逃げてきた女

 「伊刈さん助けてくんねえかな」木くずチップ火災を起こした王寺が突然伊刈に電話をかけてきた。

 「どうしたんですか」

 「いまタイの女をかくまってんだけどよ、このままじゃ納得できなくてよ」

 「さっぱりわかりませんよ。いきさつをもう少し教えてくれませんか」

 「そらそうだよな。あのな、イラン人のレイザーって野郎がいてよ、何人も女をこましてヤーアイスの運び屋をやらせてんだよ」

 「なんですかそのヤーアイスって」

 「ヤクなんだよ。女はマリアってんだけどよ、つらくなって逃げてきたんだよ。ヤクザもんならヤクなんかやってやがったら俺が締めちまうんだけどよ、イラン人だから俺は手が出せねえんだ」

 「そうですか」専門外の話に伊刈はとまどいながら相槌を打った。

 「伊刈さん女がどうやってヤーアイスを運ぶか知ってるかい」

 「さあ」

 「コンドームに入れてあそこに隠すんだよ。男なら飲み込んでクソから出すんだけど出るまで何日も苦しいからな。女のほうが簡単だよ」

 「麻薬犬でわかりませんか」

 「わかんねえみてえだよ。犬も女には甘いらしいよ。レイザーってのはとんでもねえ野郎でよ、家の地下室でも大麻を作ってんだよ。行ってみればわかるけどカメラが五台もあって近付けねえよ」

 「それで僕に何をしてほしいんですか」

 「警察で誰かヤクやってるやつ知らねえかな」

 「誰とは言えませんが知ってますよ」伊刈は王寺の現場を一緒に指導していた長嶋が所轄に復帰して空港署の麻薬担当になったとは言わなかった。警察官の職務内容を不用意に言うべきではないと思ったのだ。

 「だったら紹介してくれよ。そいつの手柄になんだろう。それともテレビ局とかはどうかね。伊刈さんはテレビにも出たから知り合いがいるだろう」

 「話の内容だと確かにテレビ局が食いそうなネタですね。テレビの方がよければ誰かディレクターを紹介しましょうか」

 「そうしてもらえっかな」

 「どっちにしますか。警察とテレビ局」

 「テレビ局にしてみっかな。警察は敷居が高えからな。俺の言うことじゃ動いてくれねえよ」

 「だけど王寺さんはどうしてこんなことにかかわってるんですか」

 「理由なんかねえんだよ。性分ていうかな、わりいやつを見てると我慢できねえんだ。男になりてえんだよ、わかるかい」

 「わかりますよ」正直なところ男になりたいという王寺の言葉の意味はわからなかった。

 伊刈はテレビジャパンの大萩に連絡を取った。逃げてきたタイ人女性にインタビューするなら女性の方がいいと思ったのだ。しかし大萩は麻薬の密造所の取材だと聞いてびびってしまった。そのかわり彼女の上司の大塚プロデューサーが連絡してきた。

 大塚は王寺と直接連絡をとってレンタカーを借りて現場の下見に向かった。

 「そんなものしまっときなよ。みつかったら囲まれんぞ」助手席でホームビデオを構えようとする大塚を運転席の王寺がたしなめた。

 「そんなに危ないんですか」

 「行ってみればわかるよ。そろそろ現場だから目だったことはしないでくれよ。俺は顔知られてっから逃げられねえ。見つかったら時間を稼ぐからあんた一人で逃げてくれよ」

 「わかりました」百戦錬磨の大塚も生唾を飲み込んだ。

 レンタカーのホンダシビックが住宅地の中の路地を何度か曲がった。

 「この先の行き止まりの左手の家だからよ」王寺はそう言うとゆっくりと路地の角を通り過ぎた。

 「見えたか」

 「はい。テレビカメラが三台ありました」

 「五台あるんだ。こっちからじゃ見えないが玄関の前に二台ある。赤外線センサーも三か所ある。路地に入ったらすぐにあるんだ」

 「そんなに警戒厳重ですか」

 「そらそうだ。飴玉作ってんじゃねえんだ。さて行ってみるか」

 王寺は二本先の路地の影に車を停めた。

 「どこへですか」大塚が驚いたように王寺を見た。

 「どこってあの家に決まってんだろう」

 「そんな警戒厳重な家にですか」

 「まともには行かねえよ。反対側の藪から見るんだ。この車はやつらに知られてねえからここらに停めといても大丈夫だろう」

 「本気ですか」

 「やならいいよ」

 「いえ行きます」大塚は反射的にホームビデオをつかんで車を降りた。どんな画でもいいから画がないことにはテレビ番組にならない。だが脚が震えだして歩けなかった。

 「伊刈さん、こないだは世話んなったよ」王寺が連絡してきた。

 「どうでした」

 「う~ん、あのディレクターはだめだな」

 「びびっちゃいましたか」

 「かなりな。やっぱ警察しかないかね」

 「かくまっていた女性はどうされましたか」

 「ああマリアか。消えちまったよ。全くよ、助けてやった甲斐もねえよ」

 「レイザーって男のところに戻ったんですか」

 「たぶんなあ。女ってのはどうもしょうもねえもんだな」

 「男にはなれなかったわけですね」

 「それはよ伊刈さん、男の意味が違あよ」

 「違いませんよ。王寺さんが男になれば逃げなかったですよ」

 「なるほどなあ、それはそうかもなあ。つまりやっちまえばよかったってことかい。だけどそれじゃあ男じゃねえんだよ。めんどくさいかもしんねえけどよ、女の弱みに付け込むわけにはいかねえよ」

 「それじゃこの件はもうなしですね」

 「いいや終わりじゃねえよ。警察の方やっぱ頼めねえかね」

 「王寺さんの連絡先を教えてもいいんですか」

 「ああかまわないよ」

 「わかりました」

 「わりいなあ。俺はあのレイザーって野郎だけはぜってえ許さねえよ。最後になりゃあ俺が体かけりゃあいんだけどよ、それもしょうもねえことだからなあ」

 「そんな無茶はしないでください」

 「ところで伊刈さんはあれかい、家電のシールもやってんのかい」

 「家電リサイクル券のことですか」

 「ああ」

 「やってますよ」

 「じゃあ玉串公園に行ってみてくれよ。そこのよ、ホームレスのテントの裏によ、いっぺえエアコン棄ててあっから」

 「そうですか。わかりました。行ってみます」王子のタレコミなら正確だろうと思いながら伊刈は電話を切った。

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