第3話 少年少女は海を渡る

「ほんまにええんやな?」

 この問いに答えるのは今日で何度目だろう。さすがに苛立ってきて、俺は鷹揚に頷いた。

「何度も言ってるやん」

 俺はここに残りたい。

 生まれてから、と言っても、たったの十五年しか過ごしていない島だけれど、俺にとって故郷であることに変わりはない。そして、この島にはその十五年を一緒に歩んできた大切な仲間がいる。

「東京に行った方が、色々と良いのは分かってる・・・けど、俺はやっぱりここにいたいねん」

 詩織に言われたこと。

 あの冷ややかな表情で紡がれる言葉は、間違いなく俺の思いを言い得ていた。

 決断から逃げて、どうにもならないことばっかりに時間を費やして。

 だけど、詩織たちが教えてくれたから。

 何をすればいいのか分からず、一人で悩んでいた俺に救いの手を差し伸べてくれた。

 あの後、一度だけカッキーに、相談してくれれば良かったのに、と恨み言のように囁かれた。

 ごめん、と素直に思った。だけど、親が離婚するなんて話、到底人に言えるはずもなくて。それが、親しい友人だったら尚のこと。

 だから、みんなの前で不覚にも泣いてしまったことは結構恥ずかしい。それ以前に泣いたのは・・・いつだったか。たしか、小学校の時だ。浩平と喧嘩して負けたときだった。

 その時のことを思い出して苦笑してしまう。

 だって浩平ってば、手を全く出してこないんだ。人が殴るのを躱して、ただ言葉だけで人の間違いを正してくる。

 ああいうのが一番腹立つ、と昔に詩織が漏らしていた。

「・・・分かった。お父さんとももう一度相談してみるわ」

 母さんがそう言って立ち上がった。

 そして、俺を見る。身長はもう大して変わらない。だけど、浩平はもっと高い。母さんより高くなったのは小六の春だった。

 やっぱ、身長が高い奴は羨ましいよ。だって、俺、チビだし。

「じゃあ、お母さん、お店に出てるから。何かあったら言って」

 母さんが出ていく。そろそろ開店の時間だから、準備に行くんだろう。今も、オーブンからパンの焼けるいい匂いがしてる。

 扉が閉じられた音。

 さて・・・と。今からどうしようか。って、まずは冬休みの宿題をなんとか終わらせないと。カッキーほどじゃないにしても、結構成績がピンチな身としては、そろそろちゃんとしないと危険だ。いや・・・入試間近のこの時期じゃ遅いような気がするけど。

