#_11 まだ使う馬鹿と用済みの馬鹿の件
ヨーロッパ最北端に位置する町、ホニングスヴォーグ。その町の北端には、断崖絶壁の切り立った海岸線から突き出す様に伸びる小さな岬が存在する。
北極大陸を除けば、人類が地に足を着けて辿り着ける極限地点。最北の岬、ノールカップ。
零下を大きく下回った快晴日の夕暮れにのみ、そのノールカップ岬から見える絶世の風景が存在するのだが……。
このドーラの外壁の上から見える風景は、驚く程それに酷似していた。
「……
厚さ一メートル程の外壁頂上部。高さ五十メートル以上はあろうかという巨大な石壁の上に吹く風は、地上の土臭い空気からは考えられない程に清涼で、強風と呼んでも差し支えない勢いで吹きつける上空の風を受けても不思議と恐怖は感じなかった。
何故それが比較的温暖なドーラで発生しているのか、その原因は理解出来なかったが、恐らく魔力や魔素など俺の知らない物質が大気に何らかの影響を及ぼしているのだろう。しかし眼前の光景には、そんな下らない細かな理屈など超越する程の圧倒的な迫力があった。
「うわぁ。綺麗な景色ですねっ」
隣には俺を連れて外壁に転移したセリアが立っていた。魔法を使った反動だろうか、彼女は少し荒くなった呼吸で興奮した様に感嘆の声をあげた。キラキラと輝いた濃紫の瞳が夕陽に反射して一層輝いて見える。
「絶景だな」
地平線に沈んで行く夕陽はやがて十字から一本の柱へと変わり、徐々に辺りには夜の帳が下りてくる。
足元を見る。高い外壁に囲まれたドーラの町はその壁によって陽の光が遮られ、外周部分は巨大な壁の影に覆われて漆黒の世界へと変わっていた。建物も、地面が何処にあるのかすら、既にその境界線が肉眼では分からない。
壁の外側を見下ろす。森林まで続く広大な平原には魔族が仮設した野営地が点在し、そこには焚き火の灯りが揺らめいている。それを囲む無数の影。恐らく魔族の姿だろう。薄暗く、はっきりとは目視出来ないが、街一つ包囲出来て当然と思える程度に彼等は犇めいていた。
「全部で二千程いるらしいです」
眼下の魔族を見下ろしていると、セリアがそう説明した。どうやら包囲している魔族連中の情報は既にある程度調べてあるらしい。
「……ドーラの悪魔と呼ばれる個体の情報はあるか?」
焚き火を囲む影の動きを眺めながらセリアに問い掛ける。彼女はこほんと小さく咳払いをして、それから記憶を思い出す様に、ゆっくりと語り出した。
「ドーラの悪魔、正式な名前は分かりませんけど、上位悪魔と聞いてます。推定
なるほど、その説明が本当ならたしかに手強い相手だ。国や勇者が手をこまねいているのも頷ける。ドーラは交易の重要拠点だし、魔王軍防衛の要衝でもあるが、王都からは比較的遠い位置にある。王国が大軍を動かして奪還に向かっても被害は軽微では済まないだろうし、その隙に王都を攻められたら目も当てられない。
そもそも、魔王軍との戦闘が起こっているのはドーラだけではないのだ。優先順位をつけるとしたら、この地の順位は低くはないが、決して高くもない。
要するに、ドーラは国から諦められたのだろう。労力と対価を天秤にかけ、王国は非情な決断を下した。多大なリスクとコストを払ってまで救う価値のある都市ではないと、そう判断した。
ーーその判断には概ね同意するが、俺にシワ寄せが来るのなら話は別だ。とんでもない迷惑、とばっちり。こんな大軍俺にどうしろと言うんだ。いや、どうにか出来るとしても何故俺なんだ、面倒臭い。
「そうか。分かっている情報はそれくらいか?」
地平線に日が沈む。海岸の波が引く様に、大地を照らしていた西日が彼方へと引いていく。
「えーっと、そうですね。他に目ぼしい情報は無かった……かな?」
セリアは虚空を見上げ、思案する様に首を傾げて唇に指先をあてる。その所作を暫く眺めた後、もう何も情報が出てこない事を確認してから俺は行動に移った。
彼女にゆっくりと近づき、背中を押す。まるで舞踏会で淑女をエスコートする紳士の様なスマートな動きで、セリアを外壁から突き落とす。
「……へっ!?」
セリアの身体が浮く。重力に従って倒れる。もう助からない角度にまで傾いた時、彼女が最期に発したのは拍子抜けするほど間の抜けた声だった。
「セリア、これは残念な事故だ」
外壁から滑り落ちる様に闇に消えていく彼女の姿を目で追いながら呟く。
落としたのは町側。恐らく直ぐに遺体は発見されるだろう。
彼女を合理的に処分するならこのタイミングをおいて他に無かったのだ。
行軍途中で殺れば勇者一行に敵性認定されてしまうし、かと言って仲間と合流されると機を逸する。事故に見せかけて処分するならこのタイミング。加えて、遺体が確実に発見されるであろう町側への落下が望ましい。
