プレハブ小屋
伊刈たちは翌朝一番にビバリーヒルズの事務所に立ち入った。一人でのんびり留守番をしていた若い衆が伊刈の顔を見るとあわてて立ち上がった。
「今日はなんすか」
「マニフェストを見せてもらえないですか」
「は?」
「マニフェストですよ。トレーラが来たとき振り出してるでしょう」
「俺わかんないすよ。マニフェストってなんすか」
「知らないの」
「だって俺、産廃のことなんかわかんないすよ」
「トレーラが来たら渡せって言われてる書類があるでしょう」
「知らないすよ」
「この間、社長がその引き出しから出したじゃないですか。開けてみて」
「やですよ。社長に言ってくださいよ」
「それじゃなんのために留守番してるんですか」
「何って別に」
「昨日もいましたか」
「いましたけど」
「昨日トレーラがベールを積んだでしょう。見てたんだから知ってるますよ」
「はあ」
「来たでしょう」
「そうっすねえ来たかもしんないすけど」
「その時渡した書類の控えがあるでしょう」
「だから知んないすよ」
「そこの引き出し開けてみて」
「勝手に開けてくださいよ」
「開けていいですか」
「ダメって言ったら開けないんすか」
「じゃ開けますよ」
伊刈が引き出しを開けると、見込んだとおりマニフェストのA票がしまわれていた。
「これデスクの上に広げてみて」
「勝手にやって下さいよ」
「そうはいかないんです」
「俺はやですよ」
「それじゃ社長を呼んでもらえますか」
「まあ何かあったら連絡しろとは言われてますけど」
「じゃ連絡して」
男は身をかがめるようにして、如月に電話した。
三十分ほどで如月が自らベンツを飛ばしてきた。「今度は何の騒ぎですか」如月は相変わらずダンディだった。
「フェリーですよ。場内のベールをトレーラで積み出して、有明からフェリーで九州に運んでるでしょう」
「ああ運んでますよ。それがどうかしましたか」
「フェリー会社で確認しましたがマニフェストは隣のアウトカムの荷になってましたよ」
「なんで」
「なんでかは如月さんがご存知でしょう」
「おかしいねえ。うちが撤去してるんだからうちになってるはずだよね。書き間違えじゃないの」
「誰がマニフェストを書いてるんですか」
「ああ、こいつが書けるといいんだけどバカだからね。マニ電は隣の事務員に書いてもらってんですよ。それでうっかりしたんじゃないの」
「全部隣で書いてもらってるんですか」
「そうですよ。書いてもらったら悪いんですか」
「誰が書くかまでは法律にはないです。ただビバリーヒルズが出したベールならマニフェストの発行者はビバリーヒルズじゃないといけませんね」
「それはわかってますよ。だから隣の事務員が間違ったんじゃないかって言ってるでしょう」
「フェリー会社に控えがあった三十枚は全部アウトカムが発行していましたよ。それでも書き間違えですか」
「古いやつはわかんないねえ」如月は苦い顔をしながらもしらばっくれた。
「これからアウトカムの本社に立ち入りますがよろしいですね」
「いいも悪いも俺の会社じゃないからね。アウトカムの社長に言ってよ」
「本社の所在地は如月さんのご自宅になっているようですから勝手に入れないでしょう」
「なるほどね。だが、行けばわかるが、自宅じゃないんだ。じゃあまあ伊刈さんだから特別に歓迎するわ。話はそれだけかい。だけど俺は顔出さないよ。アウトカムとはなんも関係ないんだから」
「名義上の社長が立ち会っていただければいいですよ。それじゃ一緒に行きましょう」
「俺は用事があるんで勝手に行ってよ。女房には役所が来たら門扉を開けろと言っておくよ」
「木村社長に連絡は取れますか」
「さあねえ、俺は知らないけど隣の事務所に寄ったらわかるんじゃないの」
「なるほどそれもそうですね」伊刈たちがアウトカムの場内まで歩いて向かうと門扉の前に当の木村が待っていた。
「ご苦労さまでございます」木村が最敬礼した。
「これから本社に立ち入るので立ち合ってください」
「本社?」
「如月社長のご自宅ですよ。そこが登記上の本店所在地でしょう」
「あ、そうですか」