 だけど、やらないよりはマシだ、ってことで教科書を開いたと同時に俺の携帯電話が細かく振動した。電話だ。

 画面を見ると、カッキーからだった。さっき店の前で別れたばっかりなのに、何の用だろう。

「もしもし、純か?」

 俺の携帯なんだから、聞かずともそうだろうに。

「そうやけど、何?」

「何や、詩織が重大発表があるから祐子ん家に集まれって言ってきたんやけど・・・。祐子がスゴいって言ってた」

「へぇ・・・」

 何だろう。祐子だから・・・新しい和菓子でも考案して、試食会をしようとか言うんだろうか。

 どっちにしても、宿題なんかするより、みんなで集まった方が楽しそうだ。

「分かった。すぐ行く」

「おう。じゃーな」

 電話を切ってズボンのポケットに突っ込んだ。コートを着て、マフラーを付ける。よし、完全防寒。

 んでもって、ノートを閉じる。宿題は中止。出かけるのが優先だ。

「ちょっと出かけてくる」

 母さんにそう声をかけて家を出た。

 ドアを閉じた途端に吹き出す風に身を縮める。寒っ・・・。

 商店街は今日はクリスマス本番ということで、相変わらずのクリスマス仕様だ。

 一方で、正月飾りを売り始める店もある。

「何か、冬やなぁ・・・」

 呟く。

 その時に白く染まる息だとか、剥き出しになった木の枝だとか、些細なところにも冬が来ている。

「よー」

 古くてすっかり立て付けの悪くなった詩織の家の扉を開けると、よく見知った面々の顔があった。

 昨日も来た場所だ。少しだけ苦い記憶が蘇った。だけど、もう大丈夫。

「おはよ」

 祐子と上原さんが軽く会釈してくれた。と、同時に後ろの扉がもう一度開く。驚いて横に退くと、きょとんとした顔でカッキーが顔を覗かせた。

「れれっ・・・俺が最後?」

 憮然と浩平が頷いた。上原さんが苦笑する。

「クッソー、純より先に着いたろうって思ってたのに!」

「俺とカッキーじゃ家までの距離が違うから」

 必然的に俺の方が早いだろう。

 だけど、カッキーは今更納得したように手をポンと打ち鳴らした。

「そっか」

 そやそや、と一人頷きながらカッキーが入っていく。

 俺もその後に続いて中に入った。

「で、重大発表って何なんや」

 不機嫌そうに浩平が言う。どうやら、浩平たちにもまだ知らされてはいないらしい。

 それを受けて、詩織が祐子の肩に腕を回して前のめりになった。

「実は・・・」

「実は・・・?」

 カッキーも前のめりになった。ノリがいいよな。浩平は既に呆れた風になっている。だけど、短気な浩平が、呆れた帰る、とか言って出て行かないあたり、興味はあるんだろう。

 詩織が再び口を開いた。

「祐子の書道の作品が大阪で展示されることになりました!」

 おー!

 俺とカッキーの歓声と上原さんの拍手が聞こえる。浩平も驚いたような顔をしてる。

「何でも、結構有名なコンクールで金賞とったらしくて、明日と明後日に展示されるんやって」

 そっか。祐子は習字やってたもんな。

 字も一番綺麗だった。

「でな、ここはあたしらで見に行かなあかんと思うねん」

 何となく話の展開が読めてきた。そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、

「要するに、一緒に大阪まで来いってことか?」

「そういうこと!」

 質問した浩平に対して、詩織はウインクして見せた。目がデカいこいつがウインクすると、バチンと音がするような気がする。

「行くのは明後日の朝。魚屋の岩田さんに聞いたら、良平兄ちゃんが大阪まで船出してくれるって。やから、朝に出かけて、祐子の作品見て、ちょっと大阪の観光して帰ってこよう?」

 良平兄ちゃんというのは、魚屋のおじさんの息子で、今は跡継ぎとして毎朝漁に出ている。昔はよく遊んでもらってた。

「けど日帰りで大阪はキツないか?」

 本島に渡るときは一泊覚悟で出ないといけないのがこの島の習慣。天気が荒れたりして、ちゃんと船が行き来できるか分からないからだ。

 カッキーの言葉に、詩織はひらひらと手を振る。

「最悪の場合はビジネスホテルに一泊することになるけど・・・大丈夫やって。天気もいいみたいやし」

 確かに流しっぱなしになっている朝のニュース番組の天気予報も明後日は晴れだと告げている。うん、大丈夫そうだ。

「じゃあ、時間厳守で集合な」

 詩織がそう言うけれど、それですぐにお開きになるはずもなく。

 他愛もない話をしているうちに昼になり、そのまま詩織の家で昼飯をご馳走になり、帰ったときには一時を過ぎていた。外は、太陽が弱いながらも光を送ってくれるおかげで少しだけ寒さが和らいでいる。

 コートのボタンを外して歩いてみても、身を切り裂くような寒さは侵入してこない。

 大阪か。

 関西に行くのは小学校六年の冬以来だ。あの時は大阪南港の海遊館に行きたいという詩織と祐子に付き合って、カッキーと浩平も含めた五人と詩織の家族で出かけた。

 そして、今回は上原さんもいる。

 五人のメンバーも楽しかったけど、やっぱり人は多い方が楽しい。彼女がいると、場が和むんだ。雰囲気が明るくなって、自然と楽しくなる。カッキーがあんなにぞっこんなのも分からなくもない。

