王都動乱(1)

【王都東大門 守衛所】

 王都の東西南北四ヵ所にある大門は、夜間の出入りはできないように厚い扉が閉じられている。朝を告げる鐘が鳴れば扉は開かれる。いつもなら。


「さっき鐘鳴ったよな?」

「あぁ。今日は変だな」

「寝坊でもしてんじゃねぇか?」


 朝、採れたばかりの野菜を売りに来た者、遠くの村から来て門が開かれるのを待っていた者。最初は四、五人程度だったものが、次第に集まって二十人程度にまで増えると、その中の一人がたまりかねて門扉を叩いた。


「お~い! 開けてくれ! こっちは商売なんだ」


 中から応えはない。誰が叫ぼうがわめこうが、門が開かれることはなかった。

 まさか王都の大門をぶち破って中に入る訳にもいかず、彼らは途方に暮れるだけだった。仕方なく、別の大門を目指す者もいたが、辿り着いた先の門も固く閉ざされていることを知って絶望するだけだった。


【王都内 第五兵士宿舎】


 朝を告げる鐘が鳴れば、宿舎で寝泊まりしている兵士たちも身支度を調え、それぞれの持ち場に向かうか、訓練を始める。いつもなら。


「うまくいったか?」

「あぁ。この魔睡薬マスイヤクの効き目はすごいな」

 魔睡薬を煎じた液体を一口飲む。魔睡薬を燃やした煙を吸う。それだけで、体格の良い男たちがバタバタと眠りに落ちるのだ。

「これで一日、眠りっぱなしだ」

「そして起きた時には、世界が変わっている」

「あぁ。俺たちが変えるんだ。さぁ、次の任務だ」

「おう」

 二人の男は、数十名の屈強な兵士たちが眠りについた兵舎を後にする。その腕には、黒い布が巻き付けられていた。


【魔導宮 サバス大臣個室】


 朝を告げる鐘の音が、魔導宮の中心近くにあるサバスの部屋にも聞こえてきた。

「おぉ、もう朝ですか」

「この歳になると、夜通しの議論は身体に堪えるな」

「何を言われますか。まだ矍鑠とされていらっしゃいます」

 部屋の主であるサバス大臣の愚痴に、弟子であるヴァレリーズはそう答えた。二人は、雪で閉ざされる前に、早急に立案しなければならないいくつかの案件について、夜を徹して検討を重ねていたのだった。


 コンコン、と扉を叩く音。

「入れ」

「朝のお茶を淹れて参りました」

 サバスの身の回りを世話している弟子の一人が、湯気の立つカップを盆に載せて部屋に入ってきた。

「おぉ、すまぬ」

 弟子は、師匠と兄弟子に深く礼をして下がった。サバスがひとつ、伸びをしてカップを手に取った。ヴァレリーズも茶を飲もうと手を伸ばしたが、ふと、桜にもらったエイメリオの新しい写真のことを思い出した。革製の“ぱすけーす”なるものに入れてもらったものだ。


(そういえば、サバス師にはまだ見せていなかったな)


 ヴァレリーズはパスケースを取り出して、師匠に声を掛けようとした。

「サバス師、これを――」

「ウウウッ!」


 突然、サバス大臣は苦しみだし、茶の入ったカップを取り落とした。床の上でカップが砕け散る。

「サバス師!」

 倒れ込むサバスをヴァレリーズは抱え起こす。サバスは喉をかきむしり苦しんでいる。

「毒かっ! 誰かっ!」

 ヴァレリーズは叫びながら必死に考える。

『一口で説明するのは難しいけれど、分子という塊が人間の体内に入ることでいろいろな反応が起きるのよ。それが良いものであれば薬、悪いものであれば毒、ってこと』


 桜の声がヴァレリーズの脳裏に響く。


『毒でも薬でも、身体の中にはいると血の流れに乗って移動して、体中の臓器に作用するの』


 ヴァレリーズは、毒の分子という塊がサバスの身体の中にあることを想像する。目には見えずとも、そこにあるのだ。想像しろ、悪しき反応を起こさせる小さな塊を。それをたぐり寄せる。漁師が魚を網で攫うように、水属性の魔法で毒をかき集める。そして、そのまま外へ、体内から吐き出させるのだ。


