#_10 街道と魔物について
「……セリアの情報をくれ、大至急だ」
月夜に照らされた街道で視線が交錯する中、彼女を睨んだままピアスの向こう側のベネディクトを急かす。
その間もセリアは微動だにせず、ただこちらを見つめていた。
『こちらで調べて分かったのは、生前の彼女が有能な魔導師だった事と、死霊魔法を得意としていた事くらいだ。残念だが君の期待には添えんな』
ピアスから聞こえるベネディクトの声が遠く感じる。相変わらず視線は交錯していた。闇夜に佇むセリアは、変わらず穏やかな微笑みを浮かべていた。
「いや、今一番必要な情報だった。恩にきる」
それだけ言って、通信を遮断する。ーーアイリスはどこだ。まさか、既に殺られたか?
ぞっとしない憶測が脳裏を過る。
「……セリア。どうした、こんな夜更けに」
ゆっくりと、間合いを詰める。ーー武器は無い。魔導師同士の戦闘は距離を保って魔法を撃ち合うのが常道だが、セリアの身体能力はゴミだ。間合いを詰めればその分こちらが有利になる。
「あ、えっと、ちょっとお花を摘みに」
ーーお花を摘みに。まさか本当に花の採取を目的としている訳では無いだろう。要するに、排泄の暗喩だ。
そのとぼけた反応に思わず肩の力が抜けそうになるが、気を引き締めて警戒する。
「そうか。……夜は良いな、闇の魔法が真価を発揮する」
セリアを見つめたまま、天空を指差す。彼女はまるで警戒する素振りもなく、それに釣られて満天の夜空を見上げた。
「はい、とっても綺麗です。力が漲ります」
濃紫の瞳が星を反射して白く煌めく。キョロキョロと視線を虚空に彷徨わせるセリアのその所作からは、微塵も敵意を感じない。ーーこれは、素か? 演技なら大したタマだが、そんな腹芸が出来る様なタイプには見えないな。
「……ヒッチコック。死霊魔法が本懐か?」
慎重に、出方を探る。その一挙手一投足を見落とさない様に、一片の隙すら見せぬ様に。
「ヒッチコック? なんですか、それ。私、死霊魔法は使えませんけど」
掛けられた言葉に反応して、セリアが視線をこちらに戻す。訝しげな、不安を孕んだ臆病な瞳。ーー自分の名前を知らない? いや、それも演技か?
「お前はなぜ俺達に接触した。何が目的だ」
端的に、核心を突く。その質問に彼女は眉尻を下げ、困った様な表情を浮かべた。
「それは、言えません。言っちゃダメだって……、て言うか……」
セリアが腹の辺りで拳を握りしめる。意を決した様な、覚悟を決めた様な表情。
「なんだ?」
努めて冷静に問い返す。悟られない様に魔力を練り上げ、障壁の発動準備を整える。
「……ごめんなさい、漏れそうです!」
ーーは? 次の瞬間、セリアが駆け出す。一瞬身構えたものの、彼女はそのまま街道を横切り草むらに飛び込んで消えた。
……マジか。マジでトイレがしたかったのか、この女。拍子抜けだ。虚仮にされた気さえするが、本人にはそんな意図すら無いのだろう。
一気に力が抜けた俺は、眉間を指で押さえながらふらふらと寝床に舞い戻った。
ーーセリアと、一年前に死んだ宮廷魔導師は別人なのだろうか。自分のファミリーネームも知らず、死霊魔法も使えないと言う彼女の話を信じるとすれば、到底本人とは思えないが。……黒髪に濃紫の瞳。この大陸でそれは極端に珍しい色合いでは無いものの、石を投げれば当たるほどありふれた容姿でも無い。こんな偶然、果たして存在するのか?
