#_8 情報弱者と人材不足の件



 俺はどこまでも現実主義者だが、オカルトやジンクスを信じるちょっとお茶目な一面もある。そう自負している。

 例えば運気やツキといった幸不幸の連続も、或いは秩序立った何かしらの概念に沿って起こる偏りではないだろうかと、そう感じる事があるのだ。

 とは言え、ラッキカラーを身につけたり、ミサンガを結んでみたり、神社の絵馬に願いを書くのは馬鹿のやる事だ。咎めはしないが、それに意味はない。決して、確実に、確定的明らかに、意味がない。

 俺は運気やツキをもっと数学的に解釈し、一種の偏りだと考えている。例えばサイコロを百二十回転がしたとして全ての目が二十回ずつ出現する確率は極めて低い。必ずと言っていい程そこには多少の偏りが生じる。

 俯瞰的に、客観的に、論理的に人生の運気について考察すると、そこに起こる幸不幸の連続も賽の目と同じ様に世界を形作る何かしらの乱数によって引き起こされた一種の偏りなのではないかと思えてくるのだ。


 異世界に転移してベネディクトにドーラの悪魔の討伐を依頼されてからと言うもの、俺の運気は偏っている。言わずとも、悪い方にである。

 

 だから俺は驚かなかった。安宿のベッドで悪夢にうなされても、通りで続けざまに黒猫が横切っても、ブーツの紐が派手に千切れても、冒険者斡旋所でミイラの様に全身包帯を巻いたとびきりイケてる修道女シスターに出会っても、俺は驚かなかった。


 ーーああ、そういう偏りの時期なんだな、と。悪い目が連続する流れなんだな、と。どこか諦めにも似た感覚で、そう思ったのである。









 安宿の固いベッドは最悪だった。背中が妙に痛いし、シーツはカビ臭いし、この環境では訳のわからない悪夢にうなされても当然の様に思えた。逆に悪夢を見たお陰で早起き出来たのだから幸運と捉える事にした。そうでもしないとやっていられないからだ。

 安宿のシャワーは最高だった。錆臭い冷水しか出ないワイルドなそのシャワーは、俺の寝惚けた頭を秒速で覚醒させてくれた。ご機嫌な朝である。


 ーーアイリスとセリアが起きる前に冒険者斡旋所に顔を出そう。早朝の太陽を見るとそんな前向きな思考が働いた。

 朝一で依頼を受けてくれる冒険者が見つかるとは思えなかったが、リスクを減らす為の労力なら徒労に終わろうとも最善を尽くすべきである。そんな合理的な考えが俺の足を動かした。


 黒猫は三度現れた。同じ個体なのかは知らないが、全て俺の目の前を横切っていった。黒はそこそこ好きな色だ。今日のラッキカラーだと思い込む事にした。

 ブーツの紐が千切れたお陰で、屈んだ拍子に道端に咲く花の美しさに気付けた。確か名前は彼岸花。花言葉なんて知らないが、こんな素敵な花なのだから、きっと小洒落た意味合いがあるのだろう。


 斡旋所の扉を開くと、いつも通りの淀んだ空気が出迎えてくれた。酒精と汗の混じり合ったご機嫌な匂いに舌打ちを吐き、中を覗くとそこには一人の修道女シスターが立っていた。

 指先から顔、頭部に至るまで全身に包帯を巻き付けた一風変わったシスターだった。彼女がイクセリオ教の修道女を示す濃紺の修道服を着ていなかったら、俺は彼女をアンデッド系のモンスターだと勘違いしていたかも知れない。