「ぐばぁっ!」

 サバス師が、口から液体を吐き出す。

「げほっ、げほっ……」

 苦しそうにあえぐサバス師だが、先ほどのような喉をかきむしる仕草は収まった。後は……。


『もし間違って毒になるものを飲んだら、胃の洗浄をするんだよ』

 蓬莱村で行われた、巳谷医師の講義が思い出される。あれは、移住者向けのサバイバル講習を見学した時だったか。

 ヴァレリーズは、水属性魔法を使って水を作り出し、サバス師に飲ませる。部屋中の水分を集めたため、空気が一気に乾燥する。

「師匠、これを飲んで、すぐに吐き出してください!」


 サバス師が、ヴァレリーズの作り出した水を飲み、吐き出しているところに弟子が数人飛び込んで来た。先ほど、茶を運んできた者もいた。

「おいっ! お前が運んできた茶に毒が入っていたぞ! どういうことだ!」

 普段感情を表に出さないヴァレリーズの叱責に、茶を運んできた弟子は顔面蒼白となりながらも説明を始めた。

「あ、あれは、滋養強壮に効く茶だと言われて……」

「どうやって手に入れたのだっ!」

「あ、アズリン師の使いという方が……」

 サバスの弟子といえど、魔導宮内の政治的な駆け引きに通じている訳ではない。アズリン師がサバスに対して反抗的な態度を示し、ニヴァナの民排斥に動いていることなど知らなかった。知っていれば、アズリン師の名を使った贈り物など使いはしなかっただろう。

 だが、サバスにしろヴァレリーズにしろ、アズリンがこのような直接的な行動に出るとは考えもしていなかったのだ。


「たっ、大変でございます!」

 別の弟子が、部屋に飛び込んで来た。

「何事かっ!」

「魔導宮の入り口出口を、兵が封鎖しております! 外に出られません!」

 ヴァレリーズはグッと奥歯を噛みしめる。これがアズリン師のやった事かどうかは判らないが、敵はヴァレリーズの先を行っている。となれば、次は――。


「我が弟子よ、ヴァレリーズよ……」

「師匠! 気が付かれましたか!」

「うむ、そなたのお陰だ。礼を言う」

「何をおっしゃいますか、弟子として当たり前のことです」

 ゆっくりとサバスが上体を起こす。ゼイゼイと息が荒い。彼は部屋の中を見回すと、先ほど飛び込んで来た弟子を指さし、場内にいる他の魔導士がどうなっているのかを調べてこいと指示をだした。

「恐らくは、みな私と同様、毒にやられているだろう」

「計画的であると?」

「当たり前だ。しかし、我らにも油断があった。警戒すべきだった。今更言っても詮無いことだが」


 ドタバタと大きな音を立てて、他の魔導士たちを観に行かせた弟子が再び戻ってきた。

「ブライ師はじめ、魔導宮にいらした主立った皆様は、やはり毒を盛られたらしくどこも大騒ぎでございます!」

「やはり、な」


「毒は水属性魔法で身体から吐き出させよと、他の魔導士たちに伝えたまえ!」

「はっ!」

 ヴァレリーズの指示に、何人かの弟子が魔導宮内へと散っていった。

「ここはもうよい……王宮へ行け」

「師匠、しかし!」

「大丈夫だ。お主のお陰で立ち上がることもできる。四相六位のマルコ・サバス。老いたりと言えど、まだまだそこらの若い者には負けんよ。さぁ、陛下の身が心配だ。行きなさい」

「はっ」

 ヴァレリーズは短く答えると、すっくと立ち上がった。

「師匠、しばしのお別れです。必ずや陛下をお守りいたします」

「うむ。頼んだぞ」

 部屋を出たところで、ヴァレリーズは一旦立ち止まり、そこに集まっていた弟弟子たちに「サバス師のことは、お前たちが守るのだぞ」と告げ、魔導宮の玄関へと向かった。足早に歩きながら、懐から機械を取り出す。桜から渡された無線通信機だ。王都内であれば、相互の通信は可能だ。ヴァレリーズは通信機の電源を入れ、通話ボタンを押した。


【オールト子爵邸】


 魔導士であれば、多少の差はあれ結界が破壊された際に発せられる不愉快な震動を感じることができる。オールト邸の食堂で朝食を摂っていたオールト家の人々も、結界が破壊されたことを敏感に感じ取った。直後、執事のひとりが食堂に飛び込んで、主人に耳打ちした。


