秘密の恋

暁烏雫月

こんな同期でごめんなさい

 仕事帰り、見慣れたシルエットが席を立つ。それにつられるように、私も荷物を持って席を立った。君が私に気付いて、優しく微笑む。


「あれ、南條も帰りか。せっかくタイミングが合ったし、途中まで一緒に帰るか?」


 君は今日も、私の気持ちも知らないで声をかける。見慣れた黒スーツには、見慣れない赤ネクタイが存在を主張していた。最近は青ネクタイを身につけなくなったね。


 私へと差し出された左手。その薬指には、見慣れない指輪が付けられている。頭ではわかっていたのに、その手を掴まずにはいられなかった。



 いつからだろう。少しずつ、雪のようにゆっくりと降り積もっていく想い。ずっと気付かないフリをしてた。叶わない恋だと、誰よりもよくわかっていたから。


 もう少し早くこの気持ちに気付いていたら、何か変わったのかな。君に惹かれているこの想いは、大切に心に秘めたまま、誰にも打ち明けたことは無い。


 横目で君を見ると、にやけた顔でスマートフォンを操作してた。親指の動きを見れば、誰かに連絡しているんだってわかる。


「よし、帰るか。それじゃ、お先に失礼します」

「お先に失礼します」


 神様は意地悪だ。どうして今日に限って、君と一緒に帰るように仕向けたんだろう。一緒にいるのが辛いのに、隣にいたい。矛盾した気持ちが私を苦しめる。





 君と私は帰り道が途中まで一緒だった。それは、同じ部署に配属された日からずっと、変わらない。


 住んでいる場所は変わらないんだよね。ただ、君に一緒に暮らす人が出来ただけ。


「南條と帰るの、久々だよな。今度、一緒に飲みに行くか?」

「飲んで大丈夫?」

「南條なら大丈夫だろ。知らない仲じゃないし。というか、スマホゲームの話は南條とじゃないと出来ないしな」


 君とかわす何気ない会話。その一つ一つに想いを乗せながら、私は心を天秤にかけている。


 もしもこの気持ちを伝えたのなら、私達の仲は変わるのかな。私が君に惹かれてるって、きっと君は気付いていないから。


 気持ちを伝えたら、私の君への想いを知られてしまったら。君との距離はどうなるんだろう。きっと、今まで通りにはいかないはず。


 これまで以上に離れることになるのなら、ときめく気持ちをなかったことにしたい。心に鍵をかけて、この想いを閉じ込めたい。





 本当は、少しだけ期待してるんだ。スマホゲームがきっかけでいい。二人きりになれたらなって。君と二人でどこかに行けたらなって。


 でも、きっと特別な約束はかわせない。友達のままでいいの。だけどもう、君と二人で会うことはめったにないだろうし、君には私より約束を優先する人がいる。


 君が手を引くのは私じゃない。私の知らない誰か、なんだよね。同じ指輪をつけた、お似合いの二人。私はそれを影から見守るしか出来ないんだ。


「もう、ゲーセン巡りは出来なそうだね」

「まぁ、な。居酒屋でゲーム談義なら出来るだろうけど、ゲーセンは流石にな」


 わかってた。もう君は、昔の君ではなくなってしまったんだって。君が今いるのは、私には手の届かない遠いところ、なんだよね。





 最初の方はゲームについて話すことで盛り上がってた。だけど次第に口数が減っていく。次の言葉を探すのに時間がかかる。


 あと数分もすれば、分かれ道だ。少しだけ、もう少しだけ、君と話していたい。そんな欲張りな感情が大きくなるのはどうして?


 静かな夜だった。足音を除けばほとんど無音で、ガラス細工みたいに繊細な空気。ちょっと言葉を発すればそれだけで雰囲気が壊れてしまいそう。


「あれだ。今度、飲みに行こう、マジで」


 君の言葉に一瞬、期待したくなった。ささやかな淡い期待。勘違いってわかっているのに、無駄に期待したくなるのは私の悪い癖だ。

君に近づいてもいいの?


 二人きりで会って、恋仲になったり出来るかな。別れ際に君が引き止めてくれたらいいのに。いけない事だとわかっているのに、君に期待してしまうのはどうしてだろう。


 私達は友達のままだよね。本当はわかってるよ。君は私の気持ちを知らないから、平然と二人飲みの誘いとかが出来るんだ。





 ついに、お別れの場所に来た。少し立ち止まって言葉に詰まったのは、まだ別れたくないから。だけど君は平気な顔で別れの言葉を紡ぐ。


「あ、俺、ここ左に曲がるわ。南條は右だったよな」

「うん」

「そんじゃ、おつかれ。また明日な」

「うん。……さよなら」


 君への想いを忘れようと必死になったら、「さよなら」の言葉が震えた。私の言葉を最後に、君が私から離れていく。


 君の足取りは軽かった。楽しそうな横顔が遠くに見えて、胸が苦しい。知らない誰かへと向かうその足取りは、とても幸せそうなんだ。


 滲んだ視界に気付かないフリをして、私は私の帰るべき道を進む。溢れ出した想いに気付いたら、明日から君に接するのがもっと辛くなってしまうから。


 同期だった。配属先が同じで、よくゲームの話で盛り上がった。休日は二人でゲーセンで遊び歩いてたっけ。


 もう少し早く心の奥に秘めていた気持ちに気付いていたら。もし君と出会う場所、出会う時が違ったのなら。今頃、あの特別な笑顔は私に向けられていたのかな。


 本当は好きだよ。ちゃんと伝えたかったよ。だけど、私は臆病だから、伝えられないし忘れられない。会えなくなるくらいなら、苦しいままでもいいかなって。


「不倫相手にもなれない、か」


 君は優し過ぎるから、不倫なんて馬鹿なことはしない。私がもっと魅力的だったら、手を出してもらえたのかもしれないけれど。


 この恋は実らない。わかっているのに、誤魔化したいのに、誤魔化しきれない。心の奥底に閉じ込めるのが精一杯。


 遠くから、君の幸せを願ってる。惹かれてるこの想いに気付かなかったら、もう少し素直に祝えたんだけどな。……ごめんね、こんな弱い同期で。

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