第2話 邂逅

「・・・っはぁ、はぁ・・」

 昼白色の穏やかな灯りに照らされた廊下に似つかわしくない声が漏れていた。

 その声の主は、廊下の端に備え付けられた手すりにつかまって、いや、しがみついて、脚を引きずるように無理矢理歩いていた。

 相当無理をしているらしく、一歩歩く度に額や頬に絆創膏が貼られた顔が苦痛に歪む。

 それだけではない。

 支給品だろうか?

 味も素っ気もない貫頭衣の寝間着の間から見える肌も、すらりと伸びる極限まで鍛え上げられた手足にも包帯がぐるぐるに巻かれ、しかも、その至る所に血が滲んでいるのが見えた。

「っあぁ」

 声にならない声をあげ、その少女は倒れた。

「っ、・・・いてぇ」

 なんとか自力で立ち上がろうとする。

 しかし、身体は鉛のように重く、手も足もガクガク震えて全く力が入らない。

「くそ」

「あ、いました。見つけました」

 その時だった。

 突然後ろの方で、そう叫ぶ声が聞こえた。

 そこには、円筒形のロボットを引き連れた看護師の女性が立っていた。

 看護師は倒れている少女に駆け寄ると、しゃがみこんで声を掛けた。

「マイさん、聞こえますか?」

 そう。廊下で倒れた包帯まるけの少女はマイだった。

「先生、マイさんを見つけました」

 看護師の女性が耳に装着されたインカムに話し掛ける。

「はい、特別治療フロアです。・・・はい、病室に運びます」

 そう言うと、耳のインカムの別のボタンを押さえ、後ろに追従するロボットに小声で何かを命じた。

 するとロボットのボディからアームが現れ、マイを優しく抱きかかえながら車イスに変形し、自身のイスに彼女をゆっくりと座らせていた。

「マイさん、それじゃあ病室に戻りますからね」

「ミユキさん。お願いがるんだけど」

「ダメです。いいですか。貴女はもう少しで身体をバラバラにされるところだったんですよ。

 絶対安静なんですよ」

「わかってる。でも心配でしょうがないんだ。皆の様子を見たら大人しく病室へやに帰るから。一生のお願い」

 そう言って顔の前で手を合わせ拝む。

「ゎ、わかった。わかりました」

「本当?」

「マイさんに頼まれたら断れないですよ。ただし、今回だけですからね」

「ありがとう」

「それともう1つ」

「なに?」

「あとで先生と、(看護)師長さんに一緒に謝ってくださいね」

「もちろん」

 2人は、どちらからともなくニコっと笑うと、ミユキが再びインカムを押さえ、小言で何かを命じた。

 すると、マイを乗せた車イス型ロボットは、そのまま廊下を直進し始めた。

 特別治療フロア。

 そこは、クローン技術を応用して治療を行う場所だった。

 ここはその、女性専用の治療設備で、医療関係者以外立ち入り禁止のため、施設内には入れない。

 が、廊下側の壁が全面ガラスになっていて、内部なかの様子は誰でも自由に見れるようになっていた。

 ガラスの向こうに整然と並ぶ、治療用の培養液に満たされた円筒形のカプセルの中に、患者が漂うように収められているのが分かる。

 マイはその中に、アンナ、ハルカ、リン、エマ、アヤの姿を見つけ、ほっと胸をなで下ろした。

「マイさんの特別治療は予定通り明日行います」

「・・・うん」

 だが、マイからの返事は素っ気ないものだった。

「マイさん。聞いてもいいですか?」

 聞くか否かためらったが、ミユキはマイに思い切って尋ねた。

「なに?」

「本当は皆さんと一緒に最優先で治療を受けるはずだったのに、なんで1人だけ辞退したんですか?」

「・・・」

「す、すみません、変な事聞いて。でもマイさん達は地球を守るヒーロー、いえ、ヒロインだから・・・」

「・・・ミユキさん、私たちの昨日の戦いについて何か聞いてない?」

「何か、ですか?ニュースではマイさんたちチーム36がヘルゲートから現れたブロッケンを2体とも倒したって言ってましたよ。それが何か?」

「あ、いや、いいんだ」

 ‶報道管制か?″

「マイさん?」

 心配そうに自分の顔を見つめるミユキに気付き、マイは慌てて話しかけた。

「ああ、ごめん。気にしないで。それよりさっきの質問の答えなんだけど、他の5人は意識なかったけど私はたまたま回復してたし、それに・・・」

「それに?」

「私たちが最優先で治療を受けるということは、、他の誰かが一時的にせよ治療を受けられないということだから。

 もしかしたら、そのせいで手遅れになって亡くなる人もいるかもしれない」

「でもそれはブロッケンが・・・」

「・・・それはそうなんだけど。実は昨日から明後日まで休暇で、ギアの修理も最低でもあと一週間かかるっていうし、まぁ、それならいいかなって」

「よくありません」

「え?」