「兵士だと?」

「はい」

「わかった。お前たちは部屋に下がっていなさい。みなも安全な場所に隠れているのだ」

 フィンツ・オールト子爵には、この家を、家族を、オールト家に仕える者たちを守る義務がある。安全な場所に下がるよう、彼らに指示を出した後、自らは侵入者と対峙するために玄関へと向かった。


 オールト邸の門扉は無残に破壊され、エミリアが手塩に掛けて育ててきた草木も、十人ほどの兵士たちによって踏みにじられていた。それだけで、相手は万死に値するとフィンツは怒りに燃えた。


「何者か! 無礼であろう! 即刻立ち去れ!」

「オールト子爵とお見受けいたす。少々お願いがあって罷り越しました」

 フィンツの前に立ち並ぶ、腕に黒い布を巻き付けた兵士の一団。その中から、魔導士のローブを着た小柄な男が一歩前に出て話し出した。

「願いだと? このような無礼を働きながら、貴様は阿呆か!」


 ローブ男のこめかみがピクリ、と引き攣った。

「無礼? あぁ、門を破ったことですかな? なに、大義の前には小さきこと。大人たいじんはこのような些細なことに気を掛けぬものですよ」

「ぬかせ! 有象無象を引き連れ押しかけるなど蛮族がごとき振る舞い。貴族として……いや、人として見過ごせるものか。何もせずに引けば許すつもりであったが、気が変わった。貴様たちには報いを受けさせよう」

 フィンツは、小さく詠唱を始めた。


「やれやれ。貴族と言ってもその程度か。人の話を聞けば命は助かったものを」

 ローブ男と後ろに控える兵士たちも、それぞれに詠唱を開始したが、フィンツの方が一歩速かった。兵士たちの周囲で風が渦を巻き始める。兵士たちの中には、それだけで心を乱され詠唱を止めてしまう者もいた。


「己の行為を恥よ! 四属性嵐エレメンタルストーム!」


 フィンツとて、四相二位の魔導士である。扱える魔法の規模では弟に敵わないが、四つの属性を扱うことに掛けては自信がある。四属性嵐エレメンタルストームは、四つの属性魔法を組み合わせた範囲攻撃魔法だ。兵士たちは、すさまじい風が作り出す渦の中で、石や氷塊、火の玉に襲われた。やがて、嵐が収まった後には、無事に立っている兵士はいなかった。


「どうだっ……!」

 兵士たちの間から、ひとつの影が立ち上がった。ローブの男だ。

「さすがに貴族、といったところでしょうか?」

「貴様ッ!」

 睨み付けるフィンツの視線を薄ら笑いで跳ね返す男は、兵士たちを自らの盾として身を守ったのだ。

「二位程度の階位では、この程度でしょう。では、四位の力を見せてあげましょう」

 男が腕を高く上げると、巨大な火の玉が頭上に現れた。

「あなたには、これを防ぐことはできないでしょう?」

 確かに男の言う通りだった。フィンツの実力では、あの火球を消し去ることはできない。水属性、いや水と風の混合魔法であったとしても防ぐことはできまい。それどころか、家にも被害が出てしまうだろう。

「何が、望みだ」

 悔しさを滲ませ、フィンツは問いかける。

「簡単なことですよ。ヴァレリーズ・オールトの娘を差し出せ」

「!」

 男の狙いは、エイメリオだった。

「ふざけるなっ!」

 渡せるわけがない。姪を、家族を差し出して命を長らえたとしても、そんな命に価値があるだろうか。魔法の実力は相手が上だが、家族はなんとしても守ると、フィンツは命を捨てる覚悟を決めた。

「ならば、しかたありません。あなたを殺してからゆっくりと見つけさせてもらいますよ」

 男が手首を回すと、頭上で渦を巻いていた火球が一直線にフィンツ目がけて襲いかかった!


爆裂エクスプロージョン!」


 一面に炎が炸裂した。

「なにっ!」

 驚きの声は、ローブの男から上がった。

「そんなちいさな火で、私たち家族を傷つけられるなどと思わないで欲しいわ」

 火には炎。ローブ男の火球をより巨大な炎の力で吹き飛ばしたのだ。


「エミリア……」

 フィンツが送る視線の先には、白いローブを纏った妻の姿があった。


「さぁ、我が家を襲った報いを受けなさい」

 エミリアは静かに微笑みながら、ローブ男の死刑を宣告した。

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