王国のために

 王国のために。

 アズリンは幼い頃から、ヴェルセン王国そして国民たちのために、その身を捧げようと決意していた。だからこそ、王国でも上位に数えられる貴族の家名を捨て、魔導の研鑽に努力してきたのだ。実力で勝ち取った魔導宮の地位も、私にとっては王国を発展させるためのものでしかなかった。


 それがいつからだろう、王国が変わってしまったのは。いや、私が魔導宮に入った頃には、私が思い描いていた王国は、すでに過去のものになっていたのかもしれない。


 王国を取り戻すために。

 いつしか、私はそう思うようになっていった。

 在りし日のヴェルセン王国は、大陸に覇を唱える大国であったという。いまや蛮族が支配する大陸南部も、西部も、山脈を越えた東部の一部までもが、かつては王国の領土だったと、文献には記されている。しかし、大陸統一まであと一歩というところで、王国は侵略を止めた。南の土地は放置し、西の土地は禁忌として侵入を禁じた。魔石が算出する山脈は支配下にとどめ置いたものの、草原からは兵を引いた。

 それが王国の衰退を招いたと、私は考えている。そして、その元凶が“賢者”と呼ばれた男にあると。なぜ王国は、賢者を名乗る怪しげな者の言葉をうのみにし、拡大路線を転換したのだろうか。現状維持ですらない、緩やかな死を待つ囚人。それが今の王国だ。


 王国を守らねばならない。

 突然やってきた、日本人と名乗る異世界の者どもから。講話などという弱腰な外交ではなく、力で叩き潰すべきだったのだ。王国の力を異世界人どもに思い知らせてから、奴らの技術とやらを差し出させれば良かったのだ。

 異世界からの侵略にも立ち向かい、打ち砕いた強き王国の姿を示すことができれば、南国の蛮人どもも我が国に手出ししようなどという浅はかな考えを持たなかっただろう。すべては消極的なヘルスタット王のせいだ。


 だからこそ。

 だからこそ、我は力を求めた。

 文献を漁った。時には、隠遁した魔導士にも会いに行った。そして、見つけた。闇の力を。闇は、闇属性は消えたのではなかった。それは光属性も同じだ。闇も光も消え去ったのではなく、世界にあまねく拡散したのだ。火属性に、風属性に、土属性に、水属性に。闇と光の恩恵が与えられていたのだ。我々がそれに気が付かなかっただけだ。

 一度それに気が付けば、あとは容易だ。かつての闇属性魔法を再現するために、さまざまな魔法から闇属性の欠片を集め再構成した。それは気が遠くなるような作業だったが、その片鱗を掴むことはできた。そして、完全ではないが闇属性を操れるようになると、なぜか私と同じ思いを持つものが周囲に現れた。


 ある日、表向きは魔法の研究を、そして中心メンバーは闇魔法の復活のために活動していた団体と出会った。彼らが私に付き従うことは、自然の成り行きだった。そして彼らが秘中の秘として保管していたのは、闇の聖典だった。そこには人の心を想うままに動かし、操る方法や、どんな属性魔法も敵わない魔法生物の産みだし方が書かれていた。闇魔法を扱える我にとってこの上ない聖典バイブルだった。しかし、その聖典によって、闇魔法の限界も知ることになった。人心を操れるといっても、二相以上の魔導士には通用しない。生み出せる魔法生物も、術者の技能に大きく依存することが分かってしまった。


 “ヘルスタット王、討つべし”

 そんな声が聞こえ出すようになったのは、ちょうど闇属性魔法の限界を知り絶望している頃だった。何者かの干渉だったのかも知れない。それこそ、悪神のささやきだったのかも知れない。だが、決断したのは私だ。“ヘルスタット王、討つべし”。軟弱なる王を廃した後、王女を測位させ私が摂政として王国を導く。ニヴァナの民と呼ばれるようになった異世界の者どもを追い払い、南の蛮族を打ち砕き、草原を平定する。かつての王国を取り戻す大事業を、この私アズリンがやり遂げる。やり遂げてみせる。

 だが、私は愚かではない。如何に犠牲を出さずヘルスタット王を討ち、王国に新しい秩序をもたらすのか。念入りに、細部まで気を配って計画を立てた。


 南部の帝国を牽制するために、多くの兵が出立したあとを狙い、王都の東西南北にある大門を閉ざした。騎士兵舎にいる兵は、眠らせた。殺してしまっては、ニヴァナの民や蛮族を懲らしめる兵力が足りなくなってしまう。

 仲間には、腕に黒い布を巻くように指示した。もし、途中で仲間以外の兵士・騎士に遭遇した場合には、なるべく殺さず仲間に加わるよう説得させる。こちらの仲間になるものがいれば、同様に布を巻かせた。あくまでも王に忠誠を誓うという者は、後顧の憂いを断つためにも処断せよと命じた。

