逆視察

 「おい伊刈、おまえの一番嫌いな仕事頼んでもいいか」仙道が伊刈を呼びつけた。

 「なんですか」伊刈は首をかしげながら仙道の机の脇に立った。

 「視察だよ。それもお前の大好きな共民党だ」

 「そんな冗談は勘弁してくださいよ。議員対応は課長か技監の仕事じゃないんですか」

 「高畠先生がな、お前をご指名なんだよ」

 「県議ですか、市議ですか」

 「それくらいはお前も知ってるのか。県議のほうの高畠先生だよ」

 高畠夫妻は揃って議員で、夫が県議、妻が市議だった。

 「県議だったらやっぱり課長がいいんじゃないですか。僕じゃ役不足ですよ」

 「だから、おまえをご指名なんだって。高畠先生が県議会でお前の本のことを質問したのは知ってるか」

 「いいえ知りません。議会には関心ないんです」

 「県の環境部長は伊上さんて言うのか」

 「ええ確かそうですね」

 「高畠先生がな、伊刈と伊上を間違えて、ご著書の出版おめでとうございますと委員会で部長に祝詞(のりと)を述べたんだそうだよ」

 「まずいなあ。それって冷や汗ものですね」

 「共民党のセンセが議会で職員を褒めるなんて前代未聞だからな。しかも人違いじゃ赤っ恥だったろう。それでお前に会いたいと思ったんだろう」

 「なんかやらせっぽいですね。ほんとですかそれ」

 「俺も県議会に出てたわけじゃないからほんとのところは知らないよ」

 「まいったな。それでどこを見たいんですか」

 「全部だとよ」

 「全部って何を全部ですか」

 「犬咬の不法投棄現場を全部だとよ」

 「それはムリでしょう。何日かけて来るんですか」

 「半日か一日に決まってんだろう」

 「じゃあ刑事事件になった現場だけにしましょうか。六甲建材と嵐山の現場だけで十分ですよね」

 「ビバリーはどうすんだ。如月が逮捕されたの知ってんだろう」

 「ビバリーはまだ指導中ですから」

 「まあいい、お前に任せる」

 「わかりました。適当にあしらっておきます。喜多と夏川を連れて行っていいですか」

 「いや今回は墨田警部と奈津木警部補が同行するそうだ。何かあったらまずいからな。運転は奈津木警部補に任せろ」

 「なるほど公安対応ってことですか。で、いつですか」

 「あさっての十時に犬咬駅に行ってくれ」

 「そんなに早くですか。でもまあわかりました」伊刈は渋々承諾して引き下がった。

 翌々日の朝早く、犬咬駅は一人で駅に向かった。戦後の復興期に建てられたままの木造の駅舎は駅前広場が広いおかげで質素な佇まいの割には立派に見えた。残念なことに本来瓦葺きだった屋根が安普請のトタン葺きに改築されていた。木造の駅舎は今では珍しいのだから、きちんと復元すれば貴重な観光資源になるはずだった。

 高畠県議が乗っているはずの電車の到着を待っていると、やはり高畠を出迎えに来た市民団体の一行と遭遇した。

 「伊刈さんですね、今日はよろしくお願いします。私は秋庭と申します。シンポジウムでもお目にかかっております」五十代の小柄な男がいきなり挨拶してきた。差し出した名刺には全国産廃残土協議会犬咬支部書記と書かれていた。シンポジウムで会ったと言うが、伊刈には記憶がなかった。

 秋庭の後ろには目立たない中年の女性が三人立っていた。挨拶はしなかったが、同じ市民団体メンバーか高畠の支持者だと思われた。市民団体が同行するとは聞いていなかったので少し不愉快になったが、今さら断るわけにはいかなかった。

 高畠は秘書も連れず一人でやってきた。すぐに秋庭が出迎え、同行している三人の女性を紹介した。伊刈がどうでもいいという感じで駅舎の隅で動かずにいると秋庭の方からわざわざ高畠を連れてきた。

