消えたエアコン

 秋篠準教授から翌朝一番に伊刈に電話があり、解体されたのは教員寮ではなく学生寮で、約四百台のエアコンが外されていたことがわかった。昭和五十年代望洋大が横浜市からから犬咬市にキャンパスを移転したとき、民間アパートでは学生の受け入れが間に合わなかったため、学生寮を建てて安価な寮費で提供したが、老朽化した上に二人部屋だったので学生に人気がなくなった。そこで学生向けの民間アパートが充実したことを理由に十年前に閉鎖したが、学校法人は資産の処分が自由にできないため、跡地の利用方法がなかなか決定できずに廃墟となっていて、ようやく先月から新校舎建設に伴う撤去工事に着手したのだ。解体業を請け負ったのは市内の大手工務店の永和建設だということもわかった。

 伊刈は秋篠から聞いた永和建設の番号にさっそく電話した。すると永和建設は解体工事を杉並基礎に丸投げし、エアコンの処分も任せていることがわかった。この場合廃棄物の処理責任は元請けの永和建設でも下請けの杉並基礎でもどっちでもいいという曖昧な取り扱いが通達されていた(二○一一年四月施行の改正法からは元請け責任に統一された)。

 「ああやっぱりそんなことになっちゃいましたか」電話を受けた杉並基礎の杉田社長から意外な答えが返ってきた。「望洋大の寮から外したエアコンが百台ほど盗まれたんですよ」

 「盗難?」

 「そうですよ。警察に盗難届けも出してますよ。あれは売れる品物ですからね。こっちとしても損害なんで」

 「いくらですか」

 「売れそうなのだけ選っておいたんですよ。動かなくても一台三千円くらいで引き取ってくれる会社があるんですよ」

 「それじゃ百台で三十万円の損害ですか」

 「まあ、それくらいだね」

 「ほんとうはどこへ売るはずだったんですか」

 「埼玉の須屋さんですよ」

 「どんな会社ですか」

 「さあねえ。中古エアコンを輸出してる会社だって聞いたけどねえ、よく知りませんよ」

 「それじゃ盗まれなかった三百台は須屋さんに売ったんですね」

 「いや須屋さんに売れるのは結局五十台しかなかったんだ。後は大連通商ってスクラップ屋に五百円で引き取ってもらいました」

 「家電リサイクル法で処理したものはないんですね」

 「ああシール(家電リサイクル券)のことね。売れるものをなんで何千円も出してシールを買わないといけないんです。あれは国民を騙して家電メーカーを設けさせてる法律でしょう」

 「そんなことはないでしょう。リサイクルにはそれだけのコストがかかるんですよ」

 「まああんたらお役人は現場を知らないからね。家電メーカーはコストも考えないでばかでっかいリサイクル工場を建ててるんでしょう。あんなところで処理したら高いに決まってるよ。うちらが出すところはどこもそんな立派な施設なんかなんにもなくて、ただ手でばらすか、ばらす手間も出ないやつは積み上げておいて重機で潰すだけだからね。でもね、金をかけないから売れる商品になるんですよ。お役人は金をかければ売れるいいものができるみたいに考えてるけどね、廃棄物ってのは逆ですよ。金をかけたら売り物にならないんです」

 「話を盗まれという百台に元に戻します、室内機だけが不法投棄されていて、室外機は売られたみたいなんですが、どこに行ったと思いますか」

 「それじゃあ中古エアコンにはなんないね。あれは室内機と室外機をセットにしないといけないからね。室外機だけ引き取ったってことは非鉄のスクラップ屋だね。あれはね、一台から十キロも銅が取れるんだよ」

