#_9 セリア・ヒッチコックの件
宿に戻ると二人は既に表の通りに立っていた。俺の気苦労など知る由も無く、何やらご機嫌な様子ではしゃぐアイリスの姿を見ると苛立ちが募った。
・
「ーー換装魔法か」
「ええ、セリアが装備に魔法を掛けてくれました。転移魔法の応用だそうです」
話を聞くと、それはアイリスの甲冑に関わる内容だった。元々甲冑姿では徒歩移動が大変だと良く愚痴っていたし、それをセリアにも溢したのだろう。
見せびらかす様に右手に嵌めた銀の指環を掲げ、アイリスが得意げに説明を始める。
「魔力を流すと一瞬で甲冑と剣が召喚出来ます。これで移動が楽になりました」
そう言って頬を緩ませる彼女は、パーカーの様な腰上丈の短いローブにホットパンツという余りにもラフ過ぎる格好で胸を張っていた。ーーご機嫌なのは結構だが、自慢気にする意味がわからない。全てセリアのお陰だろうに。
「セリア、ありがとう。俺からも礼を言おう」
アイリスを無視してセリアに礼を言う。何処か照れた様な仕草でセリアがそれに頷いた。
「いえいえ。色々助けて頂いてますからこれくらいは……」
「そうか。ところで、ダンの装備にも換装魔法を掛けたりしているのか?」
「もちろんです。勇者様は大剣使いなので……って……え?」
なるほど。向こうは大剣を操るらしい。そして、セリアは本物の馬鹿か、もしくは大した演技派らしい。
「どうした? 名前に関しては別に隠さなくても良いと言われてるだろ?」
「ま、まあ、そうですけど……」
なるほど。隠せと言われている案件もあるらしい。そして街道で倒れていたのはやはり偶然では無いらしい。ーーやりやすい。とてもやりやすい。ベアトリクスとは天と地だ。
「何の話です?」
セリアの馬鹿の子っぷりに安堵していると、アイリスが口を挟んでくる。ーーいかんいかん。向こうの部下は馬鹿と利口で差し引きゼロだが、こちらはマイナスだ。この程度で安心してはならない。
彼女の顔を見ると身が引き締まる思いに駆られる。
「さあな、セリアに聞け。そんな事よりドーラまで三日は掛かる。さっさと出発するぞ」
当然セリアをこちらの戦力に数えてはいないが、現状は馬鹿と馬鹿を引き連れての行軍だ。今まで以上の注意が必要となるだろう。
さっさと有能な新メンバーを加えたいものである。
・
夜、今後の動向について考えを巡らせると大きな溜め息が出た。時刻は草木も寝静まる丑三つ時。街道沿いの木に仮設したハンモックに揺られながら寝息を立てるセリアを見ると、呆れを通り越して怒りすら湧いてくる。
ドーラまでは三日の道程。距離的には当初の日程通りに進んでいるが、想定外の事もあった。
結論を言うと、セリアがゴミだった。彼女はどうやら転移系の魔法に特化した魔導師らしい。この世界の普通を知らなかった俺にも非があるのだが、基本的に普通の魔導師は単一属性しか扱えず、複数属性持ちはダブルやトリプルと呼ばれる希少な存在みたいだ。
セリアは転移を含む闇属性の魔導師で、とは言え闇魔法はあまり使えないらしく、魔物との戦闘では単なるお荷物と化していた。
そもそも、転移魔法は制約が多い。術式の複雑さに加えて、転移先に専用の媒体を設置しなければ思った所にも飛べないピーキーな魔法だ。
案の定ドーラに媒体を置いていないと言うセリアの言葉をそのまま信じるなら、到着するまで彼女はクソの役にも立たないゴミ屑以下のお荷物である。
向こうは何故セリアを俺達に押し付けたのだろうか。懐に潜り込むつもりなら身分は隠すべきだろうし、暗殺を企むにしろ彼女の能力では不可能に思える。使える魔法を伏せている可能性も考慮してはみたが、セリアの身体能力は間違いなく下の下だ。それは今日の行軍で嫌と言うほど理解した。幾ら魔法を隠していたとしても、それで俺を殺せるとは思えない。
そもそも、俺を勇者だと知っているのかも疑問が残る。俺はアイリス以外にそれを言っていないし、ベネディクトも迂闊に口を滑らす様な男では無い。向こうの意図が分からない以上、下手にこちらから探るのは悪手に思える。暫くは向こうの出方を窺いつつ、現状維持が妥当だろうか。
虫の鳴き声だけが響く静謐な暗闇でそんな思案に暮れていると、突然ピアスが震えた。俺はハンモックから飛び降り、寝息を立てる二人から離れて通信を繋ぐ。
「何時だと思ってる。勇者はお前が思うほど楽な仕事じゃないんだが」
半日前に言われた台詞をそっくりそのまま返す。
『そうか、どうでもいい。そんな事より奴等の調べがついたんだがな』