「如月さんの承諾は今取りましたからご心配なく」
「そうすか。社長も来るんすか」
「いえ木村さんに任せてるそうです」
「はあ」木村は不安そうにしながらも自家用車で如月の自宅の庭にあるアウトカムの本社に向かった。
如月の自宅は田んぼのど真ん中に建てられた洋館風の白壁の豪邸で成金趣味の匂いがぷんぷんした。広々とした庭は一面の芝生になっており、お決まりのゴルフ練習用ネットがあった。玄関脇にある頑丈な鋼鉄製の扉のついた犬小屋には番犬としては獰猛過ぎる土佐犬が飼われていた。
庭先のプレハブ小屋がアウトカム・コモディティ・エクスプレスの本社だった。新築ではなく、壁が見えないくらい周囲の植え込みが繁茂していた。二十年は経過していそうで、もともと如月の組事務所として建てられていたものを転用したように見えた。洋風の豪邸にあるにはおよそ似つかわしくない佇まいだった。8畳ほどしかない狭い事務所の中に先乗りした木村が検査チームを案内した。本社とは名ばかりのようで事務員の姿はなかった。
「狭いところですけどゆっくりしてください」そうは言ったものの室内は物置同然に雑然としており三人が同時に座る席はなかった。
「あるだけの書類を見せてもらいますよ。決算書、総勘定元帳、売掛帳、買掛帳、マニフェスト、契約書、全部ですよ」
「いいっすよ。全部見せていいって社長に確認取りましたから」
「木村さんが社長じゃないんですか」伊刈が言った。
「今さらわかってるじゃないすか」
「まあそうですね。それでは書類を出してください」
「はい」木村は次々と書類を出してきた。どれも薄っぺらな帳簿だったが、税理士が入っているのか意外に管理はしっかりしていた。
「アウトカムが受注した荷をビバリーヒルズ・インターナショナルが再受注してるはずだけど」伊刈が喜多を見た。
「そういう内部取引はないみたいですよ」喜多が帳簿を見ながら答えた。
「おかしいな。ビバリーには許可がないからアウトカムをトンネルに使ってビバリーに流してるはずだけど」
「アウトカムからビバリーへの売上は一円も計上されていないですね」
「それじゃ資金の融通はどうかな」
「アウトカムはビバリーヒルズから施設を買ったんですよね」
「いくらで買ってるか調べてみて。施設を過大な価格で買ってれば利益のつけかえになるよ」
「それもないみたいですね」
「どういうこと」
「施設を買ってもいないし借りてもいないです。施設の融通は帳簿上はないですね」
「たったらただでもらったことになるな」
「そうですね」
「おかしいな。ただでは利益のつけかえにならない。帳簿上施設か資金の融通が絶対あるはずなんだけどな」
「簿外資産てことですかね」
「いや帳簿のどこかにあるはずだよ」
「でもやっぱり施設の売買はしてないです」
「金の貸し借りもなしか。土地建物の賃料はどう」
「あ、それはありますね。アウトカムはビバリーヒルズに土地の賃料を払ってます」
「いくら」
「すごい額です。もしかしてこれですか」喜多の顔がほころんだ。
「いくらだ?」
「年間五千万円です」
「ビンゴだな。やっぱり利益の付け替えだ。アウトカムがビバリーに貸した金はないかな?」
「それはないですけど如月社長がアウトカムとビバリーに合わせて七千万円貸してます」
「それは偽装債務かもな」
「どういうことですか」
「両社の現金預金は合わせていくらある」
「アウトカムが五千万、ビバリーが八千万あります」
「金庫にはそんな金はきっとないよ。あるとすれば如月社長の自宅の金庫の中だ。今言った数字の載ってる書類を全部写真に撮っておこう」
「わかりました」喜多がカメラを構えたとき事務所の扉が開いた。
その時、小柄でにやけた顔の男が事務所に入ってきた。
「やってますね。私、如月の顧問をしております行政書士の白金と申します」白金は愉快そうだった。揉め事はかえって自分の出番だと思っているのだ。
「白金さん、会計帳簿のことはわかりますか」
「ええわかりますよ。税理士の真似事のようなこともいたしますのでね」
「節税顧問ですか」
「そこまではいたしませんが、税理士さんに丸投げしますとバカ正直な書類を作りますからね。その前にちょっと拝見したりしています」