 「そんなにですか」

 「ああそうだよ。キロ五百円としたって五千円でしょう。それを五百円で買うんだから、金属屋は儲かりますよ」杉田は何も知らないと言いながら、なかなかの事情通だった。

 電話を終えた直後、パトロールに出ていた夏川から連絡が入った。

 「班長、例のホームレスが棄てたエアコンが消えました」

 「え」

 「公園にいたホームレスに聞いてみたら、スクラップ屋のハッピー公益社って会社が百台全部で五百円で引き取ったってことなんです」

 「一台じゃなく百台で五百円か」

 「そうです。一台なら五円です」

 「めちゃめちゃな価格だな」

 「廃棄物にしないために五百円払ったんだと思います」

 「なるほどそんな感じだな。戻ってきたら情報を整理してみよう」

 「わかりました。ハッピー公益社の様子をそれとなく見てから帰ります」

 「頼んだ」伊刈は頼もしそうに夏川に現場調査を任せた。

 「ハッピー公益社って会社をご存知ですか」伊刈は王寺に電話で問い合わせた。

 「知ってるよ。社長は辻間ってチンピラだ」

 「何をやってる会社ですか」

 「県から産廃の許可をもらってる会社じゃねえか。以前は会社の裏山にだいぶ積上げてたけどよ、最近山が低くなったんだ。フィリピンだったかミャンマーだったか、あっちの方へ出したんじゃねえかって評判を聞いたな。ははん、つまり辻間がエアコンを流したってことか」

 「逆なんです。エアコンは解体業者のヤードから盗まれたってことなんです。ハッピーは棄てられたエアコンを買ったみたいです」

 「違あよ、伊刈さん。寮をばらしたのは杉並基礎だろう。俺らはなんもかも知ってんよ。盗まれたのは十台でよ、あとはハッピーに流したんだ。辻間が室外機だけスクラップ屋に売っぱらって、売れねえ室内機をホームレスに渡したんだ。ばらせばいい値で売れるって騙したんだよ。だけど伊刈さんが調べに行ったと聞いてやべえと思ったから買い戻したんだろう。それに違えねえよ」

 「なるほど、それはありえますね」

 「甘えなあ」

 「ハッピーを調べるのは危ないですか」

 「そんなことはねえだろう。体かけるほど金玉のすわった奴じゃねえよ」

 「エアコンがなくなってしまったんで一件落着ではあるんですが、一応ハッピーに行ってみます」

 「それがいいね。俺も辻間にはなんべんも騙されてんだ。食えねえやつだよ。あいつはいずれぱくられるな。どうせなら伊刈さんがやってくれよ」

 「残念ですが場所的には県庁の管轄みたいですね」

 「そうかい、なんでも伊刈さんができたら世話がねえのにな」

 「県庁だってがんばってますから」

 「だといいがねえ。なんかわかったらまた連絡するよ」王寺は聞かないことまでしゃべって電話を切った。伊刈が相手だと口が軽くなるようだった。

 ハッピー公益社は高速道路のICから一般道を三十分ほど走った住宅団地の際の山林の中にあった。警戒厳重で進入路に監視カメラと赤外線感知器が置かれていた。管外の事業所への立ち入りは管轄の自治体に断るのが仁義だったが、伊刈は仁義なしで立ち入ることにした。敷地は広大で宅地造成崩れの平場の一角に非鉄スクラップが山積みにされ、別の一角には廃車のハードプレスが並び、さらに別の一角には中身がわからないトン袋(フレコンバッグ)が数百も整然と並んでいた。処理施設らしいものは何もなかった。事務所は進入路の左手にある年季の入ったプレハブの長屋だった。その前に車を乗りつけると、社長の辻間本人が出てきた。いかついチンピラを予想していたが、案外小柄で華奢な体躯の男だった。作業服を着ていたが作業はしていないのかこぎれいだった。

 「これはこれはご苦労様です」辻間は伊刈がまだ名乗らないうちから愛想を言った。まるで伊刈が来るのも立ち入りの目的も知っていたかのようだった。

 「犬咬市の伊刈と申します」

 「有名な伊刈さんですね。お目にかかれて光栄です」何を企んでいるのか辻間は無礼なほど慇懃だった。

 「犬咬市の公園に棄ててあったエアコンのことでお伺いしました」

 「あああれねえ。もったいないことをするなあと思って買わしてもらいましたよ。今はゴミが金になる時代ですからねえ。スクラップは捕鯨と同じで棄てるものなんか何もないんですよ」

 「犬咬から持ってきたエアコンはどこにありますか」

 「あの中じゃないですかねえ」辻間はスクラップの山を振り返った。

 「拝見していいですか」

 「どうぞどうぞ」辻間は余裕の表情だった。

 伊刈たちは金属スクラップの山に近付いた。一見すると単なるガラクタだった。

 「これは非鉄雑品て言うんだよね。最低のスクラップだけどね、これでもね、アルミや銅や真鍮なんかが二、三割は入っているんだよ。去年まではキロ十円だったんだけどね、今年は値上がりして二十五円なんだ。来年には五十円になるって言うもんもいるよ。まあそれだけ買値もかかるんだけど、値が上がってるときは利ざやが大きいからね。玉(ぎょく)があれば儲かってしょうがないね。だけど明日の相場はわからないからね、千トン溜まったらとにかく出すんだ」