「おっしゃー!」

 空に向かって叫んでみる。幸いにも商店街には誰もいない。

 まだまだ解決しないといけないこととか、問題だらけだけど、今は大阪のことを考えよう。

 大阪にみんなで行って、祐子の習字を見て、色々見て回って帰ってくる。

 それが終わったらすぐに正月。

 楽しみなことでいっぱいだ。



 詩織の予想するとおり、当日はこの上無い快晴だった。冬のくせに、というと語弊があるかもしれないけれど、本当にいい天気なんだ。

 そんな中で、俺たちは港の桟橋に集合した。

「よっしゃ、行こっか」

 詩織がそう言って停泊されているボートに乗った。操舵席からは見慣れた兄ちゃんが顔を出す。

「相変わらずお前ら仲ええな・・・」

 若干苦笑混じりで笑う良平兄ちゃんに、祐子と上原さんが顔を見合わせて、すぐに笑い返した。

「って、あれ?君は・・・?」

 上原さんの顔を見て良平兄ちゃんが首を傾げる。

「今月の始めに転校してきた上原椎香です。初めまして」

 そう言えば、上原さんが来てからまだそんなに経ってないんだ。だけど、ずっと前からこのメンバーだったような気がする。多分、ずっと同じなんだと思う。これまでも、これからも。

 そんなことを考えている間に船が動き出した。

 漁船だから、網やら生け簀やらでゴチャゴチャしてるけれど、どうにかスペースを見つけて思い思いに腰を下ろした。

 女の子たちは積まれた何に使うのか分からないゴムのタイヤの上に座っている。

 カッキーは縁から身を乗り出して海の中を見ている。落ちたらどうするんだろう、とは思ったけれど、一応、救助道具もあるし、今日は波もそんなに高くないから放っておくことにした。

 で、浩平と俺は船の縁に座ってぼんやりとしていた。

 浩平は船の向かう、太陽の輝く水平線を、目を細めて見つめている。潮風に短い髪が微かになびいていて、何だかその姿が妙に様になっている。強面なくせに、何気にロマンチストなところもあるんだ、この人は。

「お、純!見てみ!メバルや!」

 カッキーに言われてのぞき込むと、確かに見慣れた魚の背が光に反射するのが見えた。

「ほんまやな」

 そう言ったとき、

「え、どこ?」

 ひょいと隣から祐子が顔を覗かせる。上原さんもカッキーの横に立って下を見ている。

「ほら、あれ」

 カッキーが指さした先でまた光った。

 他の場所でもキラキラと光。

「まだ見れるんね。もう三月やのに」

「そうやな」

 祐子の言葉に頷く。メバルはここらじゃ二月が一番大きくなって旨い時期だ。三月になってからじゃ岩田のおじさんの店にも並ぶのは珍しい。

「ていうか、あれだけで分かるの?」

 驚いたように振り向く上原さんに、今更にその距離が近いことに気づいたのか、あいっ、とか訳の分からない声をあげてカッキーが少し下がった。そんな大げさな動きしたら逆に分かるのに。

 カッキーが何か呟くようにボソボソと言ったけれど、聞こえなかったようで、上原さんは首を傾げるばかり。仕方なしに、

「見慣れてると分かるもんやで。俺らも昔から岩田のおっちゃんの船に乗っけてもらってたし」

 あの時は、カッキーが船から落っこちたり、俺が網に絡まったり、波が高くて全員で酔ったり、色々あった。

「へぇ、すごいね。私、メバルって名前自体あんまり聞かないよ」

「魚屋行ったら置いてあるやん」

「お魚屋さんに行ったのも、ここに来たときが始めただったんだ。あっちじゃ、スーパーで安いのを選んで買うだけだったし。生きてる魚を見るのも水族館以外だったら初めて」

 スーパー・・・何か都会的な響き。いいよなぁ。だけど、同時に都会に対する若干の侮蔑も抱いたり。東京じゃ、魚の名前もロクに覚えないんだなって。魚は切り身なんじゃなくて、海の中で泳いでるもんなのに。

