王都動乱(2)
【王都 日本大使館】
その日もまた、いつもと同じように朝早く目が覚めた。いつもと違って、なにかゾワゾワした不吉な予感で起こされた、といった方が良いかもしれない。サイドテーブルに置かれた時計を見ると、まだ五時前だった。どおりで外が、まだ暗いはずだ。
「あれ?」
「おはようございます。早いですね、阿佐見さん」
いや、それはこっちの台詞。
「迫田さんこそ」
迫田は、カップをテーブルに置いた。視線はタブレットに注いだままだ。
「いや、寝ようと思ったんですがね。少し胸騒ぎがするんですよ」
あなたも? と言いかけて、止めた。不安を煽るようなことは言わない方がいい。食堂の椅子に腰を下ろすと、奥の厨房から朝食の仕込みをしていたマリーさんが声をかけてきた。
マリーさんは、王都で雇い入れた料理人兼家政婦さんだ。
「あれ、大使様。今日は一段とお早いお目覚めだね」
「そうなの。なんだか目が覚めちゃって」
「ちょっと早いけど、何か食べなさるかい?」
「んー、食べものはいいわ。お茶を入れてもらえる?」
食事はできるだけ、大使館のみんなと摂ることにしている。
「はい、どうぞ。迫田さんは、おかわりです」
「ありがとう」
「あぁ、すまないね」
マリーさんが、湯飲みにほうじ茶を入れて出してくれた。食堂には、かなり
お茶を飲んで、ホッとしているところに、寒川一曹が飛び込んで来た。
「あら、寒川さん、おはよ……」
「あぁぁっ! 阿佐見さん! 大変です、大使館の前に人が、人が集まってます!」
私は不安が的中したことを知った。
寒川一曹を連れて、迫田さんと二階に上がった。窓から外を見てみると、大使館の前に大勢の人たちが集まっている様子が見えた。
「何事なの?」
「それが、昨晩、
それが本当なら大事だ。まず事実を確かめないと。
「大使館内の全員を点呼、食堂に集めて。昨日の夜、街に出た人間がいないか確認して!」
「了解しました」
「それから、蓬莱村の上岡一佐にも状況を報告して」
寒川一曹は、敬礼して部屋を飛び出していった。
ヴァレリーズさんにも連絡すべきかしら? 確か魔導宮にいるはず。
「いや、こちらの状況を確認してからがいいでしょう。何も分からないうちに連絡しても、混乱させるだけだ」
「そうですね」
迫田さんのアドバイスに頷く。
『総員点呼! 直ちに食堂に集合せよ』
横川一曹が、館内放送で呼びかけている。私もひとまず食堂へ戻ろう。ふと、窓から外を見あげると、朝の光が夜の帳を駆逐しようとしているところだった。そして、私は外にいる人たちの異常さに気が付いてしまった。
彼らは誰一人として、灯りを持っていなかったのだ。
□□□
「では、昨晩外出した人はいないんですね」
「はい。記憶でも記録でも、昨夜は誰も外に出ていません」
田山一佐の報告に、ほっとする。つまり、門の前に集まっている人たちは、何か勘違いしているということか。
「でも、話して分かるという雰囲気ではありませんでしたよ?」
横川一曹の言うことも分かる。
「そうね、変に刺激するのも良くないわね。王宮に兵を出してもらいましょう。手紙を書くわ」
「手紙はいいんですが、誰が届けるんでしょう?」
横川一曹の声で、現実に戻った。そうね、日本人だとまずいわね。
「それに王宮より、魔導宮の方が近いですよ」
「それなら、オールト子爵邸の方が近いわ。それに、マリーさんならあちらの方とも面識あるし」
マリーさんには、何度か用事でオールト邸に行ってもらったことがある。
「マリーさん、お願いできる?」
「えぇ、もちろんですとも!」
農家出身のマリーさんは、物怖じしない性格だから、こういうとき頼りになる。
私は、横山さんが持ってきてくれたレポート用紙に、ボールペンで『大使館が包囲されている、至急救援請う 阿佐見桜』と書き殴った。だって、大陸語はまだ上手く書けないんだもん。レポート用紙を折りたたんでマリーさんに渡す。
「裏から抜ければ、表の人たちに気づかれずに抜け出せるだろう」
「へぇ」
迫田さんが、マリーさんを連れて裏口へと向かった。
王都で雇った現地人のスタッフには、念のため裏口から逃げるように言ったが、折角の職を失いたくないのか、大使館に対して愛着を持っているのか分からないけれど、残りたいということだったので、三階に隠れてもらうことにした。日本人のスタッフは、ほとんどが陸上自衛隊の隊員なので、武装(といっても魔石付きの剣だけど)してもらった。外務省スタッフにはテーザー銃を携帯してもらう。
「いざとなれば、こいつの出番ですね」
そういって田山三佐が取り出してきたのは、スタンウェブと呼んでいる制圧用兵器だ。
「これで打てる手は打ったかな……」
私がそう呟いた時、朝を告げる鐘が鳴った。
『三階横井より至急。当館前方に位置する群衆が、門を破ろうとしています。総員、警戒されたし』
三階で偵察任務にあたっていた横井一曹が、館内放送で伝えてきた。全員に緊張が走った。でも、結界があるから大丈夫、だよね?