 「本日はご苦労さまです」高畠から先に挨拶され、やむを得ず伊刈も社交辞令を述べ名刺を交換した。

 「あなたがご高名な産廃Gメンさんですか」高畠が名前を呼ばない慇懃無礼さにいつもは無頓着な伊刈もちょっとカチンときた。

 墨田警部と奈津木警部補は目立たないように離れた場所に立って周囲を見張っていた。しかし駅舎はがらがらで不審な人物などいるはずもなかった。

 「今日の視察の行程をご説明します」

 「いえそれには及びません」秋庭が伊刈の言葉をさえぎった。

 「は?」伊刈は意外そうに秋庭を見た。

 「案内はこちらでいたします。現場はよくわかっていますから。伊刈さんは後からついてきてください」

 秋庭の言葉に再び伊刈はかちんときた。案内がいらないなら最初から勝手に視察すればいいと思った。しかし今さら帰るわけには行かず、秋庭がどこに案内するつもりなのか興味もあったのでついていってみることにした。

 秋庭が最初に向かったのは森井町の陣内の残土処分場だった。亡くなった高崎市議が関与していた現場だ。なるほどそう来るのかと伊刈は思った。陣内は伊刈との約束を守って跡地に植林し杉苗は背高な雑草に覆われて見えなくなっていた。アルカリ性の固化剤で処理した残土が来ていたので、杉苗が育たなかったのだ。

 秋庭が何か熱心に高畠に説明していた。伊刈は関心なさそうな顔で離れて立っていた。高崎市議と高畠県議は同じ左派といっても会派が違う。ましてや奥さんの高畠市議と高崎市議は市議会の女性議員としてライバル関係にあった。秋庭は当然、それを踏まえた説明をしているのだろうと思われた。伊刈には一言も声がかからず、視察団は次の現場に移動した。

 視察団が向かったのは、伊刈が犬咬市に出向する遥か前に投棄が終った非常に古い現場だった。当然伊刈は調査したことがなかった。国道から細い砂利道に入るとすぐに倒産した建設業者の廃屋があった。その奥に広大な埋立地が広がっていた。もとは深い谷津だったところを残土と産廃で埋め尽くしたのだ。広さはサッカー場を三面とれるくらいあった。

 「ここはフルムーングループの捨て場ですよ」墨田警部が伊刈に耳打ちした。

 フルムーンと聞いて伊刈は嫌な予感がした。予感は的中した。視察団が次に向かったのはビバリーヒルズ・インターナショナルだった。

 秋庭は視察団を乗せたワゴン車を鋼鉄の門扉で閉ざされた搬入口の正面に停めた。伊刈がアウトカムの立入検査をした翌日から、如月は処分場への自由な出入りを制限するために門扉を閉めきるように指示したのだ。

 「ここは犬咬でも最大級の不法投棄現場です」秋庭がなぜか勝ち誇ったように説明した。

 「不法投棄現場だったら、どうして許可証を掲げて操業しているんですか」高畠がアウトカムの看板を見ながら尋ねた。

 「ダミー会社ですよ。名前だけの会社なんです。ところが市が許可してしまいましてね。まあいわゆる癒着というやつですね」秋庭の口ぶりはそんなことわかりきっていると言わんばかりだった。

 「癒着とはどういうことですか」たまりかねて伊刈が反論した。

 「癒着は癒着ですよ」秋庭がばかにしたように言った。「市の環境部なんてみんなそんなものです。今、業者の告発を準備しています」

 告発などしなくても許可はまもなく取消しますと喉から出かかったが伊刈は黙っていた。

 道路が騒がしいのに気付いて驚いたことに如月本人が出てきた。珍しく事務所にいたのだ。それとも蛇の道は蛇で共民党の視察があるという情報が入っていたのかもしれなかった。

