そしてあなたがいなくなる
「……いつから?」
言葉に詰まりながら出てきた声はその一言だけ。それでも頭の中はいろいろな想いと言葉が入り混じっていて、とても一言で表せるような状態ではない。少なくともクチから出てきた言葉は居間の自分にしてみれば正解なのだ。
カチャット音を立ててカップを戻す七海の表情は悲しみに沈んでいる……ようには見えなかった。
「うん。来週の頭からかな」
「そ、そっか……どのくらい……なの?」
「そうだなぁ……行ってみないとわかんないけど……最低半年?」
方手をアゴに乗せ人差し指を立てながら笑顔を見せる七海。
――せっかく会えたのに!! またすぐに居なくなるのか!!
「そ、それにしても急じゃね? 俺に相談してくれても良かったと思うんだけど」
「……ごめんなさい。本当は前から話が出てて……あのね、時々その話で学校休んだりしているんだ」
「あぁ~……それでか」
七海が学校を休むようになったの自分の知る限りはここ最近の事ではある。それがこの話に繋がっているなんて思いもしなかった。
「それで今回の修学旅行も?」
「今回のはちょっと違うかな? ホントに体調悪くて、一緒に行っても皆に迷惑が掛かって楽しんでもらえないと思って……」
「そんなことない!! 迷惑なんて掛からない。みんな……みんな七海が好きなんだから、そんなこと思うやつはいないぞ」
「うん……そうだね」
「俺だって……」
声を荒げてしまった俺が椅子から腰を上げている事で、注文の飲み物を運んできた店員さんがタイミングを失って立ち尽くしていた。
「スイマセン」
「お、お待たせしました。どうぞごゆっくり」
謝る俺に、一つ礼をしてカップを俺の前に置き、また一つ頭を下げて歩いて行く店員。
それから俺と七海は会話することなく、目の前に置かれた飲み物を互いにすすりながら時間だけが過ぎて行った。喫茶店に中に静寂な時間が訪れた。
嬉しいはずの七海と一緒の時間がこんなことになるなんて、ここに来るまでまるっきり思っていなかった俺は、なんだか突然疲れが湧き出してくるような感覚がした。
数十分の後――
「出ようか……?」
「うん……」
テーブルに置かれている注文票を手に取って荷物を取り、肩に下げながらテーブルを離れる。俺がテーブルから離れたのを確認した七海が俺の前を歩き始める。レジの前まで来て七海が「払うよ」って言ってくれたけど、男としてカレシとして受け取る事は出来ない。首を横に振って七海の手を押しとどめ財布をしまわせてから店を出る。
だいぶ秋らしくなってきた空気が、ひんやりした風と共に店先の二人を包み込んだ。
ぶるっ
「寒いか?」
「ううん平気……」
俺は走ってきた事と、店の中での出来事で身体が火照りだしていてあまり寒く感じないけど、薄手のコートを羽織る七海の方が寒そうに見えた。現に身震いしているし。
そのまま会話もなくただただ並んで歩いて行く。
足の向く先は七海の家。二人とも会話はせずともそんな意志はしっかりと繋がっていた。
数十分並んで歩き、間もなく七海の家が見えてくる距離まで来た――
――もうすぐ七海の家だっていうのに俺は!! 小さい、小さいぞ俺!!
ようやく重いクチが開いた。
「その日送るから」
「え!?」
思いがけない言葉に目を丸くしてのぞき込んできた七海。
「何だよ……送るなんて当たり前だろ?」
「だって……反対して怒ってるんだと思って……」
「確かに怒ってる。でもそれは些細な事だろ? 七海がしたい事、出来る事。それを応援するのがカレシとして俺に出来る精一杯だと思うし。だから……」
「勇樹……」
「だから……ちゃんと帰って来いよ」
「勇樹は凄いね……」
「うん?」
立ち止まった俺の横を、後ろに手を組んだままの七海が通り過ぎていく。その表情は前髪に隠れて分からない。
「すごいよ勇樹は……そんな事言われたら、頑張っちゃうよ」
「おう、頑張って来い」
――あれ? 何だろう……何かが引っかかる。
「今日はここでいいよ!! 出発の日が決まったら連絡するから」
「うん。明後日からは学校……来るんだろ?」
「行くよ!! 来週までは……ね」
またねって言いながら家に向かって走り出した七海。振り返ることなく顔を見せる事もなく、そのまま家の方へと消えてしまった。
――この気持ちはなんだ!? さっきから消えないこの気持ちは!!
心の中に渦巻く感情。それを吐き出すことなく、小さなため息をついてその場を離れる。自分もまた修学旅行の帰り道。家族の元へ戻るため足を前に踏み出した。
[決まったよ。金曜日に出発する]
七海からの連絡が届いたのは次の週の水曜日で、その日まで何事もなく俺も七海も学校生活を楽しんでいた。
俺は
――思い出したくなかっただけだけどな……
木曜日になって七海が学校を休んだ。次の日の準備があるという事らしい。前日の夜は深夜までやり取りしていたからただ寝坊した言い訳かもしれないけど、そうなると会えるのは出発の日だけ……それを逃すと半年間は合えなくなる。
心に空いてしまった隙間。七海が近くに居ないという事をようやく自覚し始めた俺は、ここにきて「いくな!!」と何度叫びそうになった事か。それでも七海が困る顔は見たくない。その想いだけが俺の行動を抑え込んでいた。
――出発の日。
「元気でな……」
「勇樹も……」
両親と共に車で向かう事になっているらしく、俺が七海の家についた時には荷物を入れ終えた父親がすでに車の運転席に乗っていた。こちらに気付いた七海が車に乗らずに横で待っていてくれた。そして別れる前の挨拶が始まる。
「必ず連絡するからね」
「ああ、待ってるよ」
車の外で手を取り合って話す俺と七海。家のドアに鍵をかけた七海の母親が車へ向かって歩いてくる。
「勇樹君……すまんがそろそろ……」
「あ、はい。すいません」
――ここでチュー……は無理そうだな……
強く抱きしめたい衝動にかられながらも、そのまま手を放し七海が乗るであろう後部座席のドアを開ける。
「ありがと……」
今まで何度見ても見飽きる事の無い七海の笑顔がそこにあった。
「うん」
バタンッ
ドアを閉める。
「七海の見送りありがとう勇樹君」
「あ、いえ」
七海の母親が助手席側のドアを開いて声をかけてきた。そのまま乗り込むとバタンとドアを閉める。
「勇樹!!」
「何だ?」
後部の窓から頭だけを出した七海が叫ぶ。
「学校……平日なのに来てくれてありがとう!! 頑張って戻って来るからね」
「うん……頑張れ」
その会話を最後に、そのまま車は走り出した。俺は見えなくなるまでその車を……七海の姿を見送り続ける。車の中で後ろを向いて手を振る七海が見えなくなるまで、ずっと……ずっと……
それが七海と直接顔を見て交わした最後の会話になった――
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