「マイさんの言うことは正しいと思います。でも、こんな状態で病室を抜け出すのはダメです。マイさんたちダイバーは私たちの最後の希望なんです。

 そんなマイさんがこんな痛々しい姿で病院内を歩いていたら、それを見た他の患者さんやその家族、お見舞いに来た人たちにも不安や動揺が広がります」

「そうか。そこまで気が付かなかった。ごめん」

 ビッ、ビッ、ビッ、ビッ、ビッ。

 その時、小さなバイブ音が響いた。

 それは、ミユキのインカムに届いたナースコールだった。

「・・・はい、分かりました。すぐに行きます。

 ごめんなさい・・・」

「いいよ。こいつがいてくれれば1人でも大丈夫だから」

 そう言いながら車イスのひじ掛けをポンと叩く。

「早く行ってあげて」

「はい」

 ミユキはポケットから取り出した予備のインカムをマイに手渡すと、廊下を小走りに去って行った。

 それを見送ると、マイは受け取ったインカムを耳に装着した。

「さてと、ごめんね、ミユキさん」

[行先は病棟でよろしいですね]

 車イスは彼女にそう話しかけた。

 だが、彼女にはどうしても立ち寄らなければならない場所があった。

「いや、買い物がしたい。アミューズメントエリアに連れて行って」

[わかりました]

 車イスは特別治療エリアにあるリニアトレインの停車駅へと向かった。

 停車した列車に乗り込むと、扉が閉じ、リニアトレインは文字通り滑るように動き始めた。

 ‶次はミルキーウェイ・ストリートです。お買い物はもちろん、お食事、映画、ゲーム、スポーツ、エンターテインメントの全て楽しめるガリレオ最大のアミューズメントエリア、ミルキーウェイ・ストリートに是非お寄りください″

 そのアナウンスを聞いた瞬間、マイの表情が変わった。

 列車が停止し、扉がゆっくりと開く。

 駅を出たそこは、さっきまでの静寂が嘘のような、きらびやかで賑やかな場所だった。

 普段マイたちは、地球の周りに浮かぶ巨大な宇宙ステーションに滞在している。

 地球を50のエリアに分け、その上空に浮かぶ各ステーションが、担当のエリアに出現したブロッケンを撃破しているのだ。

 各ステーションに配属されているチームは3機1組の編成で、どこかのステーションのチームが休暇、もしくは負傷者が出てフォーメーションを組めなくなり出撃不可能な場合は、他のチームが皆でフォローする。

 だからマイたちもこうして治療に専念出来ていた。

 だが、今回に限っては、パイロットたちの治療のギアの修理も、宇宙ステーションの設備で出来る範疇はんちゅうを越えていた。

 だからガリレオまで搬送されて来たのだが、ガリレオはマイたちでも滅多に来れる場所ではなかった。

 変な言い方だが、こんな機会でもなければ来れないからこそ彼女にはどうしても寄りたい所があった。

[どちらに向かいますか?]

「お土産を売ってるお店」

[わかりました]

 車イスはそのまま一番近い土産物を扱うお店に入った。

 ぐるりと店内をまわっていると。

「止めて」

 マイはの前で車イスを止めた。

 は地球の模型だった。

 時刻が表示されたパネルが埋め込まれた台座の上の部分に円盤が埋め込まれていて、その中心に細い金属の棒で立てられた地球と、地球を挟んで円盤の両端に立てられた2つの衛星。

 それらが、地球が時点するのに合わせて、その周りを時点しながら周回する。

 マイの視線は、引き寄せられるように、それに釘付けになっていた。

「お父さん」

 マイはその置時計を見ながらのことを思い出していた。



 かつてない繁栄を極めつつあった人類は、その活動範囲を宇宙にまで広げていた。

 月から地下資源を採掘するだけでは飽き足らず、アステロイドベルトからオーストラリア大陸に匹敵する小惑星を地球圏に運んで衛星軌道に乗せ、資源衛星として活用していた。

 今、マイが見ている置物は、アステロイドベルトから運ばれて来た、ガリレオと名付けられた小惑星の、シャトル発着港で売られていた土産品だ。

 これと同じ物が、かつてマイの家にもあった。

 それは父からのお土産だった。

 マイの父はガリレオで働いていたのだ。

 早くに母を亡くしたマイにとって、それは誇りであり自慢だった。

 父がガリレオに単身赴任するのと同時に、彼女は父の実家に預けられた。

 そこは、山あいにある大きなお寺の山門へと続く参道で、祖父母はそこで小さなお店を切り盛りしていた。

 夏はかき氷やソフトクリーム。冬は甘酒やぜんざい。そしてお店の看板メニューはなんと言ってもおばあちゃん手作りのみたらし団子。

 夏はおじいちゃんが川で釣ってきたアユを食べ、セミを捕まえたりして真っ黒に日焼けするまで遊び、冬はおばあちゃんが育てた柿を食べるのが楽しみで、友達たちと雪だるまを作ったり雪合戦したりして過ごした。

