第4話 苛々プラネタリウム

「どーか、神様!高校合格できますよーに。出来ひんかったら呪ったる!」

 さらりと馬鹿なことを大声で言うカッキーの後ろであたしは痛む頭を押さえた。

 何でこいつはここまで馬鹿なんだ。そもそも、勢い良く投げた五百円硬貨が賽銭箱に跳ね返って返ってきた時点で、神様から拒否られたかもしれないじゃない。

「ちょっと、カッキー!声デカすぎ!迷惑やろ!」

 叫ぶと、顔をしかめたカッキーが振り返った。

「今は俺らしかおらんのやからええやんけ。全員の分祈っといたからな」

 左様ですか。

「全員分で五百円もケチな気がするけど」

「みんなの分はおまけみたいなもんやし」

 それは御利益があると言えるんだろうか。

 まぁ、いいや。どうせ何も考えてないに違いない。

 正月の早朝、初詣は、まだ誰も来てない時間に行きたいと言ったカッキーに付き合って(寝坊して遅刻したのもカッキーだ)、あたしたちは島の山手にある神社にお参りに来ている。

 島の小さな神社だから、敷地も広くないし、全体的に古びた感じがするけれど、ちゃんとお神楽もあって、神主さんもいる。

 境内も綺麗に掃除されているから、今も変わらず子供たちの遊び場になっている。何せ、公園が島には無いからね。

 椎香に聞いた話では、公園も大きいところだとアスレチックとかがあるそうだ。小学校の遊具が背丈の低い滑り台とブランコだけだったあたしたちにしてみれば、全く想像がつかない。

「詩織、おみくじ引こうよ」

 祐子がちょいちょいと向こうを指さす。百円入れて、勝手に引くだけの簡単なおみくじ。だけど、毎年本気になって挑んだりする。

「おっしゃ、大吉」

 早くも大吉を引き当てた浩平が得意満面の表情であたしを見た。そう言えば、こいつは去年も大吉だった。

「詩織は?」

 手の中で紙を捻り潰す。

「凶だけど何か?」

「別に」

 笑いを堪えるように浩平がおみくじの紙を丁寧に畳んでコートのポケットに入れた。

「二連続~」

 歌うように言われた言葉に、その広い肩を殴る。

 分かってるわよ、んなことぐらい。

 去年、凶を引いたときはちゃんと括って帰ったけれど。

 よりにもよって、受験の年に凶が出るとは。

「帰ったら燃やしてやる・・・」

 憎悪の目で、くしゃくしゃになった紙を睨めつけると、

「持って帰ると、悪運を持ち帰るって意味になるんやって。諦めて括って帰り」

 祐子に諭されて、仕方なしにロープ(っぽいやつ)に結びつける。

「よし、これでオッケー」

「あーあ、末吉かぁ・・・」

 ため息と共におみくじを結びつけるのは純。

 単なる落胆のため息なんだろうけど、無性に腹が立つのはあたしだけ?

 凶からしてみれば、末吉なんて、“吉”って文字が入ってるだけで十分良いじゃないの、ねぇ。

「帰ろうぜー」

 境内の入り口で浩平とカッキーが待っている。純と祐子が何事か話しながら歩いていった。

「椎香?」

 おみくじを見て立ち尽くしている傍らの少女に声をかける。

 すると、驚いたように身を竦めて、次いでおみくじをポケットに仕舞って椎香が駆けてきた。

「どうしたん?悪かった?」

「一応中吉だったんだけど・・・」

「いーなぁ・・・」

 羨ましいよ、新年早々に。あたしも、もうちょい良かったら・・・。

 大吉とは言わない。神様せめて、吉でもいいから・・・。

「そう言えば、今度の新年パーティー、天文学部は何やるの?」

 椎香が言ったのは、毎年うちの中学で行われる新年を祝い会のこと。秋にある文化祭の小さい版ってことで、クラスや部活ごとに屋台を出したり、ショーをしたり、模擬店をしてりしている。

