瓢箪から駒

 「ハリマに行くぞ」ビバリーヒルズ・インターナショナルの敷地を出るなり伊刈が言った。

 「そうだと思ってました。いつ行かれますか」夏川が応えた。伊刈のシンパの喜多が先を越されて悔しそうに夏川を見た。

 「善は急げ。明日の午後一番に行こう」

 「朝一番じゃないんですか」

 「近くにうまいネギラーメンの店があるんですよ。班長はそこに寄ってからいくつもりなんですよね」喜多はもう伊刈の性格を知り抜いていた。

 「さすがだね」伊刈は嬉しそうだった。

 「ハリマのこと調べておきますか」夏川がラーメンの話題には乗らずに冷静に言った。 「自社処分場の届出書がまだ残ってると思います。確かおかしな行政書士がついてたと思います」

 「おかしな?」

 「埴輪って名前ですが韓国籍なんです」

 「通名ってことだね。確かにあやしい名前だね」

 「韓国名は羹だったと思います。ようかんの羹です」

 「そっちのほうがもっと怪しくないですか」喜多が言った。

 「いや韓国では普通の名前だよ」伊刈が喜多をたしなめた。

 ハリマは白糸市の自動車シュレッダー業者だった。自社処分場の規制が甘かった時代、犬咬市内にいくつもの自社処分場を設置し、大量のシュレッダーダストを埋め立てていた。過去の書類を調査すると夏川の記憶どおり届出書はすべて行政書士の埴輪が作成したものだった。一年前、ハリマの秋桜社長が傷害事件で起訴されたために欠格条項に抵触して収集運搬業の許可は取消しになったが、子会社の東宥リサイクルに許可を取得させて事業を承継させたこともわかった。秋桜も在日韓国人だった。ハリマと東宥リサイクルは登記上の本店所在地が同一で社屋も共用だった。社長の名義を変えただけの明白なダミー会社だったが、それでも県庁は許可していた。県庁からしてこの程度なのだから、犬咬市がアウトカム・コモディティ・エクスプレスの許可申請を受け付けてしまったのもムリはなかった。まだしも如月は二つの会社の処分場を物理的に区分していたが、ハリマと東宥リサイクルには境界などなく、事務所も共用だった。

 あらかじめ検査を通告しておいたのだが、ハリマの社屋に秋桜社長は不在で、伊刈たちを待っていたのは行政書士の埴輪一人だった。

 「埴輪と申します。こちらの会社の顧問をしております」埴輪は名刺を差し出した。伊刈は誰かに似ていると感じた。すぐにそれが横嶋だと悟った。横嶋も韓国籍だったが、そういう意味で似ているのではなく、屈託のない笑い方が似ていたのだ。横嶋の笑顔にはすっかり騙された。伊刈は警戒心を強めた。

 「犬咬市の伊刈です」伊刈も名刺を差し出した。

 「ご高名はかねがね。ご本も拝読させていただきました」

 「東宥リサイクルの場内を点検させていただけますか。といってもハリマと区別がつかないようですが」

 「いえちゃんと分けておりますよ。まあこちらへどうぞ」埴輪が先に立って場内の案内を始めた。

 ハリマの場内は典型的な鉄スクラップのシュレッダー工場だった。中央に高さ二十メートルはありそうな大型のハイデッキクレーンがあり、ヤードに積まれた鉄スクラップをシュレッダーやギロチンなどの切断施設へと投入していた。場内の一角に『産業廃棄物積替保管場』という表示があり、廃プラスチック類と空缶のプレスが置かれていた。囲いも何もないそのスペースが東宥リサイクルの唯一の施設だった。

 「これだけですね」

 「ええそうです」

 「事務所に戻って書類を拝見します」

 「どうぞ」埴輪は涼しい顔で言った。

 「東宥リサイクルがハリマの子会社だって証拠を会計書類から探せるかな」事務所に戻りながら伊刈が喜多に耳打ちした。

 「練習問題としてはおもしろいと思います。でも本命はあくまでビバリーですよね」喜多は余裕で答えた。

 事務所に戻ると喜多は気合十分で東宥リサイクルの帳簿を調べ始めた。伊刈の教えのとおり最初は決算書でざっくりと許可の内容と財務内容のバランスを確認した。着眼点は入荷、処理、出荷のマテリアル・マネー・バランスだ。物量と金額のバランスがとれていなければ簿外処理や偽装処理があることになる。次に怪しいと睨んだ費目を中心の総勘定元帳と補助簿を一ページずつ点検し、最後には領収証綴りで取引内容を証明するのだ。