 ちらりと横を見ると、上原さんとカッキーが何やら話し込んでいる。とは言っても、カッキーの方は結構どもったり、語を濁したりで、会話と言っていいかどうかは分からないけど。どうせ、上原さんの前でいいカッコしようとか企んでるんだろう。

 祐子はまた詩織の所に戻っていった。何か考え込んでいる風だった詩織は、すぐに笑顔を浮かべる。

「なぁ、純」

「ん?」

 不意に浩平の低い声がして見上げると、顔を動かさずに浩平が問うてきた。

「何や、よう分からんけど、最近、詩織と上原、ちょっとおかしないか?」

 そうだっけか?

 思い返してみる。それが、イブの日で止まった。そういえば、あの時に詩織と上原さんも悩むような顔をしていた。だけど、イマイチ覚えてない。

「ごめん、あんまし覚えてへんわ。俺も自分のことでいっっぱいいっぱいやったし」

 どうしていいか分からなくて、一人パニクってた。

 言うと、

「そやったな」

 すまん、忘れてくれ。

 そうとだけ言って、浩平は口を閉じた。

 俺も釈然としないながらも、久々に乗る漁船の風景に興奮して、いつしか忘れてしまっていた。

 そして、遠くに高いビルが見えてきた。港の近くは、そこまで言うほどのビル街ではないと詩織は言っていたけれど、それでも十分なほどにビルが建ち並んでいる。

 送ってくれた良平兄ちゃんに礼を言って、それから電車の駅に向かった。電車を二つ乗り継いで、それから少し歩く。三十分ほどで、梅田に到着。

「やっぱ・・・スゲェ」

 カッキーがそう言うのも分かる。

 港でも十分スゴかったけど、今見てる景色は全然違う。道と道の間にビルがあるんじゃなくて、ビルとビルの間に道があるんだ。

「狭苦しいとこやな」

 苦々しげに言う浩平に、

「何言ってんねん。これが真の都会。俺たちの田舎とは全然違うやん。やっぱ、こーゆー風に便利な方が絶対ええよな」

 恍惚と語るカッキーの横で、詩織が持ってきた地図を広げる。

「えっと・・・ここが、このビルやろ。やから・・・」

 眉をしかめて地図を凝視する詩織の横からのぞき込んでみたけれど、俺にもさっぱりだ。何せ、特徴的な店とか道ばっかりの島とは違って、地図の全てが、何とかビルって名前でややこしい。

 悶々と俺たちが悩んでいると、

「ほれ」

 浩平が携帯を差し出してきた。画面には、今広げてる地図と同じのが広がっていて、現在地に赤いピンが立っている。

「ほんで、行き先がこれ」

 ゴツゴツとしたデカい手に付いた人差し指が、画面の右上を指し示す。

「行くで」

 歩きだした浩平に、詩織が乱暴に携帯を押しつけた。

「何や?」

 折角教えてやったのに、と不機嫌そうな浩平に、詩織は同じくらい不機嫌そうに、

「何か、腹立つ」

 知るかよ、と呆れたように浩平が歩きだした。

 俺と祐子で、まだあちこちに視線を巡らせて頬を紅潮させているカッキーを回収して、あとに続いた。

 祐子の作品が展示されているというのは、大きなビルの最上階だった。下は保険会社のオフィスになっているそうで、上から三フロアは、大学合同の説明会とか、集会とか、多目的に使えるスペースになっているらしい。

「エレベーターってやっぱり気持ち悪い・・・」

「何か、ズンッてくる感じが変やんな」

 そんなことを言っているうちに、最上階に到達した。遙か下に人とか車とかが見える。前に一度、父さんが東京タワーに連れていってくれたけれど、あの時の風景と似ている。

「こっちこっち」

 赤い絨毯が敷かれて、妙に気品漂う廊下の人はまばらだった。

 中にはいると、俺たちの年の奴らはほとんどいなくて、圧倒的にじいさん、ばあさんが多かった。どうやら祐子は、子供から大人まで参加できる大会で入賞したらしい。やっぱスゴい。