「うちはプラネタリウム。毎年やってるから」

「へぇ・・・。楽しそう」

「まぁ・・・準備は大変なんやけど。生物部は?」

「動物たちは移動させて、ミニ動物園を作ることになってるんだ。空いてる教室借りて」

「なるほど」

 昔はもう少し生徒数も多かったらしく、今では使われてない教室が結構ある。あたしたちが使うのもその一つだ。

「サッカー部は体育館でフットサルの試合するんだって。勝つ方を予想して当たったら金券五枚と交換とか言ってた」

 そんな賭事まがいのことをしていいのか。まぁ、金券五枚ぐらいだったら・・・いいか。

「楽しみ」

「そやね」

 今から準備しないといけないから、結構大変だけど。でも、楽しいのは事実だ。

「一緒に回ろうな」

「うん」

「祐子も一緒に」

「初めてだから、案内してね」

「任しとき」

 三年間通ったんだ。もうバッチリ。

 神社からの階段を下りながら、あたしは盛大に伸びをした。



 手を伸ばす。あと数センチ。

 だけど、それが届かない。

 つま先立ちして、手を伸ばすけれど、結局指先は空を掻く。

「はぁ・・・」

 ため息一つ吐き出して、仕方なく空き教室を出た。

 そして、普段の教室を覗く。

 あ、いた。

「浩平!」

 カッキーと純と、何か話していたらしい浩平が顔を上げた。

 こっちこっち、と手招きする。

「・・・何や」

 不機嫌な様子を隠すこともなく浩平が見下ろす。その視線を受け止めて、あたしは微笑を浮かべる。

「ちょっと手伝って」

ちょっと、の匙加減は・・・あたしの感覚ね。

「・・・はいはい」

 諦めたように浩平が歩きだした。

「いつものとこか」

「うん」

 そう言えば、去年も手伝ってもらったっけ。

「ほれ、貸してみ」

 差し出される手に豆電球の入った小さな袋をのせる。

「相変わらず大変やな」

「まあね」

 脚立に乗った浩平が、天井の黒塗りの板に電球をはめていく。

「それは右から二番目の穴」

「それはそっち」

「それは・・・一番奥」

 一等星、二等星とかの明るさ、色、全部がきっちりと書き込まれた計画書の通りに浩平が電球をはめていった。

「それで終わり」

 息をつく。

 脚立から降りてきた浩平が、空になった袋をテーブルの上に置いた。

 そして、そのまま教室の隅に並べられた椅子に座る。

「部活は?行かへんの?」

「今日はパス。あかん、眠い」

「どうしたん?」

「昨日、数学やってたら、もう一時やった。それから色々して、寝たんは二時やったし」

「ようやるわ」

 徹夜してまで勉強する気なんて起こらない。どっちかっていうと、早朝からやり始めた方が出来るタイプだ。

「ちょっと寝かしてくれ」

「どうぞ」

 同時に、浩平は瞳を閉じて寝息をたて始めた。よっぽど疲れていたらしい。

 あたしも手近な椅子を引き寄せて腰を下ろす。

 静寂。

 時計の針が時を刻む音だけが響く。

 静かだ。

 学校の中に誰もいないんじゃないかと思うぐらいに。

 ふと、窓の外に目を向けると、カッキーや純の姿が目に入った。

 立ち上がって、ちょっと窓を開けてみると、寒い風と一緒にグランドで活動するクラブのかけ声が聞こえてきた。相変わらず、カッキーの声は大きい。

 引退なんかとっくに終わって、新しいキャプテンが決定した今になっても、熱心に出ては後輩指導をしてる。そんなことをする前に、勉強すればいいのに、と思うけど、それだったら今のあたしも似たようなもんだ。

 長い間通った理科室や、毎年のようにプラネタリウムの準備で長い時間を過ごしたこの教室から、離れられずにいる。もう別れの季節は確実に近づいてきているのに。

 もしかしたら、二度と見られないかもしれないこの教室の残像を少しでも残しておきたいと躍起になってるのかもしれない。

 もう三ヶ月しかないから。

 自嘲気味に笑って窓を閉めた。

 再び教室に静寂が訪れる。

 微かに聞こえる、浩平の寝息と時計の音。そして、あたしの上履きが地面を叩く音。

 半分ほど開けた浩平の口からは白い歯が覗く。スポーツする上では歯は大切だとカッキーと純に語っていたのを思い出した。

 あれは中一の夏だったかな。あたしが一大決心するよりもずっと前の話だ。まだ、祐子と椎香だけしか知らないこと。

 祐子は最初は驚いて、でもすぐに椎香と一緒に賛成してくれた。

 椎香が言うには、設備がすごく良いって。女子の憧れだって。

 まだ浩平たちには言えない。言ってしまうと、何だかすぐにでも隔たりが出来てしまいそうで。

 でも、別にいいよね?