「なるほど。それで今日も如月さんに頼まれたのですか」
「いえいえ、お宅に寄ったら役所の車があるので奥さんに聞いたらアウトカムの検査だというものですからどんな様子かと思いましてね」
「アウトカムの顧問もしていらっしゃるんですか」
「やってはおりませんがある程度わかりますよ。アウトカムの許可申請書類は私が作成しましたのでね」
「経営は一体ということですか」
「経営はもちろん別々でございますよ。別法人ですし株主も全く違いますから」
「アウトカムで使っている施設が帳簿に載っていませんが簿外資産ですか」
「おやそうですか」
「それともアウトカムから無償貸与ですか」
「まあ強いて言えば無償譲渡ですね。償却が終わった施設なんで無償で融通したんです」
「簿価はなくても融通するなら評価額を計上すべきじゃないですか。税務署はなんと」
「さあ私はそこまで税務に詳しくないのでね」
「両社はどういう関係の会社ですか」
「資本上の関係はございませんが、それでもいわゆる関連会社というのでしょうね」白金はあっさり認めた。
「両方とも如月社長の会社じゃないんですか」
「ご存知でしょう。アウトカムは如月の奥さんが株主ですよ」
「奥さんの会社なら同族会社ですよね」
「離婚してたら違いますでしょう」
「偽装離婚の場合はどうなんでしょうか」
「戸籍上離婚していれば同族会社にはならないと税務署に確認しております」
「そこは確認済みなんですか。アウトカムの設立登記はどなたがやられたんですか」
「私が如月から頼まれてやりました」
「行政書士の仕事ではないですね」
「もちろん仲間の司法書士の名前を借りましたよ。ですけどね、段取りは私がやりましたよ。如月は欠格条項に触れるでしょう。それで奥さんに離婚していただいたんですよ」
「なぜそこまで」
「如月が逮捕されたら奥さんに借金取りが来るでしょう。それで逮捕される前に籍を抜いておいたらどうかって私がアドバイスしたんです」
「アウトカムの設立資金は如月さんが出したんですね」
「いいえ資本金は奥さんが出しました」
「それは形だけではないですか」
「如月の金で奥さん名義の資本金にしたら贈与税がかかりますよ」
「離婚したときの慰謝料という名目で資金を移しませんでしたか」
「おやおや、お噂どおりに鋭いご指摘ですね」
「どうなんですか」
「ご想像におまかせしますよ」
「白金さん、いまお聞きした内容だとアウトカムには如月社長の欠格条項の連座制が適用されますよ」
「どうしてですか」
「どう考えても偽装離婚ですからアウトカムの資本金は実質如月社長が出したものです」
「なるほど、そういう見方ができるんですねえ。そこまでは気が付きませんでした。」白金にはうろたえる様子はなかった。「それじゃアウトカムは許可取消しってことになるんですね」逆にそう開き直られると伊刈も答えようがなかった。
「如月ってのは不思議な男でねえ」しばらく沈黙が続いた後白金が独り言のように言った。
「不思議とは」
「あれでなかなか人気があるんですよ。人望があるっていうか人が寄ってくるんだ。悪いやつは悪いやつなんだけど憎まれないんだなあ」
「どういうことですか」
「どうもこうもありませんけどねえ、私は如月についていきますよ。伊刈さんがね、アウトカムの許可を取消すって言うなら悪あがきはしませんよ。だけど如月は平気ですよ。あの男は頭の切り替えが早いから、すぐに次の手を考える。伊刈さんのことを恨んだりはしないと思いますよ。今日だって何も隠さずに全部話せって言われてるんです。書類も全部見せろって言われて来たんです。たぶん伊刈さんのことだからビバリーの決算書も見せろって言うだろうからってね、持って来ましたよ」白金は書類鞄からビバリーの決算書を取り出した。
「自由にご覧いただいてかまわないんですよ」
「せっかくですから拝見しましょう」伊刈は神妙な顔でビバリーの決算書を拾い上げた。
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