 だけど、こんなにも人が少ないのは、冬休みなのにこんなものを好き好んで見に来るような人がそもそも少ないからだろう。今いるのも、ほとんどが今ここに自分の作品が飾られているか、それともその家族か、くらいのはずだ。

「祐子のはどれ?」

 詩織が聞いても、祐子はきょろきょろと辺りを見回して首を傾げた。

「どこやろ・・・。先生は、中学生のコーナーにあるって言ってはったんやけど・・・」

 そもそも中学生コーナーがどこか分からない。何せ、全国からの優秀作品が所狭しと並べられているのだから。

「しゃーないな。手分けして探そ」

 浩平がそう言って通路を歩いていった。カッキーと上原さんが続く。

 次いで、俺。詩織と祐子は反対方向を探しに行った。俺もみんなが探してなさそうな方向へ動く。そっちの方が断然早い。

 だけど、学校の体育館を四つ会わせたぐらい広いスペースの中から、そのコーナーを探すのは結構大変で。

 俺がそこを見つけたときは、既に探し始めた時から十分が経過していた。

 すぐ後ろは高校生のコーナー。どうやら、学生は一番奥にあったようだ。

 ふと、その高校生コーナーで足を止めている詩織を見つけた。

「おい、詩織。こっちやで」

 呼びかけると、驚いたように瞠目した。

「分かってる」

 そう言いながら、こっちに歩いてきたもう一度詩織が眇めたのは一枚の半紙だった。花鳥風月、と書かれたそれを詩織は見て、少しだけ目を伏せる。寂しげで、少し辛そうなその顔に、俺は疑問を感じた。

「詩織?」

「ん、何?」

「いや、どうしたんかなって・・・。知ってる人のやつ?」

「ううん、違うで。何でもない。行こ行こ」

 詩織が裏側に回っていった。俺は詩織が見つめていた作品を見る。何てことのない、単に上手な習字だ。別段、あんな表情をするほどのものじゃない。

 花鳥風月。桃花大附属高校二年、吉良佐和子。そう書かれただけのこの作品の、何が詩織に・・・?

 そう考えたのだけれど、カッキーや上原さんたちのやってくる声もして、浩平にも名前を呼ばれたので、俺もすぐに裏に回った。

「おー・・・」

 真っ先に出た声がそれ。

 水の惑星、と整った筆運びで書かれたその文字の横には、樋口祐子の名前もちゃんとあった。

「すっげぇ・・・」

 カッキーが感嘆の声をあげた。まぁ、カッキーの字と比べたら雲泥の差だから。って、俺も人のこと言えないけど。

「じゃ、写真撮ろ」

 詩織の提案で、祐子の作品を中心に立って写真撮影をすることに。だけど、いざ撮るぞ、という時になって、一つの問題が浮上した。

 誰が撮るんだ?

「私撮ろうか?」

「いや、それやったら俺やるわ。折角やし、女子三人は入り」

 上原さんとカッキーがそう言って、

「なら俺やる。お前らは映れ」

「でも、浩平も入った方がええんとちゃう?あたしが撮る」

 浩平と詩織もそう言ってカメラに歩み寄る。みんな、お互いのことを気遣ってるんだろうけど。やっぱり、結誰にするか決まらなくて。挙げ句の果てに、祐子が撮るとか言い出して(主役が写らなくてどうするんだよ)、みんなで悩んでいたときに、

