついた。
こんな場面を知り合いなどに見られたらたまったものじゃないと思いながらも、姫子のカツを咀嚼しながら、店内を視線だけで見回す。
幸いな事に知り合いはいなかった。
「お兄さんの餌付けに成功しちゃった。意外と嬉しいかも」
姫子は嬉々とした表情で俺を見つめていた。
なんで俺なんだろうか。
本当にそこだけが分からない。
姫子の無実を証明して救ったのは確かなのだ。
事件解決と共に、様々な爆弾をあのクラスに仕込んでしまったのだから、俺に恩義を感じる必要はないはずだろうし。
「で、ヒントは?」
姫子のを呑み込んでから、恥ずかしさを隠すように真剣な眼差しを姫子を見据える。
「はい、これ」
用意していたのか、バックの中から四つ折りになった紙を取りだして、テーブルの上に置いた。
「なんだ、これ?」
「見れば分かるよ」
その紙に手を伸ばして掴むと、とりあえず広げてみた。
ボールペンで、電話番号が書かれているだけであった。
これがヒントなのか?
電話番号に見覚えはないので、おそらくは瀬名の恋人の関係者なのだろう。
俺が唐突に電話しても大丈夫な相手なのかが気にはかかる。
「誰の電話番号なんだ、これは?」
「それは言えないかな? ヒントだからね」
「この番号にかければいいのか?」
「最後の手段と思ってね」
「……分かった」
このヒントは行き詰まった時に使わせてもらおう。
その紙切れをカバンの中にしまっている時、姫子がカツを箸で一切れ取り、俺の方へと差しだそうとしていたのを手で制しながら、瀬名に何が起こっているのか考え始めた。
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