 魔導宮では、障害となり得る魔導士全員に毒を飲ませ、入り口出口を兵に封鎖させた。こちら側の魔導士は、すでに王都内で作戦実行中、魔導宮内には敵か、敵となり得る者か、あるいはどちらにも与しない者が残っているだけだ。事が終わるまでその場に足止めできればそれでいいと考えた。


 守備隊を制圧したと報告を受け、私は自ら王に引導を渡すべく、王宮へと乗り込んだ。この日のために努力してきたことは確かだが、これは始まりに過ぎない。新たな王国の歴史が今日、この日から始まるのだ。私の手で。


「しかし、なぜ君がここにいるのかが、わからん。オールト師よ」

「そっくりそのままお返ししますよ、アズリン師」


 王を討ち果たすべく、闇属性魔法で人を越えた兵士となった二名の同士を引き連れ、乗り込んだ王の間で待っていたのは、魔導宮に閉じ込めているはずの魔導士、ヴァレリーズ・オールトだった。ヘルスタット王や王妃、王子、王女は、彼の影で小さくなっている。この後に及んで、異世界人に通じている魔導士を頼るとは、情けない。やはり王たる器ではないと、改めて思う。


「あの包囲網を抜けてくるとは、君の実力を過小評価していたようだね」

「魔導士を相手にするには、少し兵の数も質も足りなかったようですよ。やはり、悪しき者に与するだけあって、知能も能力も劣った兵たちなのでしょう」

 オールト師は私を挑発しているようだが、その言葉とは裏腹に、彼の姿も王宮には相応しくないほど傷つき汚れていた。まるで、清掃後の藁束ではないか。私は、一種の哀れみを持って彼を見た。実のところ、彼の実力は評価していたのだが、サバス師の影響を強く受けている上にニヴァナの民と親しくし過ぎていた。早々に、こちら側へ取り込むことを諦めたのだ。その時に始末しておけば、と思わないでもないが、まぁ、王の最期にこうした余興があっても良いだろう。

「なぜ、こんなことを?」

 時間稼ぎのつもりか? 質問に答える義務もないが……。

「言っても無駄だろうさ。これまでに幾度も忠告はした。警告もした。だが、王は改めなかった。サバスもな」

ドラゴンの騒動も、あなたが仕掛けたのか」

「あぁ、あれは違うよ。私だったら、あんな派手なことはしない。私の計画にとっては良い目くらましになったがね」

 オールト師の歯ぎしりが、こちらまで聞こえてきそうだ。

「あれも、闇属性魔法であったようだが、わたしのものとは少し違うね。たとえば、このように」

 私はすばやく詠唱を唱え、闇属性魔法を発動した。広い部屋が暗闇に包まれる。私たちにとっては何も変わらないが、彼らは呼吸も難しいことだろう。このままにしてもいいのだが、傀儡となる王女まで殺すわけにはいかない。

 闇を払うと、王妃は倒れそれを抱えているヘルスタット王も苦しそうだ。かろうじて立っているオールト師もゼエゼエと息が荒い。あれでは詠唱も難しいだろう。


「さて、お遊びはこれくらいにして、仕事をしようか。オールト師よ、王族を差し出せば、お前の命だけは助けてやってもいいぞ?」

「ふ……ふざけるなっ、逆賊めっ! 魔導士の、面汚しめっ!」

 あぁ、こいつは何も分かっていない。私がどんなに王国を愛し、現状を憂いテイルのかを。

「ならば、見せしめになってもらおうか。深き森の奥、漆黒の闇から編みし黒き縄よ、苦痛と共に敵に死を与えん。死縛デスバインド。」

 私の手から放たれた黒い瘴気は、縄となって若者の首に巻き付く。呼吸を止めるだけではない。触れた場所から苦痛を与える毒を流し込む魔法だ。


「グッ……グゥゥッ!」

 苦しみもがきながら、オールト師は膝を付く。もうすぐ、苦しみの余り床をのたうち回って死に至るだろう。これも王国のためだ。君の犠牲には敬意を払おう。


ガッシャーンッ!


 突然、窓が砕け散った。そして、何かが王の間へと転がり込んできた。飛び込んで来た塊は、男と女になり、女がオールト師に駆け寄った。

「なにっ!」

 私は、小さく驚きの声を上げてしまった。女が死縛デスバインドの魔法に触れた瞬間、それが霧消してしまったからだ。何者だ。女が立ち上がり、こちらを見た。見覚えがある、いや、それどころではない。


「ニヴァナの女調整官――」


 やはり、奴らは王国にとって害悪だ。今すぐに排除しなければ。私は、女に向かって両手を伸ばし叫んだ。

「黒き王の名において、闇の激流を持って敵を討ち滅ぼさん! 闇流撃ダークインパクト!」

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