 徐ろにシスターが振り返る。包帯が巻かれた顔からはその表情の機微は分からなかったが、血の様に紅い瞳が恐ろしくも美しかった。

 彼女は掲示板から剥がした一枚の依頼書を俺に差し出し、何か説法めいた台詞を呟いた。


「狭き門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかで、これに入る愚者は多い」


「なるほど。その通りだ」


 ーー意味が分からない。いきなり現れて、意味不明な説法を説くシスター。

 その外見から頭がおかしい事は容易に推察出来た。

 取り敢えずまともに相手をするのは馬鹿らしい。こういう相手は適当に同意しておくに限る。そう判断した。


「ドーラの悪魔は、手強い」


 紅い瞳はその間もずっと俺の目を見つめていた。いい加減な対応に怒りもせず、ただ真っ直ぐに見つめていた。

 手元を見る。シスターの手にある依頼書は、昨日俺が掲示板に貼り付けておいた依頼書だった。ドーラまでの斥候を求める短い文章。筆跡も、サインも、確かに俺のものだった。


「……お前、何者だ」


 一歩、後ろに下がる。武器の類いは見当たらなかったが、彼我の間合いがあまりに近過ぎた。せめて魔力障壁が間に合う距離へと、咄嗟に後退する。


「私は、神の剣。ダンの遣い」


 神。その修道服から察するに、それは運命神イクセリオを指しているのだろう。


「ダンとは誰の事だ。それに、その包帯……それは怪我か?」


 明らかに警戒すべき女だ。名前も知らない筈の俺に、その依頼書を見せる意味。そこに、このシスターの計り知れない気味の悪さを感じた。


「勇者、ダン。いずれ世界を救う者。異世界より来たりし、救世の徒。ーー案ずるな。これは怪我では無い、信仰だ」


「そうか。それはまた、ご苦労だな。敬虔なシスターに神のご加護があらん事を」


 彼女の言葉に心臓が跳ねた。ーー勇者……ダンと言うのか。

 まだ捕捉すら出来ていないその男が、既に俺を捕捉している。その現実に身震いした。

 悟られぬ様、当たり障りの無い返事だけを返す。全身の包帯を信仰と呼ぶファンキーな女との会話が、寝起きの神経を異常な速度で擦り減らす。


「異教徒が軽々に姉妹シスターと呼ぶな。私は、ベアトリクス。いずれまた会う事になる」


 俺の警戒など知らぬ素振りで彼女が真横を通り過ぎる。依頼書を俺に手渡し、斡旋所の扉に手を掛けた所で彼女は名乗った。ーーベアトリクス。向こうの勇者はなかなか愉快な仲間に恵まれているらしい。


「待て。……セリアはどうする? 彼女を見殺しにする気か?」


 立ち去ろうとするベアトリクスを呼び止める。無論、今はセリアに命の危険など無い。含みを持たせた言い回しで、何を何処まで把握しているのか測りたかった。


「セリアは、死なない。暫くお前達に預ける」


 ーーお前達……か。アイリスの存在も知っているのか。若しくはカマをかけているだけか。

 ベアトリクスが包帯の上から頬を掻く。包帯が巻かれた指先で、包帯に隠された頬に爪を立てる。その仕草が何とも不気味に感じた。


「勇者のお連れ様だろ? 一緒に連れて帰った方が良いんじゃないのか、間に合わなくなるかもしれない」


 少しだけ、こちらの情報を晒す。誤解を招く言い回し。何を何処まで知っているのか悟られない様に、何処までも知っている素振りで彼女に尋ねる。

 その問い掛けに、ベアトリクスは嗤った。包帯の上からでも分かるほど口角を異常に吊り上げ、歪な笑みを浮かべて言った。


「そう、セリアは勇者の連れ。だからお前達に、暫く預ける」


 ああ、畜生。やりにくい女だ。感情的な女は苦手だが、こうも聡い女は扱い辛い。仲間に居れば嫌いじゃないが、敵にすると一番厄介なタイプだ。ーー何を何処まで知っている? 俺が、勇者だと……知っているのか?


「そうか。よく分からんが暫く預ろう。直ぐに届ける。ドーラから離れるなよ」


「……承知した」


 取り敢えず、勇者一行がドーラに滞在している事は把握した。


「ああ、そうだ。忘れていた。コレを預けたい」


 そう言って懐から取り出した物体をベアトリクスに差し出す。黄金より金色に輝くコンチョ、金剛石オリハルコンの飾りボタンを彼女に見せる。


「……それは、セリアの物だ」


 彼女は紅い瞳を胡乱げに細め、扉に掛けていた手を引き戻してこちらへ身体を向き直した。


「いや、実はな。道端に倒れていた彼女を介抱した礼に貰ったんだが、見ての通り高価過ぎてな。……気が引けるんだよ。本人に突き返す訳にもいかないし、お前から頃合いを見て返してやってくれないか?」


 困った様に、呆れた様に眉を寄せ、苦笑いを浮かべながらそう嘯く。……暫くの沈黙。窺う様な目つきで俺を見つめるベアトリクスに、素知らぬふりでコンチョを押し付ける。


「……承知した。預ろう」


「ああ、助かるよ」


 お前らだけが俺を捕捉している現状は癪だからな。ーー金剛石オリハルコンは惜しいが、惜し過ぎるが……これで、対等だ。





 コンチョを受け取ったベアトリクスが、斡旋所から立ち去った後。俺はピアスに魔力を流し、気に入らない上司へと連絡を入れた。


『……何時だと思っている。私は君が思うほど暇ではないのだが』


「そうか、どうでもいい。それより一つ頼みがあるーー」


 現状はこちらが圧倒的に情報弱者らしいし、優秀そうな向こうの部下に比べてウチの部下は頭が悪いし、状況は最悪に近い。

 アイリスは俺を気に入らない上司だと思っている様だが、そんな俺にだって気に入らない上司がいる。


 世界が変わっても中間管理職の辛さは変わらないらしい。その立場と苦労に苦悩しながら、それでも上司への報連相は欠かさない。

 我ながら、俺は中間管理職の鏡である。

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