 「それじゃ船一杯で二千五百万円ですか」伊刈は感心したようにガラクタの山を見上げた。

 「そんなとこだな。うちはだいたい毎月一杯出してるんだ」

 「どこへ出すんですか」

 「フィリピン、香港、大連、釜山そんときでいろいろだよ。先月は和歌山のダチに出してひどいめにあった」

 「和歌山ですか」

 「荷が足らないっていうんで融通したんだけどさ、荷役の連中に余所者扱いっていうか、要するに意地悪されちゃったんですよ。それで降ろせなくて船を一回流しちゃったよ。大損害だよ。それでしかたなく地元のスクラップ屋の品物を高かったけど少し買い足して出したんだ。そしたら地元の荷ならやってもいいってことですぐに荷役が決まったんだよね。ほんとに関西ってのは現金だね」

 「今月はどこに出すんですか」

 「大連かな」

 「エアコンは家電リサイクル法を通す必要がありませんか」伊刈に代わって夏川が聞いた。

 「シール(家電リサイクル券付廃家電)は扱わないよ。シールだけ剥がして売っちゃうやつもいるんだけど俺はやりませんよ」

 「シールは剥がして棄てちゃうんですか?」夏川が再びたずねた。

 「そんなもったいないことはしないよ。テレビなんかだとシールをとっておいて、輸出できない古いやつに貼りなおすみたいだよ。シールだけ買ってくれるシール屋もいるんだ。一枚五百円で集めてきて千円で売る。千枚集めたらそれなりの商売になるからね。それにしてもさ、あんたらお役人がやってることはおかしいね。テレビだってエアコンだってみんな売れるよ。それをどうして何千円もリサイクル料を払うかね。それこそ国家の詐欺みたいなもんじゃないかね。道端に棄ててあった車だってすっかりもうないだろう。スクラップ屋がこっそり持ってったんだよ。リサイクル料なんか要るのかね」

 「そういえば廃車見なくなりましたね」

 「うちにも拾った車みたいなの買ってくれないかって言ってくる連中が多いんだけど全部断ってるよ。それにしても売れるテレビになんでリサイクル料払わせるのさ」

 「経済産業省が家電業界を指導してでっかいリサイクル工場を建てさせちゃったでしょう。どこも百億円くらい投資してるから、それを回収するまでは価格を下げられないんじゃないですか。自動車もおんなじで今さら廃車は売れるとも言えないし」伊刈が真顔で説明した。

 「大手はのんきなもんだねえ。こっちはその日その日の相場だからね。今日二十五円だから明日も二十五円じゃないよ。百億円かけたから国が元手を回収させてやるなんてそんな話はズルだよ。こっちは損したり儲けたりでなんとかかすかす食ってるのによ」

 「まあ大手がバカな値段付けてるから、こっちに玉が回ってくるってこともあるでしょう」

 「それは確かにありだね。なんか一本取られたね」

 「スクラップでも売れるなら中古ならもっと高く売れるんじゃないですか」夏川が尋ねた。

 「ああ中古はだめだよ。ベトナムや中国はご法度だし、フィリピンはだれでも出せるわけじゃない」

 「でも行ってるでしょう」

 「まあ行ってるかもしれないけどね。中古は難しいから俺は触らないわ」

 「なんでですか」

 「電気ってのは頭がないとできないね。中古の大手なら埼玉にあるよ。みんなそこに買ってもらう」

 「どんな会社」

 「いい会社だそうだよ。エコヒイキなしにちゃんと値段をつけてくれる。それで大きくなった。ほかはふっかけたり値切ったりするけど、そこは素人にも正直な値をつけてくれるから安心らしいわ」

 「埼玉からこっちまで買いにくるの」

 「全国ネットだよ。あと大阪にもでっかい会社があるって聞いたね」

 「どこか教えてください」

 「かまわないけど」

 「班長ちょっと」

 「何」伊刈が喜多を振り返った。

 「こっちいいですか」喜多は伊刈をスクラップの山の隅に連れて行った。夏川は辻間と中古家電の話を続けていた。

 「これって道路側溝の蓋を潰したものじゃないですか」喜多が耳打ちした。

 「確かにグレーチングだ」

 「最近盗難事件が多いやつですよね。えらそうなこと言ってましたけど盗品も受けてるんじゃないでしょうか」喜多はさらに声をひそめた。

 「これは言わないでおこう」

 「どうして」

 「言うだけムダだから。盗品だって証拠がないだろう。それに盗品と知らずに買ったと言えば罪にはならない。警察には盗品のバイヤーの可能性があるって教えておこう。グレーチングにはマークをつけてあるから、今度盗難事件があったときに調べればわかるかもしれない」

