プラスチックドラゴン

 伊刈の指示で大安商会の情報を収集していた喜多が面白いニュースを見つけた。幕張メッセ国際展示場で開催されているウェステクノに大安商会のブースがあるというのだ。

 「そこなら出版社から招待状が届いてたかな」伊刈が言った。

 「ほんとですか」

 「一応、去年のシンポジウムに出たからね」

 「ああそうでしたね。それじゃVIPですね」

 伊刈が招待状に添えられたパンフレットの末尾の参加企業一覧を見ると確かに大安商会の社名があった。

 「明後日までやってるけど行ってみるか」

 「いいんですか」

 「ちょうど招待状が三枚ある。みんなで行ってみよう」

 「やった」喜多の顔がほころんだ。モーターショーのような艶やかなイベントではないが、博覧会場に行くのはそれなりにうれしい様子だった。

 ウェステクノは環境省と産廃処理の業界が主催し各新聞社が共済する産廃処理技術の博覧会だった。メインの博覧会とは別に複数のシンポジウムが併催され、去年はその一つが伊刈の文壇デビューの会場になったのだ。早いものでもうあれから一年が経っていたのだ。前回はシンポジウムだけに出席したので、博覧会場はよく見なかったが、幕張メッセのブースの半分を使う予想以上に大きなイベントだった。産廃処理業界は五兆円業界、プラントメーカーやコンサル企業、スクラップやリサイクル業者などの関連業界も入れれば二十兆円業界で、これはデパートやアパレル業界をはるかに超える規模なのだから、当然といえば当然だった。

 さすがにモーターショーほど華やかではないが、イベントコンパニオンをそろえた派手なブースもあって、喜多の顔は緩みっぱなしだった。目当ての大安商会のブースは小さいながら賑わっていた。日本で集めた廃プラスチック類が上海、深せん、広州などの工場でプラスチック原料に加工され、それが再び製品となって日本に輸出される流れがパネルと実物展示で説明され、二人のコンパニオンが受付で愛想をふりまいていた。

 「お名刺をちょうだいできますか」伊刈が受付に近付くとコンパニオンの一人が言った。上手な日本語だが僅かに上海訛りがあった。

 伊刈が名刺を差し出すのと交換に会社のパンフレットと再生プラスチック製の粗品が入った袋をくれた。

 「馬代表はいらっしゃいますか」伊刈はそしらぬふりをして聞いてみた。

 「会場にはいるんですが、今ちょっと外しています。お待ちになりますか」

 「いえまた覗いてみます」

 「わかりました。犬咬市の伊刈様がお見えですとお伝えいたします」コンパニオンは名刺を見ながら流暢に言った。

 「一時間、自由行動にしよう。それからもう一度馬代表が戻っていないか大安商会のブースを覗いてみよう。せっかく来たんだから大安商会と同じようにプラスチックのリサイクルをしている会社がないか調べておいてもらいたい」

 「わかりました」伊刈の提案で三人はいったん散会した。

 伊刈自身は会場内を逍遥することはせず、大安商会がかろうじて見える位置にある休憩所のパイプ椅子に座り、自販機の珈琲を飲んで暇をつぶした。するとほどなくして携帯が鳴動した。ディスプレイを見て伊刈の顔色が変わった。

 「面白いところでお見かけしたわね」電話の声は逢坂小百合だった。

 「見かけたってどういうことですか」

 「大安商会のブースにいらしたでしょう」

 「あなたも会場にいらしてたんですね」伊刈は逢坂の姿を探して周囲を見回した。

 「探しても見つからないわよ」

 「大安商会ともご関係があるんですね」

 「大したことはないけどコンパニオンはお気にめしたかしら」

 「もしかして」

 「そう私が手配した子たちなの」

 「なるほど、それが本業でしたか」

 「ちょっとこれから会えないかしら」

 「部下が二人一緒ですがかまいませんか」

 「あまり歓迎しないわねえ」

 「馬代表をご紹介いただけませんか」

 「あなた一人ならかまわないわ。ニューオーヤマのラウンジではどうかしら。会場の向いのホテルよ」

 「相変わらずですね。五時からならかまいませんよ。部下は先に帰らせます」

 「あなたこそおかしな人ね。気がついていないのかもしれないけど」

 一時間後、再び三人で大安商会のブースを尋ねた。

 「おあいにくですが社長はまだお戻りではございません」コンパニオンが恐縮した口調で言った。

 伊刈にとっては予想どおりだったが喜多と夏川は残念そうだった。

 「まあいいじゃない。こういうイベンドもたまには勉強になるよ。僕は閉館までもう一回りしてみる。二人は自由にしてくれていいよ」伊刈は現地解散を宣言した。

 伊刈は早めにニューオーヤマホテルのラウンジに行って逢坂を待った。ふかふかのソファーが隣席の客と目をあわさないような絶妙の角度で配置されたぜいたくなラウンジだった。高熟成の豆を使った珈琲の味もまろやかだった。五分ほど待っていると約束の時刻ちょうどに逢坂がアカデミー賞の授賞式からでも抜け出てきたような黒いイブニングドレス姿で現れた。細身の体にシルクの生地がぴったりと張り付いていた。長身の紳士が彼女をエスコートしていた。彼が馬代表だろうと思った。伊刈は立ち上がって二人を出迎えた。