考えるほど坩堝に嵌る思考に嫌気が差して瞳を閉じる。暫くすると隣のハンモックから気配を感じた。恐らくセリアが戻ったのだろう。薄目を開いてその影を確認し、異常が無い事を確かめてから再び瞼を下ろす。
ーー面倒だ。旅に出てからと言うもの、日ごとに負担が増えている気がする。完全に警戒が解けない以上、安心して眠る事すら出来ない。
どれだけの時間そうしていたのだろう。閉じた視界に映る完全な暗闇に心を溶かしながら、ただ陶然とその色味の中で思考を巡らせる。結局一睡も出来ないまま、気付けば夜は明けようとしていた。
・
この世界の街道は殆ど獣道に近い。馬車がやっと通れる程の横幅しか無く、轍の中央には雑草が生えている。一昔前の日本の田園地帯でもよく見た光景だ。当然、徒歩での移動もわざわざ轍の真ん中を歩く者はおらず、輪を掛けて轍が鮮明になってゆく。詰まる所、土と砂利が露出した二本の小道が延々と伸びる獣道。それがこの世界の街道である。
王都や巨大都市近辺ならまだしも、中規模都市間の街道はその両脇に平原や森が広がるばかりで、原生林の中を突っ切る街道を歩けば頻繁に魔物と遭遇する。
多種多様な姿形をした魔物の出現は、最初の三日は楽しかった。身の丈程もある巨大な蛙や、六本足の狼の群れ。極彩色の巨大な蛇には驚かされたが、火炙りにすると瞬く間に蒲焼きに変わった。警戒色の生き物は毒にだけ気をつけていれば攻撃力自体は大した事が無いらしい。アイリスは馬鹿だが、冒険者としての知恵袋は中々役に立った。
ちなみにその奇抜な蛇は
「ーーフレイム・アロー」
街道脇から飛び出して来た角の生えた兎に目掛けて炎の矢を放つ。中空に顕現した聖霊の奇蹟は瞬く間に兎を貫き、それを火だるまにした。
「ちょっと……食べられる獲物は出来れば燃やさないでもらえませんか?」
先頭を歩いていたアイリスが不服そうに振り返って言う。
ーーだったらお前が殺ってくれ。
換装魔法で剣の出し入れが可能になってから俺の負担が増大している。剣を取り出す一瞬のタイムラグのせいだ。ただでさえ馬鹿なのに戦闘でも使えなくなればこいつはゴミだ。ただでさえ馬鹿なのに。
セリアが同行してから無詠唱は使えなくなった。別に使っても良いが、それは向こうの勇者パーティに情報を与える事になる。それが今後の俺の生存率を下げる要因になる可能性を考慮すると、恥ずかしい単語を唱えた方がまだマシだと判断した。……フレイム・アロー。我ながら良く言えたものだ。唱える度に顔が熱くなる。
俺の心労とは裏腹に行軍は至って順調で、最後の町を出てから二日が過ぎたのだが、既にドーラまでは半日程度の距離にまで来ている。この辺りから要塞都市を包囲する魔族軍の斥候も警戒しなければならないだろう。
使えない馬鹿二人を引き連れたパーティでどうやって警戒すれば良いのかは分からないが、出来る限り周囲に気を配っている。セリアの話では今歩いている森を抜ければ要塞都市の外壁が遠くに見えてくるらしい。
外壁が見えればセリアの出番だ。
「あっ! 見えました!」
街道を歩き続けた日暮れ間近の頃、先頭を歩いていたセリアが突然声を上げた。前方に目を凝らせば、森の向こうに光が見える。木々が途切れ、その先に拓けた空間があるのだろう。
「……とりあえずデカい声はやめろ」
緊張感のかけらもない無い馬鹿に言葉で釘を刺してからゆっくりと歩を進める。ーーこれ以上俺の足を引っ張るな。次に大声を出せば今度は釘以外の、もっと鋭利な物を刺してやる。
気配を殺して森を抜けると、そこには広大な平原が広がっていた。その向こうに聳える巨大な外壁。遠目からも王城並みの高さと分かる威容の壁が視界に映った。
ーー圧巻だな。……要塞都市か。思っていた以上の規模だ。大きな町一つ、丸ごと壁に囲まれている。
その威圧感に思わず息を呑む。魔族に包囲され、外界と隔絶されてからひと月余りが経過していると聞いていたが……なるほど。これなら未だ陥落していないのも納得出来る。
「セリア。ここから外壁の頂上まで跳べるか?」
周囲に警戒しながら、問い掛ける。
「え、三人は無理です、キツイです。二人ならなんとか……」
なるほど。問題ない。
「アイリス、良かったな。存分に戦えるぞ。俺とセリアは先に行く。日が暮れるまでにはお前も来いよ」
「……え?」
隣で外壁を眺めていたセリアが素っ頓狂な声をあげる。まるで悪魔に遭遇した様な、狼狽した様子で俺を見る。
「さあセリア、さっさと行くぞ。魔物の肉はもう飽きた。俺は早く酒が呑みたい」
使えない肉壁に用は無い。自力でなんとかしろ。慌てふためくアイリスを無視して、俺とセリアは空間を跳んだ。
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