「撮ってあげましょか?」

 気のよさそうな爺さんが撮影役を買って出てくれた。その好意にありがたく甘えることにした俺たちは、それから三度の場所チェンジを行いつつ撮影を完了させた。

「親切な人がいて良かったね」

 下りのエレベーターの中、しみじみと言った上原さんに、誰ともなしに頷いた。

「次はどうすんの?」

 尋ねたカッキーに、詩織は祐子と上原さんと視線を合わせて、

「あたしらはデパートに行きたいんやけど・・・。ここら、結構集まってるし」

「いいんちゃう。行って来いよ」

 俺らはどっかそこらで適当に時間潰してる、と呟いた浩平に、

「何言ってんの。あんたらも来てってことやんか」

 きょとんとした顔で言われ、浩平が眉を顰めた。カッキーと俺は顔を見合わせる。

「何で俺らまで?」

 代表して尋ねたカッキーに、祐子と上原さんは揃って苦笑い。その中で、詩織がふんぞり返って、

「荷物持ちがいるやろ」

 浩平を伺うと、そんなとこだろうと思った、とばかりにため息をつく。

「折角大阪まで来たんやし、みんなにお土産も買って帰りたいやん?それに、お昼ご飯食べるところも探さなあかんし」

 言われた途端、腹が減るのを感じた。そういや、もう十二時を回ってるんだ。

「デパートの上だったら食堂街があるから、そこで先にご飯にしようよ」

「やね」

 上原さんの提案に俺たちは頷いた。

 にしてもさすがだ上原さん。デパートの内部構造まで把握しているとは・・・。

 そんな中、

「腹減った・・・」

 カッキーが呻く声だけが降下するエレベーターの中で響いた。ていうか、最近それしかカッキーから聞いてない気がする。



 それからデパートの最上階で昼飯を食って、後はあちこちの店を覗く女子三人組に付き合って、だらだらと移動した。

 既に俺たちの両腕には買い物袋が二つずつ。どれだけ買えば気が済むんだ、というぐらいに袋の中に詰まっている。さらに、その総合計が大した額じゃないのに驚いた。詩織たちの値段交渉にこんなにも応じてくれるのは、やっぱり関西独特の気風のせいだろうか。

 島では気づかなかったこと。女子の買い物は長い。異様に長い。

 デパートに入って二時間。

 両手に荷物を持った俺たちは、とっくにヘトヘト。持久力自慢の浩平でさえ辛そうに肩で息をしている。何てったって、詩織たちときたら、とにかく気になったところに突っ込んで行く。計画性も何もないから、次々とフロアが変わるのは当たり前で、酷いときは六階から一階まで降りて、今度は七階なんてのもあった。

「もうギブ?情けない」

 トイレ横のベンチにへたり込んだ俺たちを、腰に手を当てた詩織が見下ろす。

「お前らが何やらかんやら買うからやろうが」

 毒づく浩平を無視して詩織は祐子と上原さんを振り返った。

「今からどうする?」

「私、雑貨屋さんに行きたい」

「本屋かな」

 上原さんと祐子が答える。

「あたしは地下に行きたいし・・・そうやな、二人一組で行動しよっか」

 まだ買うのか、あんたらは。まったく、その購買意欲の高さはセール品に群がるおばはん並だ。って、実際見たことはないけどさ。

 唖然とする俺たちに構わず詩織は組分けを発表する。

 結果、詩織と浩平、上原さんとカッキー、祐子と俺、という組み合わせになった。

「詩織ちゃんも悪気があるわけとちゃうから、堪忍な」

 本屋で文庫本を手に取りながら祐子が言った。

「あの買い物の量は悪意があるようにしか思えへんけどな」

 今頃浩平の両腕には大量の袋が・・・考えるだけで腕が重くなってきた。ご愁傷様。

「詩織ちゃんも苛ついてんねんて。カッキーがさっさと椎香ちゃんに告らへん、って」

 なるほど。そのための上原さん、カッキーのペアというわけか。

 でも、だったら、もうちょいマシな方法でも良かったんじゃないだろうか。荷物持ちで上手く行くとも思えないけど。

「詩織ちゃん、焦ってるんよ。もう三ヶ月しかないから」

「へ?」

 三ヶ月って何や?