 あんたたちだって、あたしたちに隠してきたことがあるんだから。

 純だって黙ってた。辛いのは分かる。だけど、それを何ですぐに相談してくれなかったのか。妙な見栄なんか張らないで、打ち明けてくれればちゃんと一緒に考えたのに。

 それに、カッキーのこともある。

 椎香のことをあんだけ気にしながら、結局何も行動しないことに腹が立つ。

 周囲から見たらバレバレ、水面に出まくりの恋心を上手に隠し通せていると思いこんで安心していることにも。

 気づいてないのはカッキーと椎香ぐらいだ。椎香も結構鈍感な気質のようで、カッキーの分かりやすい(本人にとっては隠してるつもりの)態度にも、気付いてないみたいだ。

 ため息。

 何で他人事でこんなに疲れなくちゃいけないんだ。あたしにだってしないといけないことが山ほどあるっていうのに。

 もう一度、こんどはどっかりと椅子に腰を下ろす。背伸びの連続で疲れた。しばらく動きたくない。

 椅子が硬いのが残念だけど、贅沢も言ってられない。古びた教室の木の椅子に比べたら、多少硬くて塗装が剥げていてもクッションのあるパイプ椅子の方が良い。

 鞄に入れてあったカーディガンを羽織って目を閉じた。寝入ったことに気付かないほど、疲れていたんだと知ったのは起きてからの話。



「おい」

 次に目を開いたとき、正面にはムスッとした顔で半眼で見下ろす浩平の姿があった。

「いつまで寝てるねん。もう完全下校の時間過ぎてるで」

「・・・え?」

 視線を窓の外に動かすと、そこには真っ暗は闇。山側に面した窓は、灯り一つ無い黒だった。

「うそっ・・・もうそんな時間!?」

 六時近くを指す時計を見て、あたしは慌てて立ち上がった。カーディガンがひらりと床に落ちる。それを拾い上げて、鞄の中に入れると、机の上に置いてあった教室の鍵を掴んで教室を出た。