 喜多に会計書類の検査を任せておいて、伊刈は夏川と一緒に契約書類やマニフェストの点検を始めた。夏川もそれなりにてきぱきと検査を進めているように見えた。しかし伊刈の流儀とは着眼点が違った。

 「夏川さん、契約書は単価のところをよく見て」伊刈が諭した。

 「え、どうしてですか」慣れない夏川が聞き返した。

 「喜多さんが確認している領収証と照合するから」

 「はあそうですか」夏川は合点がいかないながら客先ごとに単価の書き出しを始めた。

 夏川の作業を見ながら伊刈はマニフェストの数量の積み上げを始めた。今まではチームに任せていた一番単純な作業だったが、この日はあえて自らこの作業を選んだ。東宥リサイクルはマニフェストを月別ではなく運搬先別に綴っていた。それを月別に集計しなおすにはそれなりの経験が必要だった。

 「班長、これ見てください。般若商会への支払が目立ちます」喜多が買掛帳を伊刈に見せながら言った。

 「般若とは大物がかかったね」

 般若商会はニシキ・パワーエナジーの不法投棄に介在していた業者だった。瓢箪から駒だった。

 「でもおかしいな。マニフェストには般若商会が出てこないよ。夏川さん、般若商会の処理委託契約書はあるかな」

 「今のところそんな会社ありません」夏川は般若商会を知らない様子だった。

 「わかった。もし出てきたらチェックしておいて。喜多さんは般若商会の委託数量を特定して」

 「わかりました」

 二時間ほどで書類の点検が終わった。伊刈は検査結果をまとめて埴輪に対面した。

 「社長はいらっしゃらないんですね」

 「ハリマの秋桜のことですか、それとも東宥リサイクルの多治見のことですか」

 「今日は東宥リサイクルの検査に来たんで社長は多治見さんですが、秋桜さんでもよろしいですよ」

 「秋桜はいま韓国の取引先に行っております。為替が不安定なので毎月契約単価の見直しが必要なんですよ。多治見はお察しのこととは思いますが、名前だけの社長でして普段は別の会社におります。今日の対応は私が任されております」埴輪はあっさりとカラクリを認めた。伊刈の前で余分なことを言っても時間のムダだと悟っている様子だった。

 「鉄スクラップは韓国に輸出されているんですね」

 「中国と韓国が半々くらいですね。値段のいいほうに出しております」

 「今、名義だけの社長とおっしゃいましたが、社長だけじゃなく、東宥リサイクルには固定資産が何もありませんね。土地も建物もハリマのもの。運転資金もハリマからの借入金ですね」

 「そのとおりです」

 「そうなると欠格条項に抵触しませんか」

 「その点については県庁とも相談いたしました。伊刈さんだから正直に申しますが、実は東宥リサイクルの許可をいただく際に秋桜をハリマの代表からもいったん外したんです。県庁のご指導がそれでいいということだったものですから」