夜を待ったのはセリアの転移魔法が厄介だからだ。折角突き落としても転移で逃げられては骨折り損だし、殺し損ねれば後顧の憂いになる。夜の帳は彼女の視界を奪い、目視圏内へ跳ぶ
まして通常転移なんて倍の高さから落としても詠唱が間に合わないだろうし、それこそセリアが俺と同じ様に無詠唱でも使えない限りは、助かる術など無い。
俺の人生にほんの僅かでも危険を及ぼす輩は全て殺す。これが俺のやり方、俺の信仰だ。
足元に広がる闇色の世界を見下ろしながら大きく息を吐く。ーーこれで一人始末した。残るは勇者と、包帯女。戦力は互角。いや、こっちの駒が馬鹿な分だけ少し不利か。
「おい、お前。そこで何してる」
突然の呼び掛け。足元に意識を向けていた俺は、その声に驚き思わずバランスを崩した。
「……お前こそ、そこで何してる」
何とか体勢を立て直す。外壁で四つん這いになりながら視線を向ければ、そこに立っていたのは黒装束の男だった。
闇に溶ける黒衣。鼻から下を隠す様に首元に巻いた長いストールが風に靡いている。手には何やら長い筒。身の丈程ありそうなその長筒を肩に担いで、男は間合いの外で立ち止まる。
「俺か? 夜間警備だ。魔族共が壁を乗り越えて侵入しねえようにな。後は……まあ、迎えだ」
ぶっきらぼうに答える男。気が抜けた様な声色で、しかしその挙動には隙が無い。
「迎え? ガキに使いでも頼んでるのか?」
話しながら、膝をついて立ち上がる。目線は逸らさず、男を睨む。俺の警戒に気付いたのか、男は嘲笑めいた笑みを浮かべて話しだした。
「ガキじゃねえが……パーティメンバーのセリアって女だ。今は訳あって別行動してる。そろそろ戻ってくると思ったんで待ってたんだが……お前、何か知らねえか?」
ーーパーティメンバー? こいつ……勇者の仲間か? さっき突き落としたばかりだと言える訳もないが、知らないふりも後々厄介な事になりかねん。例えばベアトリクスとこの男が同時に現れたら……厄介だ。非常に厄介な事になる。
「ああ、セリアの仲間か。彼女なら丁度、今……落ちた所だ」
「は?」
男が虚を衝かれた様に瞠目して口を開ける。ーー妥当な反応だ。俺がそっちの立場でも、恐らくそうなる。
「……悼ましい事故だった。風に煽られて今さっき落ちたばかりだ。悔やんでも悔やみきれん」
ーーやばい。笑いそうだ。沈痛な面持ちで語らなければならない場面だが、この状況で騙るのはシュール過ぎる。
「お前、それマジで言ってんのか?」
男の身体に力が入る。少しの緊張と、寒気がする程の殺気を感じる。ーー強い。こいつ、かなりやる。
「残念だが、事実だ。一緒に此処まで旅をして来た仲だったからな。助けてやりたかったが、手が……届かなかった」
さも悔しそうに拳を握り込む。唇を噛み締め、視線を外壁の下に向ける。
「……マジかよ。いや、待て。てことはお前が
ーー異端者? ほう。そうか、なるほど。緊急事態に焦って口を滑らせたな。良い情報だ、恩に着る。お前を殺すのはなるべく最後にしてやろう。
「異端者? 俺はただの旅人だ。それより、助けに行かなくていいのか? 運が良ければまだ息があるかも知れん」
多分、いや絶対死んでると思うが。
「あ、ああ。そうか、そうだな。とりあえずお前の事は後回しだ。後で話を聞かせてもらう。逃げんなよ?」
俺の発言に男が我に返った様子で返答する。即座に踵を返し、外壁を駆けて行く。恐らく、向こうの方に昇降設備があるのだろう。
「おい、待て! 名前を聞いておこう!」
闇に溶けて行く後ろ姿に声をかける。
「ブラムだ。ブラム・ホークアイ!
ブラムの姿が闇に消える。その足音が聞こえなくなるまでそれを見送り、俺はピアスに魔力を通した。
『ーー私だ。要件を聞こう』
今日は繋がるのがやけに早い。さてはこいつ、暇してやがったな。俺がこんなに勤勉に働いているというのに、全く不公平だ。
「とりあえず一人始末した。追加の依頼だ。至急調べて欲しい男がいる。ブラム・ホークアイ……恐らく、
外壁から外を見る。漆黒の闇に浮かんだ魔族の焚き火が夜空に輝く星の様に点々と輝いている。
一つ、激しく燃え盛る炎が見えた。篝火が倒れたりしたのだろうか、それは辺りに火の粉を撒き散らしながら平原に延焼し、徐々に勢いを増していた。その方角から聞こえてくるのは怒号と金属のぶつかり合う音。暗闇の中で、炎に紅く照らされた一つの影が舞っていた。
ーー馬鹿か、あいつは。本当に魔族に突っ込むとは……予想外だった。後で迎えに行く予定だったが……しょうがない。向こうの勇者と殺り合う前に、まずは俺の盾を回収しにいくとしよう。
俺は外壁に帰還用の媒体として指環を一つ置き、馬鹿を回収する為に空間を跳んだ。
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