 問いかけようと思ったら、祐子の姿は無く、レジに並ぶ小柄な少女の姿が遠くに見えた。手に持った本はあいつが大好きな作家のもの。島の本屋じゃ置いてないそうだ。

「純君、戻ろう。そろそろ集合時間」

 時計を指さす祐子に、俺も頷いた。

「なぁ、祐子」

「何?」

 少し小走りで急ぎながら問いかけると、ツインテールを風に揺らせて祐子が視線だけこっちに寄越した。

「三ヶ月しかないって、どういうことや?」

 一瞬の間。

「あれ、聞いてへん?」

「聞いてへん」

 そっか、と祐子は前を向いた。

「言っちゃあかんかったのかも。私が言ったのは内緒な。そのうち詩織本人から言うと思うし」

「どーいう・・・」

 どういうことなんだよ。祐子、お前は何を知ってんだ?詩織がどうしたって?

 聞きたいことは山ほどあるのに、それを聞くのが躊躇われた。

 普段、柔和な光を宿す瞳に、不穏なものが漂っているように見えた。引き結ばれた口元は、それ以上の詮索を拒否しているようにも思えて。

 俺は黙って祐子に併走した。

「おーい!」

 既にエスカレーターの降り口の横にあるベンチにみんな集まっていた。

「ごめん、本見てたら遅くなっちゃった」

 お互いの買い物を紹介し合う女子三人の横で、俺は屈み込んだ二人に声をかける。

「大丈夫?」

「そう見えるか?」

 答えるカッキーの声は掠れている。一方の浩平は、喋る気力もないようで、目は虚ろ。

 多少のことだったらギブアップしないカッキーと、忍耐強い浩平がここまで疲労するんだから、よほどあちこち歩き回ったんだろう。

「さーて、帰ろっか」

 暢気に呟く詩織。軽い足取りで、祐子と上原さんを伴って出口に歩いていった。何でお前らはそんなに元気なんだ?

「・・・行くぞ」

 地を這うような声で言って、浩平が立ち上がる。両手の荷物はまるで手枷か何かのように浩平の腕の動きを拘束している。

 カッキーは半ば引きずるようにして荷物を持っている。どうやら、本屋で時間を潰していた祐子のおかげで、俺の荷物が一番軽いみたいだ。

 悪い、カッキー、浩平。心の中で手を合わせる。恨むなよ。全部、詩織の決定だから。

 昔から結構強引な面を持った詩織に付き合ってきて、もうとっくに慣れているけれど。それに、そんだけ女王様気質な詩織に飽きもせずくっついてるんだから、俺たちも多分彼女の性格が嫌いな訳じゃないんだ。毎度のごとく驚き呆れはするけれど。

 日は少し傾き始め、街灯や人の影も長くなってきている。

「楽しかったねー」

 祐子が詩織と上原さんに笑いかける。

「男子諸君もご苦労様」

 カッキーと俺は手をあげて返す。浩平は手も上がらないほどの荷物のようで、苦しそうに呻くだけだ。

 結局、港に着くまで俺たちは荷物を持ち続けることになった。港の横の小さな公園で良平さんからの到着の電話を待っている時、ベンチに荷物を置いた浩平はあからさまにホッと安堵するような顔をした。

 カッキーは即刻ベンチに寝そべり、俺と浩平は水分補給。大阪の街は、島よりも暑い気がする。やっぱり、ひしめき合うビルのせいだろうか。

 だけど、ここは海から風が吹いてくることもあってちょっと寒い。コートのボタンを留め直した。

「写真撮ろ。記念に」

 詩織が携帯を向ける。今度はベンチに置いて、タイマー機能で何枚も写真を撮ることになった。

「詩織、お前最近、写真撮んの多くないか?」

 カッキーが問う。

 確かに、ここ数日で何枚も撮ってる気がする。俺の誕生日の日に撮った写真も、祐子から現像してもらったそうだ。

「何で?」

「別に。記念写真は何枚持ってても損せーへんやろ?後から見たら思い返せるし」

「ふーん」

 回答が存外平凡だったからか、気のない返事をして、カッキーは再び寝転がった。

 俺と浩平はベンチに座って海を見ながら他愛もない会話をし、詩織と祐子と上原さんは、期末試験の内容について予測を立てていた。祐子の山張りは結構当たるから、つい聞き耳を立てて聞いてしまう。