 「なるほど」伊刈はため息をついた。県庁の指導だろうということはうすうす察していたが、その程度の小技で抜けられるのなら欠格条項など空文に等しかった。

 「それにしてもさすがですね。みなさん、いい先生を持ちましたね」埴輪は喜多と夏川の顔を見た。二人ともポーカーフェイスだった。

 「そろそろ本題に入りましよう」伊刈が真顔で言った。「ハリマから東宥リサイクルを経由してアウトカム・コモディティ・エクスプレスに委託されている廃棄物がありますね」

 「ございます」

 「委託料は一か月あたり二千トンくらいですね。単価はキロ二十五円ですが、実際には般若商会に二十七円払っていますね。二円はリベートですか」

 「ほう」埴輪は感心したように伊刈を見た。「そこまでよくお分かりですね」

 「般若商会はほかでも同じようにリベートを取っていましたからね」

 「なるほどね、そういう観点で見られるとは思いませんでした。確かに契約書と帳簿を比較したら一目瞭然ということですね」

 「二円というのは高いですね。よそでは一円でした。一円は般若商会の是枝さんの取り分として、一円はほかの誰かにキックバックしているんじゃないですか」

 「さあ私にはそんな難しいことはわかりません」

 伊刈はキックバックの相手は埴輪だとほのめかしたのだが、埴輪は顔色を変えなかった。しかしかえって興味のなさそうな顔が真実を表していた。

 「アウトカムが実際はビバリーヒルズ・インターナショナルのダミーだということはご存知ですか」伊刈は話題を変えた。

 「ええうすうすはね。当社と同じですね」埴輪も他社のことだと口が軽くなった。

 「アウトカムが委託した廃棄物をビバリーで確認しています。もっとも如月社長は風で飛んできたと弁明されていましたが」

 「それを確認に来られたのですね。当社とビバリーとの間に過去にも現在にも契約関係はございません」

 「埴輪さん個人としてはどうですか」

 「どういう意味でしょうか」

 「如月社長と個人的なお付き合いがないでしょうかという意味です」

 「つまり私が如月さんにダミー会社の設立を指南したとおっしゃりたいのですか」

 「それも含めてのことです」

 「そういうお疑いなら正直の申し上げます。如月さんの顧問をしているのは白金という者ですよ。白金さんとは僅かながら面識がございます」

 「その方も行政書士のお仲間ですか」

 「さようです。白金さんから東宥リサイクルのことをいろいろ聞かれましたので教えてあげました。アウトカムの設立の参考になったのかどうかは存じません。それにしても伊刈さん、想像以上に鋭い方で恐れ入りました。この業界の裏のことならなんでもご存知ですね」

 「ほんの駆け出しですよ。埴輪さんの足元にも及びません」

 「ご謙遜を」

 「今日の検査はこれで終了です」

 「アウトカムへの委託は中止したほうがよろしいのですね」

 「それはなんとも申せません。今のところは許可がある会社ですから委託しても違法ではありません」

 「それはそうですね。伊刈さんが調査にお見えになったらというだけで取引を中止していたら取引先がなくなってしまいますね」

 「お世話をかけました」

 「場内はフォークなどいろいろ動いておりますから、どうぞお帰りはお気をつけて」埴輪はにこやかに笑むと伊刈たちを駐車場まで見送った。

 「班長、般若商会が青森と山形の県境不法投棄現場にRDFを出していると噂になっていたことはご存知ですか」車に戻るなり夏川が言った。

 「ほんとか。それ聞いてなかったな。それにしても夏川さん般若商会を知ってたんだ」

 「知らないそぶりをした方がいいのかと思いましたから」

 「騙されたよ。夏川さんをちょっと甘く見てたよ」

 「恐れ入ります」

 「で、ほかに般若の情報は}

 「去年のことですが、山形県がずいぶん調査して十八条報告も徴収したけどダメだったって聞いてます」

 「やっぱり本課と出先じゃ情報が違うんだな。環境事務所にはそんな情報は回ってこなかったよ」

 「あくまで噂ですよ」

 「宮城山形県境不法投棄現場は発見当時史上最大の九十万立方メートルの不法投棄事件としてメディアに報じられていた現場ですよね」喜多が言った。

 「喜多さんも勉強してるなあ。二人にもうかなわないな」

 「両県が合同で対策委員会を設置して六百億円の巨費を投じて汚染除去事業に着手していますね。国庫補助は二百五十億円です」

 「記録ってのは塗り替えられるもんだよな。あのころは史上最大の不法投棄といったら東北地方ばかりだったけど、この頃は中京・近畿地方にお株を奪われてるよな」

 「あくまで報じられているかぎりですよね」喜多が言った。「ビバリーヒルズだってフルムーンが投棄した分と合算すれば二百万トン級の現場ですよ」

 「確かにな。ちゃんと調べたら県境を上回る現場がいくつあるかわからないよな」

 「どうして調べなんでしょうか」夏川が言った。

 「巨大な現場には政治力があるからじゃないか」

 「うちの市にはそんな圧力はありませんよ」夏川が言った。

 「全然ないってわけじゃないけど少ない方かもな。だから発覚する現場が多いってことだよ」

 「なんかすっきりしませんねえ」喜多がいった。

 「喜多さん、般若商会に立ち入ってすっきりしようか」

 「また栃木ですか。向こうはもううんざりです」

 「じゃやめとくか」

 「いえ行きます」

 「今回は大物だから栃木県庁に協力要請しておいてくれないか」

 「了解です」喜多はやる気満々だった。

 般若商会の処分場はかつて不法投棄の調査に来たことがある北関東物産からさほど離れていなかった。北関東物産がろくな施設もない典型的なアウトロー業者だったのとは違って、般若商会は県の協会役員を努め、産廃、一廃、容器包装リサイクルの施設を有し、本格的な最終処分場も持っている有数の総合処分場だった。二瓶社長は二億円の豪邸に住んでいるという噂も聞こえてきた。

