肉食系美人
三権分立という概念は三権が牽制しあうという発想に基づいているが、実際にはそんなことはなく、三権は互いに持ちつ持たれつの関係にある。権力を牽制する役割を担うのは第四権と呼ばれることもあるメディアである。メディアと三権の間にも持ちつ持たれつの関係がないとは言わないが、三権のアウトサイダーとして反権力の立場を貫くのがジャーナリズムの本来の役割である。だから権力におもねることをしないメディアには人気がある。権力を褒めないニューキャスターに人気が出る所以である。同じ理由で無名の公務員ですらほんの些細な落ち度が芸能人並みに大きくとりあげられる。しかしながら著書の出版を契機に全国的な講演活動を開始した伊刈は、メディアにとって公務員というあちら側の人間ではなく表現者というこちら側の人間とみなされ、テレビ局のディレクターや新聞記者との間に同朋意識が生まれていた。
「伊刈さん、今お電話大丈夫ですか」緊迫した声で電話してきたのはテレビ・ジャパンの大萩あかねディレクターだった。ハリコミ現場からなのか切迫した声だった。色白の女子アナではなく、現場取材で叩き上げられたディレクターならではの色黒の肉食系美人だったが、『ニュースの深層』という番組のインタビューで知り合って以来、すっかり伊刈のシンパになっていた。
「かまいませんよ」
「話せば長いんだけど、今ね、容器包装を追ってるの。容リ(容器包装リサイクル)って、ほとんど偽装で消費者は騙されているんでしょう」
「まあ確かに現場を知らない教授が机上の計算でそういう指摘をしている本が売れてるみたいですね」
「違うの」
「教授はエネルギー収支計算からムダとかムダじゃないとか議論してるみたいですが、ビジネスの収支はお金ですよ。エネルギーがどんなにムダでも、お金の収支がプラスならビジネスになるでしょう。それに最終的にはどっちの収支も一致してきます。コストは最後にはエネルギー価格に収束しますから」
「私もね、エネルギーなんかどうでもよくて、リサイクルされていればいいと思うんだけど、最初からリサイクルなんか考えてもいないってことが腹が立つのよ」
「水は低いほうへゴミは安いほうへ流れます」
「そうよそれよ。やっぱり伊刈さんは話が早いわ。やっぱり容リってリサイクル工場には行ってないのよね」
「行ってないのもあるし朝入ったのに夜出ちゃうのもある」
「なるほどねえ。それでね、実は今まさにそれを追ってるのよ」
「追ってるってどういう意味で」
「今追跡中なのよ」
「もしかして容リの車をですか」
「そうよ」
「画を撮ってるんですか」
「ええ、もちろんカメラ積んでますから。ナンバーもばっちり写ってます。どうすればいいかアドバイスしてもらえますか」
「僕の音声はオフレコですよ」
「それはわかってます」
「今どこですか」
「茨城県のある市の清掃センターから出た容リを追ってるの。霞サンライズっていうリサイクル業者がね、横流ししてるってタレコミがあったのよ」
「それで張り込んだんですか」
「霞サンライズには行かないわよね」
「それはどうですかね」
「だって、最初からもうおかしいの。霞サンライズの工場とは逆方向なのよ。埼玉に向かってみたいだわ」
「なるほど。それなら霞サンライズはトンネルして余所へ行くかもしれないですね」
「やっぱりそうなのね」
TVジャーナリストらしい着眼だと伊刈は思った。お金もエネルギーも絵にならない。絵になるのはゴミそれ自体だ。テレビ局が欲しい画は現行でなければ撮れない。そこが事後の取材で書くルポライターや年度遅れの統計を用いた学術論文とは全く違う。テレビの取材はリアルタイムだ。
「伊刈さん、これって犯罪だよね」
「直行便じゃまずいですけど、選別残渣なら半分までは横流しをしてもいいんですよ。直行したかどうか後からじゃわかりませんからね」
「だって直行してるじゃないの」
「後でそれを証明できますか」
大萩は電話口で絶句した。
「残渣率は五割まで許されるという経産省の通達があるんです。手間のかかるリサイクルよりも残渣として処分するほうが安いんで、業者は先に儲かるほうの五割を残渣として抜いて、残りをリサイクルするんですよ」
「それじゃ本末転倒ってことなの」
「残渣率五割なんて現場を知らない官僚らしい通知ですよ。リサイクルにもいろいろありますが、ミックスプラのままで溶融してしまうんだったら残渣は出ません。五割というのはミックスプラをベルコンに流して、種類別にピックアップする場合の実証値だと思いますが、手間がとんでもなくかかるので実際には手選別なんかほとんどやってませんよ」
「じゃどうするの」
「何もしないで輸出か最終処分に回ります。リサイクルしたものも結局は最終処分です」