 「初めまして。大安商会の馬と申します。雨音(あまね)さんのお知り合いだそうですね」馬が名刺を差し出した。

 伊刈はとっさの機転で逢坂が名前を変えたのだと察し、ポーカーフェイスを保ちながら彼女を見た。

 「私もあらためてご挨拶させていただくわ」落ち着いた表情で彼女が差し出した名刺には、「合同会社サウルス・マテリア・ジャパン チーフ・エグゼクティブ・エージェント 雨音響」と書かれていた。

 「サウルス・マテリアとは」伊刈は名前のことには触れずに問いかけた。

 「座って話しましょう」

 雨音はソファーの真ん中にゆったりと膝を傾けて座った。伊刈と馬は彼女に対面する形で個掛けの椅子に座った。

 「SMG(サウルス・マテリア・グループ)はシドニーに本社がある資源投資会社なの。私は日本法人の営業ウーマンてとこね」

 「営業ウーマンなんてとんでもない」すかさず馬が否定した。「チーフ・エグゼクティブ・エージェントとは総代理代表のことですよ。つまりSMG日本法人の社長ですよ」

 「といったってまだ百人くらいの小さな会社よ。SMGは全世界に三百の拠点と八万人の従業員がいるの。上海とクアラルンプールにはもう上陸したから東京はSMGにとって最後の聖域ね」

 「失礼ですが、お二人の関係は」

 「どういったらいいかしらねえ」

 「ビジネスパートナーですよ。でも対等じゃない。SMGは大安商会の百倍大きい。うちの会社買われそうです」馬が訛りの強い日本語で説明した。

 「日本のビジネスでは馬代表が先輩よ。百億円の会社をおいそれとは買えないわ」

 「ちょっと驚きました」伊刈は二人の顔を見比べながら正直に言った。

 「伊刈さんが馬代表にお会いしたいとブースに言い付けたんでしょう。どんな御用だったのかしら」

 「不法投棄現場に置かれていたベーラーの行き先が大安商会だったものですから」

 「なるほどそういうことなのね」

 「どこの工場のことですか」馬が身を乗り出した。

 「もともと五大陸商事という会社でした」

 「ああわかりました。私その会社買いましたよ。ベーラーありましたね。あれはとても中国的な機械で気に入りました」

 「中国的?」

 「日本のリサイクル会社は機械にお金かけすぎです。あれはプラントメーカーの儲けですよ。中国ではリサイクルの機械にはお金かけません。あのベーラーはとても単純でパワーがあっていい機械です」

 「馬さんの会社ってすごいのよ。十年前には売上一千万円だった会社が今は千倍の百億円になったのよ。信じられないでしょう。本国では塑料的龍(プラスチックドラゴン)と呼ばれてるのよ」

 「十年で千倍なら一年に二倍ですね」

 「どういうこと?」

 「単純計算ですよ。二の十乗は千二十四です。そんな成長をする会社がほんとにあるんですね」

 「相変わらず数字に強いわね」

 「もう不法投棄の時代じゃないわね。馬さんみたいな会社がこれからもっと伸びて行くわ」

 「それは感じていますよ」

 「それじゃ私はこれで失礼します」馬が突然立ち上がった。届いたばかりのシフォンケーキには手もつけていなかった。

 「あらもう」

 「ブースの方がそろそろ終るころです。お二人お邪魔して悪いです」

 「気がきくのね。それじゃお気をつけて。来週は広州の工場の落成式でお会いしましょう」

 「伊刈さんもどうぞお気をつけて」

 馬は伊刈に皮肉めいた言葉を言い残して立ち去った。

 「忙しそうに見えるけど違うのよ」馬の後姿を見送りながら雨音が言った。「あれでなかなか遊び人なの」

 「やりたいことがはっきりしている人って感じでしたよ。ここには居たくないから居なくなった。そういう人でしょう」

 「それが世界では普通よ。居たくないところにいつまでも我慢してぐずぐずしているのは日本人だけね」

 「それで何か手に入るかというと何も入らない」

 「私たちも行きましょう」

 「どこへ」

 「ここは居心地が悪いわ。場所を変えましょう。それにあたし着替えたいわ」雨音は衣擦れの音もなくすっと立ち上がった。

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