 星が見える夜は、自宅近くのお寺の本堂に続く長い石段を登り、星空に浮かぶガリレオを見上げ、1日の出来事を話しかけるのが日課になった。

 そんな彼女に更なる転機が訪れる。

 幼稚園で一番の仲良しになった女の子、アンナの家が拳法の道場だったため、マイは拳法を習い始めた。

 父が心配するので実戦ではなく演武を、それもアンナと2人1組で行う演武のデュオを選んだのだが、それが彼女にビックチャンスをもたらすことになった。

 演武がオリンピックの正式な種目に決まったのだ。

 マイたちはまだオリンピックに出場できる年齢ではなかったが、ジュニアクラスで日本一になれば、オリンピックと同じ施設を使って行われるジュニアオリンピックに日本代表として出場できる。

 オリンピックに出たら、ガリレオにいるお父さんもきっと喜んでくれる。

 そう考えたマイは、アンナと血のにじむような努力を重ね、小学4年生という史上最年少でジュニアクラス日本一になり、オリンピックへの出場を決めた。

 その日の夜、テレビ電話で父が嬉し泣きする姿に思わず自分まで泣いてしまい、2人で笑い泣きしたことを今でもはっきりと覚えている。

 それほど嬉しかった。

 だがあの日、全てが一変した。

 北極と南極の磁場が入れ替わるポールシフトが突然起きたのだ。

 それは、長くて数千年、短くても数百年の歳月をかけて行われることが研究でわかっている。

 だが、今回は違った。

 ある日突然、しかも一瞬にして両極の磁場が入れ替わったのだ。

 そんなことが起これば、当然地球は大災害に見舞われると思われた。

 が、何も起こらなかった。

 そう。何も起こらなかった代わりにが起きた。

 北極と南極の地軸点上に突然黒い球状の物体が現れ、そこから謎の生命体が、・・・実際は生物かどうかも分からないのだが・・・が出現し、人類が築き上げてきた文明を破壊し始めたのだ。

 その次々に姿を変える異形の怪物は、陽の当たる角度によって形が変わる影になぞらえてブロックと命名された。

 そして、人類が初めてブロッケンと遭遇したその日は、マイにとって絶対に忘れられない日となった。

 時を同じくして、北極と南極それぞれの黒球から出現したブロッケンは、1体が地上に、そしてもう1体が高度1万メートル上空に現れた。

それは最悪の遭遇だった。

遥か上空に現れたブロッケンに、偶然そこを通り掛かった1機のシャトルが激突し爆散、流星となって地上に降り注いだ。

それにマイの父が乗っていたのだ。

マイの父は、わざわざ休暇を取って地球に戻る途中だった。

日本代表になった娘を応援するために、ガリレオからオリンピック開催地のニュージーランドに向かう途中の悲劇だった。

そしてもう1体は、日本に出現し、静かな山あいの町を蹂躙じゅうりんした。

 そこは、マイやアンナの育った場所だった。

 アンナの家族は、マイやアンナと一緒に現地に向かう飛行機に乗っていて難を逃れた。

 だが、マイの祖父母は日本に、故郷の町にいた。

 ‶団子を楽しみにしてくれるお客さんがいるからお店は休めない″

 それは、マイと父を親子水入らずで過ごさせてあげたいという祖父母の心遣いだった。

 「町の皆とテレビの前で応援するから」

 そう言って空港で御守りを手渡し笑顔で抱きしめてくれた。

 その後もマイが見えなくなるまでずっと手を振って見送ってくれた。

 それが彼女が見た2人の最後の姿だった。

(お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん)

 こぼれる涙を必死に拭う。

 その後、人類はブロッケンに対処するため、国連主導のもと2つの対応策を決定した。

 1つはブロッケンに対抗するための組織の結成と兵器の開発。

 もう1つは、地球からの人類の避難。

 それは、穴まるけになった月の地下に都市を建設し、人々を避難させるというものだった。

 それから4年。

 人類はブロッケンに対抗するための組織GOTUNを結成し、ガリレオをその拠点として戦いを続けている。

 今ではダイバーズ・ギアの開発からヘルゲートの完全閉鎖に向けての取り組みまで、全ての研究がここで行われ、それに携わるあらゆる人たちとその家族がここで暮らしていた。



「・・・さまっ、お客様っ、大丈夫ですか?」

 耳元で聞こえた大きな声に、マイはハッと我に返った。

 見ると、店員の女性が横でしゃがみ、心配そうに顔をのぞき込んでいた。

「大丈夫ですか?医療エリアにお連れしましょうか?」

「大丈夫です」

 涙を拭きながらマイは気丈に答えた。

「でも」

「あ、これください」

 "ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ”

 マイが置時計を取ろうとした瞬間、突然警報が鳴り響いた。

 

 


                            〈つづく〉





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