「なるほどねえ。つまり全部捨てるか輸出ってことね」
「容リ協(日本容器包装リサイクル協会)や行政へ提出する報告書との辻褄合わせが必要になりますが、虚偽報告したとしてもほとんどノーチェックでしょうね」
「それじゃ何をやってもわからないってことね」
「誰も現場を見に来ませんから横流しをやらないほうがバカという感じですかね」
「今追ってるダンプは処分場への直行便よね」
「ヤードが小さい業者が受注量を増やしたら置いておく場所がないんですから当然トンネルになりますね。今追いかけてる業者のヤードは小さいんですか」
「ええとっても小さいわ」
「だったらやってるかもしれないですね。トンネルなら残渣の処分ではないことが明白ですね」
「埼玉だとしてどこへ行くのかしら」
「やっぱり産廃の処分場じゃないですか。処分先まではちょっとわかりませんね」
「一廃なのに産廃にしていいの」
「残渣だってことにすればいいんですよ」
「何もしてないのに」
「そんなの後からわかりませんから」
「なるほどねえ。またお電話で聞いてもいいですか」
「犬咬の情報じゃなければいいですよ」
「そうか地元だとまずいのね」
「インサイダー情報になりますからね」
「行き先がそっちじゃないことを祈るわ」大藪は電話を切った。
大萩ディレクターの臨場感ある実況が始まった。伊刈は電話口で追跡劇に付き合うことになった。
「伊刈さんの言ったとおりだわ。埼玉の産廃処分場に入ったの。どうしよう」
「空になったトラックが出てくるのを確認しましょう」
「わかったわ」
一時間後に続報が入った。
「さっきトラックが空で出てきたのを確認してから処分場に突撃取材したわ。工場長のコメントも取れたし、清掃センターで積んだベールの画も撮れました。大成功よ」
「ほんとですか。危ない会社だったらどうするんですか」
「テレビだもの多少のリスクは仕方がないわよ」
「積荷はミックスプラのベール(梱包物)ですよね。どんな処理をするって言ってました?」
「破砕するって言ってたわ」
「破砕機はありましたか?」
「ええ小さいけどあったわ」
「なるほど」
「容リは産廃じゃないでしょう。産廃の処分場に入れていいのかしら」
「容リの選別残渣は産廃になるんですよ。そう言ってませんでしたか」
「いいえ。ただこれは容器包装でしょうって言ったら産廃だって言い張ってたわ。でも選別なんかしてないでしょう」
「ベールになってたら選別前か後かわからないでしょう」
「これからどうするのかしら」
「横流しするつもりならベールのままでまたどこかに出しますね。ばらすとかさばりますからね」
「そうか。出すとすればいつかしら」
「その業者ヤードに余裕は?」
「もういっぱいいっぱいね」
「それなら今夜か明日の早朝に出すでしょうね」
「じゃあこのまま張り込むわ」
「このままって」
「車で寝るわ」
現場の取材に男も女もないようだった。
「朝早くごめんなさい。昨日の荷が動いたわ」大萩からの電話で伊刈が時計を見ると朝五時だった。
「どっちへ向かってますか」
「都心方面ね」
「ダンプのタイプは」
「ダンプじゃないの。二十トンのセミトレーラね」
「だったら遠距離ですね。フェリーターミナルかもしれませんよ」伊刈は直感的にビバリーヒルズ・インターナショナルのベールと同じルートだと思った。
「フェリーに乗るの?」
「有明からですね」
「わかったわ。また連絡するわ」
「僕もこれから向かいます」
「え、だってお仕事にはならないでしょう」
「追跡に付き合いますよ。有明から出るフェリーなら徳島経由で北九州まで行きますよ」
伊刈は休暇をとってでもビバリーヒルズ・インターナショナルと同じ処分先に向かうのかどうかを自分の目で確かめるつもりだった。
「どうしてそこまでわかるの」
「お会いしたらお話します。僕の勘が当たっていればですが有明でお会いしましょう」
一時間後また大萩から電話があった。「伊刈さんの言ったとおり有明のフェリーターミナルに入りました」
「コンテナだけヤードに置いてヘッドは帰ったでしょう」
「はいそのとおりです」
「出航時刻を確認してください。コンテナだけフェリーで運んで九州で別のヘッドが船から降ろすんですよ」
「まさか行ったことあるんですか」
「行かなくてもわかりますよ。フェリーは徳島に寄りますが、そのコンテナは北九州まで行きますよ」
「わかりました。北九州の取材を手配して私はこのままクルーとフェリーに乗ります」
「本気ですね。船上でお会いしましょう」
「伊刈さんも本気ね」大萩はすっかり伊刈を信用した様子で電話を切った。
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