この世の

@yu_sho_jo

第1話

俳優を目指すといった旨の置手紙を残し高校卒業とともに上京してから4年の月日が経った。週7日のバイトで生計を立て、毎月もらえる薄い茶封筒だけを頼りに今にしがみついていた。22になった今、僕はその日行われるエキストラの仕事現場に着こうとしているところだった。12月の冷たい風が空気を乾燥させ、ベージュのコートを着たOLや改札のアナウンス、派手に飾られているクリスマスの装飾までもが白色に感じた。現場に着くとやけに刺々しい空気を醸し出す舞台監督が足を組み、折り畳みチェアに深く腰掛けていた。挨拶を済ますと、僕はいつものように撮影を待った。9時22分。ようやく主役を含む撮影関係者たちが現場入りし、撮影が始まる。緊張が走る中、それは6時間に及び続いた。エキストラとしての仕事が終わった後、僕はそのまま池袋にあるカフェに行き、一息ついた。16時を回ったところで店を後にして人ごみの渦の中、バイト先へ向かう。自分より1つ下の大学生がやけに若く見える。自分が年相応じゃないだけか、と僕は思った。大した作業はなく、接客とレジのみを淡々と繰り返す。21時になり、僕は家路についた。都会の喧騒は大きければ大きいほど僕を否定しているように感じた。コンビニで夕食の弁当を買う。やけに味が濃い、と僕は思った。しばらくすると矢島からメールが来る。矢島は高校の同級生で、内向的な僕の唯一の友人だった。普段学校のことを話さない母も矢島のことだけは知っていた。彼は仕事の関係で1年こちらに住むらしく、彼と2週間後にレストランで会う約束をした。彼とはいろいろな話をしたいと思っていた。壁の薄いアパートのせいもあったのか、その日はいつもより3時間は遅く眠りについた。その間の2週間の僕の記憶はない。きっと芸能のスキャンダルや差別問題についての無機質なニュースばかり見ていたのだろう。当日バイトを早めに切り上げ、僕は目的地へ向かった。1年も佳境を迎え、都会は一層賑やかになったが、不思議と嫌な気分ではなかった。目的地であるレストランに着き、席を確認すると、そこには2年前よりたくましくなった矢島の少しひきつった笑顔があり、多少なりの違和感がある。お互いに挨拶を交わし席に着くと、僕はその違和感が何なのかの判断が一瞬でついた。彼の隣の席には女物のハンドバッグがある。だが僕はそれについて触れることはなかった。5分ほどたっただろうか、トイレから出てきた不思議な雰囲気の女性が僕に軽く会釈をし、矢島の隣に座った。僕も会釈を返すが、その女性が誰なのか、全く見当もつかなかった。矢島はメニューを置き、一呼吸おいてその女性を僕に紹介した。「結婚前提で付き合ってる彼女の絵美子、この人は僕が言っていた友達の佐田くん」両方の紹介がなされ僕たちは再び軽く会釈しあった。「佐田君は何してる人なんですか?」微かに聞き取りにくい声だった。「今は俳優の養成所に通ってます」あまり自分の職業を人に話すのは好きでない。だが、絵美子は優しい表情を一つも変えず、「楽しそうですね」と呟き水の入ったコップに手を伸ばす。今思えばそれがお世辞だったことはすぐにわかったのだが、東京に来て初めて他人に認められた気がして嬉しくなった。メニューを頼み終えしばらく経ち、3人の表情は柔らかくなっていった。そこで僕は思い出したかのように「おめでとう」と矢島に伝えた。「まだ付き合って半年だし、いつ別れるかわかんないよ」と矢島の軽い冗談に絵美子はやけに綺麗な笑顔を見せた。運ばれてきた料理を口にし、僕と矢島の高校時代の話を絵美子に話した。食事が終わり、僕たちはレストランを出た。「さよなら」「じゃあ」そして僕は家路につく。得体の知れない大きな何かが僕を襲ったが、あえてそれが何かを模索するのはやめた。