ベネディクトに皮肉を言えば、いつも同等の皮肉で返ってくる。それにどこか同族嫌悪を感じて舌打ちを吐いた。
「……聞こう」
早朝の通信でベネディクトに頼んだ内容。それは、向こうの勇者パーティの情報収集である。
ダン、ベアトリクス、セリア。名前は一通り把握出来ているし、何よりセリアとベアトリクスはクセが強い。
全身包帯の修道女と、若い女の転移魔導師。幾ら大陸広しと言えど、そう何人にも共通する性質では無い。と言うか、何人も居たら俺はこの世界の常識を疑う。調べれば直ぐに詳細は掴める筈だと考えた。そしてその推測を肯定する様に、ベネディクトが語り出す。
『まず、ベアトリクスだが。彼女は間違いなくイクセリオ教の修道女だ。一応治癒術師らしいのだが、使える魔法は治癒の他に火系統もあるらしい』
「他には? 親や子供、弱点になりそうな情報は何か無いのか」
ベアトリクスは、極めて有能だ。治癒の腕前、火魔法の腕前は知らぬまでも、おつむの出来は上々に思える。賢い奴はそれだけで優秀だ。彼女は敵にすれば厄介な相手である。が、それは敵にすればの話だ。ーー戦闘は最終手段。
人は、特に女は、親や子供の情に弱い。そこを突ければ案外脆い。誰も殺さずに済む、勇者らしい平和的解決方法だ。
『……君は、つくづく悪魔の様な男だな』
ピアスの向こう側からベアトリクスの呆れの混じった声が聞こえた。
「お前にだけは言われたく無いな。どうせ調べたんだろ?」
宵闇に包まれた街道。人の気配を感じない暗闇は、昔から不思議と心が凪ぐ。それが心と似た色をしているからだろうか。そんな事をふと考えると自嘲めいた嗤いが溢れた。
『彼女は孤児院の出身だ。親族は居ない』
ーーやっぱり調べてんじゃねえか。悪魔はどっちだ。……いや、お互い様か。
「もっと有益な情報をくれ。脅す方法なり、殺す方法なり。俺はベアトリクスを研究したい訳じゃない。必要なのは使える情報だけだ」
脅せないなら殺すしかない。それがいつになるかは分からんが、弱点の一つでも知っていればその成功率は跳ね上がる。重要なのは、戦力より情報。少なくとも俺はそう考えている。
『……孤児院で福音派の幹部に見出され、十歳にして教会本部の掃討局へと入局した。それが彼女の人生だ。隙は見当たらん。望むなら詳しい来歴でも語るが』
「要らん。何度も言わせるな。俺はベアトリクスを研究したい訳じゃない」
福音派の掃討局。所謂、ごりごりの強硬派だ。大派閥であるが故に目を瞑られているものの、福音派は過激派に近い。宗教は違うが、元の世界の最大宗教にも福音派なる派閥は存在する。例を挙げるなら某大国の大統領も福音派だ。カードゲームみたいな名前のブロンド野郎だが、奴の強行姿勢を見ればその過激っぷりが良く分かるだろう。どんな宗教だろうと、福音主義は頭が固く狭量なケースが多い。広義で言えばプロテスタントに該当するが、原理主義に偏るほどその思想の危険性は増大する。
ーーなるほど。それなら包帯を信仰と呼ぶ意味不明の思想にも納得が出来る。最早その信仰は狂信者に近いのかも知れん。
情報から推測を交え、その本質を理解する。行動原理を理解する作業は相手の今後の行動予測にも役立つ。脳内でベアトリクスを狂信的な信徒と位置づけ、その思想から考えられる今後の動向について思案を巡らせていると、ベネディクトが言う。
『では、次はセリアの情報だ』
その言葉に一度頭をリセットし、ピアスに耳を傾ける。そして、彼の次の発言で、俺は大いに混乱した。
『……彼女は、既に死んでいる』
「は?」
既に死んでいる。一瞬冗談かとも思ったが、ベネディクトはそんな下らないふざけた冗談を言う男ではない。仮にそれが冗談だったなら、俺が最優先で殺すべき相手は勇者パーティでは無くなるだろう。そんな馬鹿の下では働けない。
ーーセリアは、死なない。
唐突に思い出したのは、冒険者斡旋所でベアトリクスが発した言葉。あの時は、それが売り言葉に買い言葉で出た只の方便かと思って流したが、今更になってヤケに引っかかる。
『セリア・ヒッチコック。一年前に若くして死んだ宮廷魔導師だ。黒髪に濃紫の瞳。どうだ、特徴は一致しているか?』
「……ああ、合ってる」
呆然と、そう答える。
満天の星空に照らされた闇夜の街道。通信に集中していたからだろうか、周囲への警戒が薄れていた。突然、何かの気配を感じて視線を向けた。
彼女が居た。闇に溶ける黒髪、濃紫の瞳。
月夜に照らされたセリアが、そこに立っていた。
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