「阿佐見さん、三階に上がろう」
マリーさんを送り出した迫田さんが食堂に戻ってきて、私に言った。
「えぇ、そうしましょう」
横井一曹が外を監視している部屋に、迫田さん、田山三佐とともに入る。それに気が付いた横井一曹が青い顔をして振り返った。
「大変です、とにかく外を見てください」
横井一曹に促されて、窓から外を見てみる。五十人ほどの群衆が、大使館の門に殺到している。
「あっ!」
見た瞬間に気が付いた。群衆の中にいる数人の身体から立ち上っているのは、あの黒いオーラが、
「どういうこと?」
「おそらく、あの黒いオーラを纏った者たちに、他の人たちは扇動されているのだろう」
迫田さんが指摘する。黒いオーラを纏った人たちに、エトナーのような変化は見られないが、いつああなるか分からない。
「はやく解散させないと、とんでもないことになる」
迫田さんの言うとおりだ。どうしよう。
「横井さん、館の消防設備は使えますか?」
「え? は、はい!」
「すぐに準備してください。彼らに正気を取り戻してもらいましょう」
「了解です!」
部屋を飛び出した横井一曹と入れ違いに、寒川一曹が入ってきた。
「阿佐見さん、ヴァレリーズさんから無線通信が入っています」
「えっ! すぐに行きます」
通信室は、同じ三階にある。無線機から、ヴァレリーズさんの声が聞こえていた。
『――敵は多いが、なんとしてでも王宮に行かねばならない。王宮に着いたらまた連絡する。そちらも気をつけて欲しい』
ブチッと音がして、通信が切れた。
「魔導宮が襲われ、サバス大臣が毒に倒れられたそうです。ヴァレリーズさんは、包囲網を突破して王宮に向かうそうです」
これではっきりした。
「これは、計画されたクーデターね」
「どうやらそのようだ。どうする、阿佐見さん?」
恐らく、今、大使館が群衆に囲まれているのも、クーデター計画の一部なのだろう。だとすれば、我々日本人を排除したい勢力が、クーデターを起こしたのだろう。クーデターが成功してしまえば、今まで気づいてきた王国との関係は崩れ去ってしまう。
「私たちも王宮へ行きましょう。ヘルスタット王たちを救出しないと」
王宮に行って、私たちに何が出来るかは分からない。でも、このままここにじっとしていても状況は悪くなるだけだ。それなら、火の中に飛び込まないと。でもその前に、大使館前の群衆をなんとかしないといけないわ。
□□□
「阿佐見さん、あなたはトップなんだから、後方で見ていてください」
迫田さんの言葉に従って、私は三階から見守ることになった。まったく、どっちがトップなんだか。
上から見ていると、大使館の前庭に迫田さんが出てきた。手には拡声器をぶら下げている。館の側には寒川一曹が消火ホースを持って待機している。彼も夜勤明けなのに大変だ。
「住民のみなさん、おちついてください」
迫田さんが、拡声器を使って話し始めた。前方にいた人たちの動きが止まった。どうやら注目を集めることには成功したようだ。
「我々の仲間が、あなたたちに乱暴狼藉を働いたという件ですが、こちらで確認した限りではそのような事実はありません」
群衆は、黙って迫田さんの言葉を聞いている。なにか不気味だ。
「とはいえ、私たちが否定しても納得できないでしょう。後日、騎士団立ち会いの下で真偽を確認するということではいかがでしょう?」
後日、があればいいんだけど。あぁ、なんだから迫田さんの言葉に突っ込みばかり入れてるわ、私ったら。
「解散していただけませんか?」
群衆に動きはない。迫田さんはアプローチの仕方を変えるようだ。
「わかりました。ではどなたか、今からでも騎士団なり、行政の方なりを呼んでいただけませんか? そこで話合いましょう」
迫田さんの狙いは、時間稼ぎなのだろうか? マリーさんがオールト邸に辿り着けば、援軍が来る可能性は高いけれど、王都がこの状態では……。
「話し合いなど、無用だっ!」
群衆の中から叫びが上がった。それが合図だったかのように、人が門へと押し寄せる。いけない、あれじゃ門は壊れなくても誰かが怪我をしちゃう。寒川一曹に言って、今から放水してもらおう。そう考えた時だった。周囲の空気が変わった。喩えるなら、シャボン玉がはじけて消えたような……。
「もしかして、魔法の結界が消えた?」
周りを見回しても、誰も答えてくれそうな人はいない。でも、もし結界が壊されたとしたら。私は窓辺へ駆け寄り、前庭の様子を見つめた。寒川一曹がホースを持って門に近寄ろうとしている。迫田さんが何かを必死に叫んでいる。その風景が、なぜかスローモーションのようにゆっくりとした動きに見えた。
大使館の門をこじ開けようとする人々、何かを叫んでいる人々。その後方から、火の玉が放物線を描いて大使館に向けて放たれた。いや、目標は大使館じゃない。
「あぶないっ! 逃げて!」
迫田さんが、頭上から落ちてくる火の玉に気が付いたのは、それが地面にぶつかる寸前だった。そして。
ドウッ!
爆発の光と爆風が。
窓ガラスがビリビリと揺れて。
前庭は煙に包まれて。
静寂に包まれた。
煙が晴れると、そこには大きなクレーターがあるだけ。
迫田さんの姿は、どこにも見えなかった。
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