 主力の施設は国道から目立たない農道に折れて一キロメートルほど行ったところにあった。協会役員クラスの処分場のレベルがどんなものか期待していたが、場内に入って検査を開始するまでもなく明らかなオーバーフロー状態だった。廃プラのベールが大量に場外の農地に保管されていたのだ。その数はざっと一万個もあった。一個五百キログラムとして五千トンである。もしも未処理の廃プラの場外保管なら保管基準違反である。さらにRDFが詰め込まれていると思しきトン袋(フレコンバック)も大量に場外保管されていた。県境不法投棄現場に持ち込まれたと噂のRDFだが、製品の場外保管については、いろいろ口実が儲けられて取締りが難しかった。保管場所が農地なので、農地転用違反の疑いもあった。

 こんな場外の様子を眺めながら長い進入路を入っていくと三階建ての立派な社屋が現れた。売上高五十億円はこの業界では中堅クラスだが、経営規模にふさわしい社屋を伊刈はひさびさに見た思いがした。アウトロー業者は売上高につりあわない仮設事務所の多かったからである。伊刈たちのパト車はわざと事務所前を素通りして、そのまま場内の点検に向かった。最終処分場は既に埋立完了間近で、広大な造成地という趣だった。最近は廃棄物が搬入された様子もなかった。伊刈はニシキ・パワーエナジーのマニフェストを思い出した。ニシキの廃棄物はこの最終処分場に来ていたはずなのだが、果たしてほんとうにここに埋め立てられたのか改めて疑問に思った。

 安定型最終処分場の真ん中で二瓶社長が自ら伊刈たちを待っていた。伊刈が最初に最終処分場を見ると通告したからだった。

 「ご苦労様です」二瓶は深々と頭を下げた。オーダーメードと思われるダブルのスーツを着た恰幅のいい紳士だった。

 「この最終処分場はもう終わりなんですね」伊刈が開口一番に言った。

 「ここは終わりですが第三処分場を申請中ですよ」

 「じゃあここは第二ですか」

 「第一処分場はいま容リ(容器包装リサイクル)施設が建っているあたりですね」二瓶は崖上の立派な建屋を見上げた。

 「最終処分場の状況はわかりました。中間処理と容リの施設をご案内願いますか」

 「もういいんですか」

 「だってここは動いてないでしょう」

 「わかりました。それでは車で事務所の前までお戻りください」二瓶は従業員に運転させていた軽の四駆に乗り込んだ。伊刈たちも後に続いた。

 中間処理施設の主力は旧式の加熱式RDF製造工場だった。しかも用途が限られる五センチメートル径の一種類だけだった。入荷している廃プラスチックは大半が周辺市町村の一般廃棄物のようだった。

 最近建設された容リ施設は選別専用施設で、長大な手選別ラインを備えていた。しかしラインは止まっていて選別作業をしている従業員は居なかった。入荷する廃プラの品質が悪すぎて選別できず、全量をRDF製造ラインに入れているのだと思われた。

 「今点検中なんですよ」伊刈の疑念を払拭するように二瓶が言った。

 点検で止まっているだけなら未処理在庫があるはずだが場内はきれいなものだった。

 「ここの選別精度はどれくらいですか」

 「ちょうど五十パーセントに設定しています。それ以上やっても赤字です」

 「前に見た施設では九十五パーセントというところもありましたよ」

 「バカげた数字です。うちは単品をピックアップする方式だから五十パーセントが限界です。経産省の指導でも五十一パーセントで良いことになっています。九十五パーセントというのは悪いものを撥ねる方式でしょう。それではプラは混合のままだから売り物になりませんよ。せいぜい擬木かパレットくらいにしかならない。あれはほとんど原料としては無償ですよ」

 「RDFのほうは売れていますか」

 「もちろんです。製造が間に合わないくらいです」

 「それじゃ場外に積んであるのは」

 「ああ、あれですか。あれは返品されてしまいましてね」

 「塩素のコントロールですか」

 「鋭いご指摘ですね。しかし使い道はありますよ」

 「たとえばどんな」

 「それは企業秘密と申しますか」

 「ボードに再加工するんですね」

 「なんでもお見通しだ」

 最終処分場は埋立完了、RDFプラントはオーバーフロー、容リ施設は休止中、これではとうてい五十億円を稼ぎ出している施設には見えなかった。

 容リ施設の検査を終えて社屋に戻ってくると、ちょうど栃木県庁の担当三人が到着したところだった。挨拶もそこそこに伊刈は三階の広々とした会議室に陣取って書類検査を開始した。