「浩平も早く!」

 手を強く振って手招きすると、呆れたような顔で浩平が歩み寄ってきた。

「早くって言ってるやん!」

「あのなぁ・・・」

 苦笑する浩平を教室から引っ張りだして鍵をかける。

 次いで職員室に急行した。



「やっぱ結構怒られたなぁ・・・」

 帰り道、ぼんやりと空を見上げながら浩平が言った。あたしもその視線の先を追いながら、

「そうやね」

 さすがに完全下校を二十分も遅れていたら怒られるか。でも、そこまで怒鳴られなくて良かった。

「冬は星が綺麗に見えるな。よう分かるわ」

「やろ?絶好の観察シーズンなんよね」

 またすぐに部員総出で天体望遠鏡を空に向けることになりそうだ。だって、雲がほとんどかかってないから。今日は月がよく見える。天体観測自体は新月の日にやるもんだけど。

「海も凪いでるし」

 左側に目を向けると、静かな波音がする。星明かりに輝く銀の海は、眼下に広がる砂浜に静かに波を寄せていた。

「ちょっと降りてみるか?」

 珍しく浩平が誘ってきた。いつもは家に直行したがるのに。

「どうしたん?」

「別に。今日は腹減ったって言って、うるさいカッキーもおらんし、久々に側まで行ってみよっかって」

「ふーん。別にええよ」

 先週、椎香を連れて祐子と三人で見に来たばかりだけれど、夜の海に来るのは久しぶりだ。去年にみんなで花火をしたのが最後だったかな。

 堤防の途中にある階段を下りて、砂浜に降りる。

 さくさくと砂を踏みしめながら、泡を生み出す波に近寄ってみた。

「ハマんなよ」

「アホ」

 笑って言い返す。

 こんな真冬に海に落ちたら、即刻風邪を引くに決まってる。

 運動靴の先を水の少しだけ浸けてみる。中に染み込まないギリギリの範囲だけ。

「なぁ、詩織」

「んー?」

 今度は反対の足。

 砂浜に付いた足が、流されてきたガラス片を踏んだ。

「島・・・出る気か?」

 足が止まる。

 靴が水に沈んだ。じゃぶり、と音をたてる。

「・・・・・・」

 冷たい水が中に染み込んでくる。その気持ち悪さに水から引き抜こうと思うのに、足が思うように動かない。

「島の高校に行く気無いんやろ?」

 これだから鋭い奴は。

「まだ言わへんつもりやったのに」

 わざとふざけた口振りで言ってみたのに。

「何でや」

 あたしのつま先を浸す海水のような、氷水のように冷たい言葉だった。

「何で黙ってた」

 答えない。答えたくない。

 別にあたしの勝手じゃん。

 代わりに足をもっと深く水に突っ込んでみる。地面に靴が埋もれる。

「おい、詩織!」

「言いたくなかったから!」

 浩平の声を遮るように叫ぶ。

 誰もいない砂浜に、自分の声が思いの外響くことに驚いた。

「言いたくなかったんや。みんなには」

 祐子や椎香に話せたのは、同性だったから。椎香とは知り合ってまだ二週間と少しだけれど、それでも妙に馬があって、祐子と変わらないぐらいに仲良くなった。だから、話すことが出来た。だけど・・・。

 カッキーや浩平、純には口に出来なかった。だって、

「みんなから遠ざかるのが怖かってん・・・」

 言ってしまえば、見えない谷間が生まれるようで。幼なじみの関係が音を立てて崩れていきそうで。

「みんなとは最後まで友達でいたかったし。もう会うことがないかもしれんし・・・」

「何言ってんねん。戻ってこればいいやろ」

「学校が東京なん。やから、そう簡単には戻って来れへん。それに、あっちでは寮に入ることになるから、メールもそんなしょっちゅうできひんし・・・」

 関係が疎遠になれば、人間同士の間柄なんて以外とあっさり離れてしまう。今までにも島を出ていった友達は何人もいた。親の転勤とか、祖父母の家にお世話になるとか。そして、その中に今も関係が続いている人は一人としていない。二年ほど、手紙とか年賀状のやり取りを続けていたけれど、やがてそれも無くなった。

 だから、だ。

 高校の三年間の間に、大切な絆が消えてしまうのが怖い。消えなくても、仮に帰ってきたとしても、みんなは今までと同じように振る舞ってくれるのか。あたしがいない間に、みんなはずっと一緒にいるんだろう。そこに、見えない格差を感じてしまわないだろうか。

 それを考えると、何か分からない圧迫感で押しつぶされるような感覚がして。

「これやったら、純と一緒やな。他人のことやったら言えるのに」

 結局、あたしだって異性の前ではカッコつけたかった。苦悩する自分の姿を晒したくなかったんだ。

 自嘲気味に笑って、反対の足も水に浸ける。ひんやりとした感覚が足全体に広がった。

 そのまま、ザブザブと水の中に入る。足首まで水に浸かった。

 おい、と浩平が声をかけた。

「何する気だよ」

「別に」

 入水でもするかと思ったわけ?

 鼻で笑って振り返ると、微かに笑んだ浩平と目が合った。

「何?」

 人の顔見て笑うんじゃない、と突っ込もうとしたけれど、

「安心した」

 穏やかな声音で紡がれた言葉に遮られて、開きかけた口を閉じた。

「は?」

 眉を顰めると、浩平は、いつもは仏頂面の強面の形相をなおも崩した。

「やから、安心したって言ってんの」

「何で?」

 今までの会話のどこに、あんたを安心させる要素があった?寧ろ、浩平にとっては鬱陶しいであろう、あたしの独り言に付き合わせてしまったのに。

「お前も俺らと変わらへんのやなって」

「はぁ?」

 ますます眉を寄せるあたしと、苦笑いする目の前の男。

「お前も怖がったり、悩んだりするんやなって思ったら、ホッとしただけ」

 ますますもって意味が分からない。何故そんな当たり前のことでホッとされる。

「何か、詩織って完璧過ぎるねんな。何があっても一人でやってのけるし。純の時やって、ちゃんと言うべきことを言ったし。あの場面、俺やったら、どうにもできひんかったしな」