明日も仕事がある。翌朝携帯を見たらそこには見知らぬ名前があったが昨日を思い出し咄嗟に返事を返した。味気の無い朝食を取りエキストラの撮影に向かった。現場に着くと、いつの日から来た疲れだろうか、僕は気づいたら病室にいた。僕に就いた看護師は疲れから来たストレス性の精神疾患だと説明をした。様子を見るため、1週間の入院が必要とされたが、バイトやエキストラの仕事があると伝え起き上がろうとしたが、体は起き上がらなかった。不思議なこともあるものだ、僕はそのまま再び眠った。この手の精神疾患にかかるとものすごい不安や焦燥感、何かからの激しい怒りが伴うのだが、不思議とそんな感情はなかった。そのため、1週間の入院が終わり僕は晴れて病院を出ることになった。急いで不在着信からバイト先に連絡を入れたが、着信は拒否された。この1週間、バイト先からの着信以外はなかったため、僕は改めて自分の存在価値のなさを認識した。絵美子からのメールは一度送ったきり返ってこなかった。2か月ほど経っただろうか、絵美子から突然連絡が来た。「助けて」僕は間を置かず即座に返信した。そしてその夜僕は絵美子と会った。矢島のことについての相談らしいが様子がおかしかった。「私、DVを受けているの」僕は一瞬の焦りとともに少し体が寒くなった。今までとは違った違和感が僕に主張してくる。あの矢島からは到底想像できない、絵美子は嘘をついている、僕は思った。とりあえず信じたふりをして話を聞き出すことにしたがお酒が入ったせいか、少し体が熱くなってきた。話が一段落ついたところで、絵美子は僕の核心を突く一言を放つ。「信じてないんでしょ」僕はお酒を口に含み落ち着いた、いや、動揺した。傷心した彼女がどことなく妖艶に見えてきた。これが彼女の本当の顔か。「証拠を見せるからどこか別の場所に行きたいの」酔った二人はDVの証拠のあざを確認する、という名目で都内のラブホテルに向かった。部屋に入ると絵美子はシャワーも浴びずに僕に抱き着いてきた。強い酒の香りが心地よく、僕は服を脱がせた。行為は翌朝まで及んだが、僕は絵美子の体に本当にあざがあったこと以外覚えていなかった。それからは僕と絵美子は毎週末に体を寄せあう関係になった。絵美子のことを知れば知るほど、矢島が腹立たしく思えてきた。絵美子と出会い一年が経ち、絵美子は矢島と別れる決心をした。一人では不安だ、と僕もついていくことにした。事情を説明する必要があったのだ。今までの彼は本当の彼ではなかったのかもしれない。そう思いながら目的地へと向かう。僕は甘かったのかもしれない。実際に矢島が住んでいるアパートに絵美子と2人で向かう。絵美子が「入っていいよ」絵美子に言われるがまま矢島の部屋に入った。そこには今まで見たことのない矢島の狂気の表情に足がすくんだ。矢島は僕には目もくれず、絵美子に対して目を見開き、唇が震えていた。「今まで黙っててごめんなさい」そう言いかけた絵美子に矢島が襲い掛かった。一瞬の出来事だった。彼の表情を確認した時にはもう遅かった。彼の家に入った瞬間に異世界にでも飛び出したかのように、絵美子に刺さった包丁から勢いよく飛び出した血が舞った。そしてその包丁を抜いた彼は何の躊躇もなく自殺した。そこに矢島の言葉はなかった。部屋の家具すべてが奇妙に感じたがなぜか動けなかった、動かなかった。僕が震えた手で119を押したときにはもうすでに遅かった。そういえば、「愛が強すぎては毒になる」という誰かの言葉が浮かんだ。忘れられない事件のせいか、僕は再びストレス性の精神疾患に陥った。今日で上京してから4年が経った。今もまだ療養中だ。













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