 伊刈は二瓶社長に決算書と総勘定元帳の提示を指示した。

 「今まで県庁にだってそんな書類を出せと言われたことはありませんよ」二瓶は栃木県の師井主幹の顔色を伺いながら言った。

 「犬咬市では実施しておりますので」

 「ここは栃木ですから、こちらの流儀に従っていただきたいですね」

 「おかしいなあ」伊刈は大げさに首をかしげた。「金村さんは栃木でも帳簿検査はされているとおっしゃっていましたよ」

 ベテラン職員の金村の名前を出されて栃木県庁の師井は発言せざるをえなくなった。

 「金村さんはやっているかもしれませんが不法投棄の担当ですからね」

 「帳簿一冊丸ごとではなくても、必要なページだけでもダメですか」伊刈は二瓶を見た。

 「どういうページですか」

 「ハリマもしくは東宥リサイクルとの取引がわかる書類です」

 「そこからは受けていないですね」二瓶が不愉快そうに否定した。

 「でも東宥リサイクルの帳簿には載っていましたよ。アウトカム・コモディティ・エクスプレスへの委託を仲介してリベートをキロ一円もらっていますね」

 「そんなことは聞いたこともないね。なんかの間違いだろう」二瓶はしらばっくれた。

 「ないならないでいいんです。それを帳簿で確認したいんです」

 「ないものは確認できんだろう」

 「いえ確認できます」

 「どうやって」

 「それは帳簿を拝見してからご説明します」

 「帳簿は出せんよ」

 「しょうがないですね。では見せてもらえる書類はなんですか」

 「マニフェストならいいよ。いつも見せてるし役所には見せる義務があるんだろう。犬咬市に見せるいわれはないが栃木県庁がいるからね」

 「それでは二年分お願いします」

 「はあ」二瓶は顔色を変えた。「あんたどれだけの量かわかってんのか」

 「もちろんです。でもその量が大事なんです。五十億円の売上高にふさわしい受注量かどうかマニフェストでボリュームを確認します。会計帳簿や計量台帳を拝見できれば確認するのは簡単なんですが、拝見できないとなればやむをえません」

 「あんた脅かすのか」

 「いいえ通常の検査です。栃木県だってやっていると思いますよ」

 「まあいい、やれるものならやってみなさい」

 二瓶の指示でマニフェスト綴り二年分が会議室に持ち込まれた。会議用テーブル十本がマニフェストで埋め尽くされた。

 伊刈はとっさの機転で初めての検査方法を試みた。マニフェスト綴りの重さを量り、そこから枚数を推定したのだ。搬入車両を四トン車、積載効率を五十パーセントと仮定してマニフェスト枚数から搬入量を推定し、受注単価をキロ二十五円として受注金額を推定した。伊刈の大胆なやり方で二年分数万枚のマニフェストの集計はたった一時間で終った。

 「二瓶社長、マニフェストの集計が出ました」

 「ほんとかよ」二瓶は驚いた顔をした。

 「ここにあるマニフェストから推定した受注金額は年間十億円です。誤差を考えても五十億円にはなりません」

 「あんた全然わかっていないよ。一廃や容リの受注はマニフェストがないだろう。それじゃ全然だめだよ」

 「産廃の受注額十億円という推定はどうですか」

 「もうちょっと多いよ。十五億円くらいだ」二瓶はうっかり口を滑らせた。

 「そうすると一廃と容リで三十五億円ということですね。一廃の受注額は周辺の市町村に確認すればわかります。容リの受注額は容リ協で調べられますね」

 「ちょっと待てよ、本気でそこまで調べようってのか」

 「決算書をお見せいただけないのでやむをえません」

 「見せれば調べないのか」二瓶はついに伊刈の術中にはまった。

 「決算書だけではだめです。総勘定元帳もお願いします」

 「決算書は見せてもいいが元帳はダメだ」

 「該当か所だけでもダメですか」

 「何を見たいか特定してくれるならその部分は見せてもいい」

 「わかりました。それじゃあ決算書からお願いします。マニフェストは検査が全部終るまでそのままにしておいてください」

 二瓶はこれ以上ない渋い顔で事務員に決算書を持ってくるように指示した。

 「三期分お願いします」伊刈が事務員の背中に言い添えた。

 栃木県庁はこんな厳しい検査を見たことがなかったのか、呆然と伊刈と二瓶のやりとりを見守っていた。前代未聞は伊刈の専売特許だったが、この日の検査こそほんとうに伊刈の交渉術と検査術の粋を結集した前代未聞の検査となった。

 検査は実に九時間に及び場外の田園地帯は真っ暗闇になった。最終的にはすべての数字がバランスし、帳簿にない取引すなわち不法投棄はないという結論になった。検査が終って階下に降りると、事務員全員が居残っていて、一斉に立ち上がって伊刈たちに敬礼をした。まるで検察の特捜かマル査の立ち入りを受けたような神妙な顔つきだった。

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