第4話 イワシの頭事件は終わりを告げたのか?(ver2.0)
次の日、八丁堀瀬名の様子を観察するも、これといって変わった様子はなく安心した。
イワシの頭を『警告』だと勘違いして暴走している可能性が少なからずあったが、冷静沈着な瀬名だけあって、そんな事はしていなかったようだ。
顔は多少やつれているように見えた。
勉強のしすぎか、それとも、運動のしすぎなのか。
ついでに、久堅茂雄も観察すると、そわそわしているところがあって挙動不審ではあった。
あまり話をしたことがないのに、昨日の放課後、親しげに噂話を振ってくるとは思いも寄らなかった。
誰とも親しく接したり話したりしてはいないので、人なつっこいわけではさそうだ。昨日は何か理由でもあったのだろうか。
「おい、昼飯に行くぞ」
昼休みになり、今日こそは一人で食べようかと思って腰を多少浮かせたところで、肩に手をかけられた。
瀬名であった。
「姫子も呼んで三人で食べるっていうのはどうだ?」
「珍しいな。お前の方からあのバカを誘うとは」
一瞬だけ目を点にさせて驚いたようだが、すぐに平生の瀬名に戻り、意味ありげな笑みを浮かべる。
実の妹をバカ呼ばわりするのはいかがなものか。
「たまにはいいだろ?」
「分かった。姫子にメッセを送っておく。場所は昨日と同じベンチでいいのか?」
「ああ」
俺と瀬名が昨日のベンチのところに行くと、もう八丁堀姫子がベンチに腰掛けて、ニコニコと幸せそうな笑顔を俺たちに送っていた。
姫子のこういった笑顔を見ると安心するのは、陰惨だった時期を知っているからだろうか。
中等部から急行してきたのだろう。
肩で息をしているとかそんな素振りを一切見せていない。努力している姿を見せないのは、白鳥と同じといったところか。
「あらかじめ言っておくが、瀬名の下駄箱にイワシの頭を入れたのは、あのバカだ」
おそらくは姫子には聞こえていない位置で、俺は瀬名にそう告げた。
「ああ、なるほどな。あのバカならやりかねない」
瀬名は納得顔をして、何度か頷いた。
どうやら思い当たる節があったようだ。
「あいつ、バカだから許してやってくれ」
「ああ、分かっているさ。バカは憎めないからな」
俺たちがそんな会話をしているのを知ってか知らずか、満面の笑みで俺たちが傍にくるのを迎えてくれた。
そんな姫子が座っているベンチの右側に俺が腰を下ろすと、姫子はキャッキャッと可愛い声を上げた。
姫子の左側に瀬名が座ると、あれ?という顔をして、瀬名を一度見てから、俺の方に顔を向けた。
その表情は散歩かと思っていたら病院に連れて行かれる事に気づいた犬か何かのようであった。
「さて、白状してもらおうか」
俺は前置きなどせず、そう切り出した。
「えっと?」
「姫子、カツ丼食うか?」
瀬名が横からそんな茶々を入れてくる。
瀬名が姫子の兄だと思い出させる時があるのは、こういった時だ。
「……何の話?」
しらを切ろうとしているのだろうが、表情が凍り付いている上、冷や汗がポタポタと流れているかのように挙動不審になっていた。
「瀬名の下駄箱にイワシの頭を入れたのは、姫子、お前だろ?」
「ど、ど、ど、どうしてそんな事言うかな?」
精一杯の抵抗とばかりにぎこちない笑みを俺に向けてくる。
だが、俺には無駄な足掻きにしか思えない。
「昨日、校門のところで俺を待っていたのが不思議だったんだ。何か用事があるのかと思ったがそうでもなさそうだった。で、確かめるために、姫子のカバンの匂いを嗅いだら、合点がいったんだ」
「お兄さん、ひどいよ。乙女のカバンの匂いを嗅ぐなんて」
「たまたまだ。カバンを受け取った時に鼻の頭を掻いたんだが、その時に魚の生臭さみたいな臭いがカバンからしていたんだ。あれで、ピンときたんだよ」
不自然にならないよう、鼻の頭を掻くようにして、カバンの臭いを嗅いだだけだが。
「姫子が待っていた理由は、イワシの頭について、瀬名から何か訊いていないかが知りたかったんだってな」
ここからが本題だ。
何故、姫子がそんな行動を取ったのか、だ。
「……う、うん」
「さて、ここから本筋が変わる事になる。姫子が瀬名の下駄箱にイワシの頭を入れた理由は、おそらく……いや、絶対に瀬名の彼女が原因だという事だ」
あくまでも、イワシの頭は前哨戦だ。
昨日、珍しく俺を昼飯に誘った理由でもあるからだ。