 「わかりました。写真は撮ってかまいわないですか」

 「もう撮っただろう」

 「はい」

 「法に触れることをやってればいずれ足がつく。焦らなくても時間の問題だよ」伊刈は夏川と辻間のいるところに戻った。

 「あの、トン袋はなんですか」夏川はまだ辻間に食い下がっていた。伊刈は少し離れて立っていた。最近は伊刈より夏川と喜多のほうが過激で、伊刈はむしろなだめる役回りだった。

 「ああ、あれは預かってんだ」辻間が渋い顔で言った。

 「中身を見てもいいですか」

 「かまわないよ」辻間はわざと無関心を装った。

 夏川が袋を開けると中身は破砕した廃プラスチック類だった。

 「夏川さん、ほかのもいくつか開けてみて」後ろから伊刈が近付いてアドバイスした。

 夏川はトン袋の様子の違うものをいくつか選んで口を開けた。軟質プラと硬質プラが分けられていた。軟質プラからは生活系の臭いがした。

 「これ、生ゴミの臭いがしますね」夏川が小声で言った。

 「容リ残渣(容器包装リサイクル工場の選別残渣)だ。これは輸出してもリサイクルはムリだ。硬質プラのほうも雨樋とか住宅系の物が多い。これも塩素があるから売り物にならない」

 「じゃ偽装リサイクルですか」

 「どうかな。社長に聞いて見て」

 「わかりました」

 夏川は辻間に近付いた。「誰から預かってるプラなんですか」

 「言わないとダメかい。場所を貸してるだけだけど」

 「それでも廃棄物の無許可保管の共犯になりますよ」

 「おいおいおだやかじゃないね。土地を貸すにも法律があるのかい」

 「事情をご存知なら教えてください」

 「張本とかって男だったかね。なんでもミャンマーに輸出するってことだ」

 「張本さんの連絡先はわかりますか」

 「さあねえ」辻間はうそぶいた。

 「ミャンマーではプラスチックのリサイクルはムリじゃないかと思いますが、どうするって言ってましたか」

 「麦藁火力で燃やすんだとよ」

 「聞いたことあります」

 「ほんとかい。日本じゃありえねえけどさ、向こうじゃ麦藁は大事な燃料なんだってよ。発電プラントも日本から持ってくし、港も道路も作るんだとさ。なんにもないとこらしいからねえ」話し始めると辻間は詳しかった。どう見ても一枚噛んでいそうだった。

 「ミャンマーは軍政じゃないですか。暴動もあるし、ほんとに輸出できますか?」喜多が口を挟んだ。

 「この仕事には大統領の倅が関わってるから大丈夫なんだよ」

 「おかしいなあ、大統領なんていませんよ。政変があって首相も更迭されたばかりだし」

 「それは聞いてなかった」喜多の指摘に辻間は顔色を変えた。

 「今は軍政なんですよ」

 「やべえなあ、そうなのかい。ちょっと待ってくれよ」辻間はどこかに電話し始めた。何本か電話をかけ終えてから青ざめた顔で喜多を見た。

 「あんたの言うとおり大統領はいねえんだとよ。いっぱい食わされたかね。あんたらがもっと早く来てくれてればなあ」

 「荷主の張本さんはどうなったんですか」

 「それがよ」辻間は顔を曇らせた。「今聞いた話だけどよ、あの野郎集めた金を持って逃げたらしいな。五千万円あったはずだが、インチョン(仁川)の税関で見つかって逮捕されたとよ。現ナマ持って飛行機に乗るなんてなあ、そんなバカとは思わなかったよ。フェリーでチェジュド(済州島)へ行きゃあ十億だって持ち込めたものをよ」

 「詳しいんですね」伊刈が言った。

 「俺も日本人じゃねえからよ」

 「税関てことは外為法違反ですね。そのお金はもう」喜多が言った。

 「わかってるよ。金は没収だよな。もうしょうがねえな」辻間は早くもあきらめたように天を仰いだ。

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