 「やあ伊刈さん、いつもいつもご苦労様です」如月は上機嫌で挨拶した。「こちらのみなさんは?」

 「共民党の県議さんです。それから市民団体のみなさんです」

 「なるほどそうでしたか」如月はしらばっくれて言った。やっぱり視察があるのを察知していたのだと伊刈は思った。

 「中を見せてもらいたいんだがね」秋庭が上目線で如月に言った。

 「伊刈さんならいつでも歓迎ですが、失礼ながらあなたがたに見せるいわれがありますか」如月がばかにしたように切り替えした。

 「私たちは市民です。処分場は市民に公開する義務があるでしょう」

 「ここは処分場じゃないですよ」

 「じゃあなんですか」

 「不法投棄現場です」如月は視察団をわざと煽っている様子だった。

 「まあ驚いた」それまで黙っていた市民団体の女性たちがいっせいに声をあげた。

 「ちょっと中がどんな見てきましょう」伊刈が通用口に近付いた。

 「それじゃ写真をとってきてもらえるかな」秋庭が自分のカメラを差し出した。

 「それはできません」伊刈は秋庭の依頼を拒否した。「十分で済みますからここで待っていてください」伊刈は通用口をくぐった。二人の警察官は門扉の外にとどまった。

 「あの連中はなんだい、礼儀ってものを知らんね」一人で場内に入った伊刈に如月が話しかけた。

 「自分たちが世界で一番正しいと信じてる人たちです」

 「なるほどな。そういうやつは可愛くないね。癒着とかなんとか言ってなかったか」

 「市の職員と業者が癒着してるといきまいてたんですよ」

 「なるほど、いいことを言うじゃないか。ぜひそう願いたいものだね」

 「今もたぶんそう言ってますよ。如月さんと伊刈は癒着していると」

 「伊刈さんも人が悪いねえ。アウトカムの木村が首を洗って待ってるんだけど、いつ取消しの通知が来るんだい」

 「来週あたりですかね」

 「あっさり言うねえ。こういうことはもっともったいぶったほうがいいよ」

 ビバリーの場内は以前とあまり変わらなかったが、唯一の変化はべーラー(梱包機)がなくなっていたことだった。

 「売ったんだよ」伊刈に聴かれるまでもなく、如月が答えた。「伊刈さんのおかげで九州に持っていけなくなったからな」

 道路に戻ってみると秋庭の車はどこにもなかった。

 「班長が帰るのを待たずに次の現場の視察に向かいましたよ。市の案内はもう要らないそうです」墨田警部が言った。

 最初からそうすればいいのにと伊刈はなんとも思わなかった。

 お役御免となって清々した顔で市庁に帰るなり、仙道がかんかんになって雷を落とした。

 「おい、おまえなにやらかした」

 「何もしてませんけど」

 「高畠市議から今しがた電話があって、ビバリーヒルズの問題を市議会で質問するそうだ」

 「今度は奥さんですか。議会の質問日までにアウトカムの許可を取消しちゃえばいいですよ」

 「それはだめだ」

 「は?」

 「市民団体がアウトカムの告発状を出すそうだよ。だから取消しはちょっと待て」

 「どうしてですか」

 「わからんのか」

 「わかりません」

 「つまりな、今度の件もセンセのお手柄にしようってことだよ。取消すのは告発状と議会の質問の後だ」

 「ぐずぐずしてると釣った魚に逃げられますよ」

 「かわまん。とにかく聴聞の起案は保留だ」

 「やれやれですね」

 伊刈の杞憂が当たった。高畠市議に遠慮して聴聞の通知を遅らせている間に、アウトカムは本店を県外に移し、如月の妻が持っていた株式も第三者に偽装転売してしまった。欠格条項の連座制は二か月で消滅する。それを計算に入れて登記原因日は三か月前にさかのぼられていた。姑息な手だったが覆すのは難しかった。共民党の横槍が逆効果になり、アウトカムの連座制適用による許可取消しは不可能になった。秋庭たちはこれも市と業者の癒着のせいにしていることだろうと伊刈はほぞを咬む思いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る