「俺は瀬名の彼女には会った事がない。そうだよな?」
俺は姫子から視線を外し、瀬名の顔色をうかがう。
姫子とは違い、ポーカーフェイスで、俺の視線をやんわりとかわすように、不敵な笑みを浮かべた。
この件では、瀬名と直接対決しないことにはどうしようもないから割り切るしかないか。
「姫子が言っていたんだ。瀬名から彼女の匂いがしていて嫌だって。そうだよな、姫子?」
姫子に視線を移し、目を見ながら答えを促すと、渋々と言った様子で、
「……う、うん」
「俺はその話を聞いて、女性っていうのは、他の女性のフェロモンの匂いを敏感に感じとるっていう、そういう話かと思ったんだ。男の浮気を女性の勘で見抜いたとかそういった話があるんだが、そういうのはだいたい他の女のフェロモンを嗅ぎ取って、浮気だと気づいているっていう事らしいんだよ。だが、そういう事じゃなさそうなんだよな」
「やはり博識だな、邦雄は」
瀬名が感心したといった表情で頷いた。
今の話に何か心当たりでもあるのだろうか。
「フェロモンの匂いではないのならば、何の匂いだろうかと考えあぐねた結果、導き出した答えは、香水だ」
瀬名の彼女が付けている香水の匂いが瀬名からしていたとしよう。
そうすると、さすがの姫子でも気づくのではないか。
姫子をバカにしているつもりはさらさらない。
ちょっとやそっとの変化や、普通の香水では、瀬名の彼女が誰なのか気づかなかったかもしれない。
しかし、とある条件が加われば、気づかざるを得ない。
いや、気づいて当然とも言える。
「ほぉ……」
何か思い当たる節があるのか、瀬名はさきほど見せた納得顔を再び見せた。
「姫子は、その匂いで分かったんじゃないのか? 瀬名の彼女が誰なのか」
「……そうだよ。でも、私、セナの彼女さん、あまり好きじゃない」
姫子はつっけんどんな口調でそう言い、口をとがらせた。
「最初、俺は瀬名の彼女は高等部の奴かと想定した。だけど、それだと姫子が気づくはずがない。高等部にしょっちゅう出入りしているようでなれば、誰それが瀬名の彼女と同じ香水を付けているだなんて分からないからな。そうなると、瀬名の彼女は中等部にいるという結論に帰結する」
昨日の夜、姫子は答え合わせをしたのだ。
俺がたどり着いているかどうかを確かめるためにも。
「中等部で香水を付けている奴なんて限定されるだろ? しかも、姫子が気づくとなると、同級生か……」
俺は瀬名の目を凝視した。
瀬名は相変わらず表情一つ変えないポーカーフェイスのままだ。
「教師だ」
瀬名は表情を全く崩さない。
おそらく、これが正解のはずなのだが。
「……姫子。邦雄に事情を話すなよ。今度は何が起こっているのかの正解を見つけてもらわないとな」
瀬名はゆっくりとベンチから立ち上がり、俺に爽やかで、それでいて、有無を言わせぬ笑みを向ける。
「久堅茂雄が関わっているのか?」
「ノーヒント」
「瀬名の彼女が関わっているのか?」
「ノーヒント」
「ヒントはなし、か」
「邦雄には期待している。この問題を俺よりも先に解決してくれそうだしな」
「なら、鬼子とか何だ?」
そう言うと瀬名は怪訝そうな表情をして、小首を傾げた。
「それは……ノーヒントとしておこう」
瀬名は俺に背中を向けて、校舎の方へと向かって歩き出す。
その背中を見送りながら、何かヒントになるようなものがなかったかと記憶の糸を辿る。
あるとするのならば、それは『警告』だ。
何か差し迫った危機があるという事なのだろう。
その危機がなんなのかを突き止めて解決しろっていうことか。
「ねえ、お兄さん」
瀬名が校舎の中に消えるのを待ってから、隣に座っている姫子が肩と肩とがこすり合うくらい距離を縮めて、甘ったるい声で囁く。
「カツ丼、食べたいな」
耳元で囁かれた事で、姫子の吐息が俺の耳にかかった。
「は?」
「取り調べには、カツ丼だよね?」
どうやら俺は姫子にカツ丼をおごらないとダメなようだ。
瀬名の下駄箱にイワシの頭を入れた犯人は見事的中させたが、次なる謎が出てくるとは。
その影は見え隠れしていたが、それを調べないといけないのか。
さて、どう進めていくべきか。
それは、姫子とカツ丼を食べながら考える事にしよう。
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