「浩平は期末の山張りとかやらへんの?」

 興味なさげに欠伸をしている浩平に聞いた。

 すると、

「あー、せえへんな。別に教科書見れば分かるし」

「え・・・全部覚えんの?」

「大した量ちゃうしな。あ、そやけど、社会は結構本気で覚えるかも」

 これだから秀才は・・・。教科書を何度見ても、覚えられない俺の身にもなってみろよ。

 ちなみに、カッキーに至っては、教科書を開いた瞬間に睡魔が襲ってくるらしい。不便なような、便利なような、訳が分からない機能がカッキーにはあるようだ。

「浩平は何でそんなに頭ええん?」

「別に。普通にやってるだけやで」

「一日何時間?」

「三時間くらいしかやってへん」

 それで十分だろうが。俺なんて、一日三十分がやっとだってのに。

「何でそんな勉強すんの?島の高校行くんやろ?」

「そうやけど・・・。まぁ、将来のためって感じかなぁ・・・」

 首を傾げながら、浩平は独り言のように呟いた。

「あんな、正直言って、俺もよう分からんねん。姉貴がやってたからやってるだけやし・・・」

 いつも柔和な笑みを浮かべていた浩平のお姉さんを思い出す。確か、今は東京の方の大学に通っているはずだ。

「俺はずっと姉貴の勉強してんの見てたから。あいつも頭だけは良かったし」

「ええ人やったやん。綺麗やったし」

 あんな美人で優しかったお姉さんの弟が何でこうも無愛想で俺様な人物なんだろうか、とも思ったけれど、浩平も以外と面倒見のいいとこがあるし、あながちDNAが職務怠慢な訳でもないらしい。目元とかも似てるし。

 だけど、

「どこがやねん」

 吐き捨てた浩平は眉を顰めた。それが心底嫌そうに見えて、不思議に思う。

「何が嫌なん?」

「・・・別に」

 何かあるんだろうか。聞いてみたかったけど、若干鋭くなった目つきとか(ただでさえ怖いのに)、夕日で浮かんだ陰影とかが、話しかけるなオーラを放っているようで、仕方なしに口をつぐむ。

「それより純。高校のこと、おばさんとおじさんに話したんか?」

「あ、そのことやけど・・・」

 昨日の晩、父さんとも電話で話をした。何度も東京に来るように強く言われて、電話越しに怒鳴られもしたけれど、食い下がってたら、最終的には好きにしろと言って電話を乱暴に切られてしまった。

 母さんも最初は東京に行かないことに大丈夫か、と聞かれたけれど、今はもう何も言ってこない。近所のお店の人から聞いた話では、母さんとしても手放したくは無かったらしい。それを聞いてちょっとホッとした自分がいたり。

「俺は島にいたいって言ったら、好きにしろって。やから、俺も好きにすることにした」

 浩平が笑ってくれた。

「お、マジか!よっしゃ、一緒の高校やなっ!」

 カッキーが背後からのし掛かってくる。

「分かってると思うけど、カッキーの方こそ頑張れよ。もう試験まで二週間やで」

「分かってるって。今度の初詣で五百円入れるつもりやから」

 じゃなくて、勉強しろって話だろう?五百円で合格を手に入れるつもりなのか、この男は・・・。

「純も一緒やね。良かった」

 祐子が笑う。それにつられて俺たちも笑った。

 だけど、どこか引っかかるような気がして。

 誰かの表情が本当に笑ってない。苦しそうな笑顔。

 でも、誰だ?

 一瞬の出来事だったから分からなかった。だけど・・・。

「あ、船が来た」

 夕日をバックに、良平兄ちゃんの船が青黒い影を水面に映し込んでやって来るのが見えた。

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