「あれは、あたしも同じことで悩んでたから・・・。あっちの高校を受験するって決めたんはあたしやけど、それでもまだモヤモヤしてて・・・」

「それや。俺は、詩織は悩んだりせーへんのかと思ってたから、人間らしいところがあって安心したんや」

 何それ。

 唇を尖らせて浩平を見やる。

 あたしが人間じゃないと言いたげな台詞じゃないですか。

 そんなあたしの思いに気付いたのか、手をひらひらと振って抗弁する。

「別に詩織が人型のロボットとか言うてるわけとちゃうねんで?やけど、何か詩織は・・・そう、強い。めっちゃ強い人やなって感じで」

 だとしたら気のせいだ。

 こんなことに怖がって、一人悩んでたあたしに、その言葉は当てはまらない。

「あぁ・・・そうやな。人間らしいってのは撤回で・・・何て言うんかなぁ・・・」

 困ったように眉をハの字にする姿が珍しい。

「女の子らしいところもあるんやなって。色々と一人思い悩んで。そんで結構プライド高くて」

「悪いか」

「別に」

 飄々と言い募った浩平に、足下の水を蹴り上げる。

 うおっ、あぶねっ・・・。そう言いながら水しぶきを躱した浩平が眉をつり上げた。

「お前なぁっ!制服って潮に弱いのは知ってるやろっ!」

「いいじゃん別に」

 あたしはズボンじゃないから水に浸かっても問題ないし。

 もう一発蹴ろうと足を上げかけて気付いた。簡単に水から足が上がる。あれだけ冷たかった水が何だか心地よくて。跳ねる水から逃げる浩平のしかめっ面も楽しかった。

「おいコラッ!」

 射程範囲外に逃げた浩平が制止のサインを出す。

 今度は靴ごと蹴ってやろうかと足を上げた。

 刹那、

「スカートで水蹴るんやない!見えるやろっ!」

 は?

 やがて、浩平の言葉が意味することを悟ったあたしは慌ててスカートの裾を押さえた。

「ふざけるなー!この変態!」

「アホかっ!お前が水蹴ってくるからやろうが!」

「先に言ってや!」

「言う間もなく蹴ってきたのはどいつじゃボケッ!」

 水の内外で言い合いをしている様子は、端から見ればシュールな光景だったんだろう。だけど、今はそんなことを考えている間もなくて。

「もう知らん!」

 水から上がると、水を吸って重たくなった靴を突っかけて、引きずりながら歩き出す。砂が靴や足首に張り付いて気持ち悪い。靴下まで浸水した水は膝下まで付いていた。

「浩平のアホ」

「お前にアホ呼ばわりされるほど頭悪くないわい」

 そうでした。

 悔しいことに、こいつの成績はあたしよりも上なんだ。いっつも一歩及ばない。

「で、でもっ・・・あたしの方が家庭科は上やし」

「その分、俺の方が体育が遙かに上やけどな」

 はいはい、運動音痴で悪うござんした。

 歩く速度を上げる。

 堤防へ上がる階段を上がって、いつもの道に戻った。

 歩きだしたのはあたしの方が早かった。

 気が付くと、隣を歩いている存在に悔しくなる。

「何でそんなに歩くの速いわけ?!」

「どこかの誰かさんは靴の中に水の重石を入れてるからなぁ」

 つい、と片方の眉をつり上げて言って、浩平が嫌味に笑った。くっそぅ・・・腹立つ。

「・・・あんたの性格最悪」

 苦し紛れに言ったのだけれど、

「まぁ、その分頭良いかんな」

 恥じらうことなく言い放ちやがった。

「ホンマにもう・・・」

 ため息を吐き出して、それから少し笑う。

 上天には数え切れない星々が瞬いている。教室のプラネタリウムの星とは比べものにならないくらいに、綺麗で冴え冴えとした空がそこにあった。

「でも、ありがとうな」

「・・・おう」

 仏頂面の無感動屋が珍しく照れたように笑った瞬間だった。

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瀬戸内センチメンタル 莢御稜 @Yasu829ryo

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