#_6 アイリスが馬鹿な件





 俺は性善説を信じない。人は生まれる前から多かれ少なかれ心に咎を持つ醜い生き物だ。その証拠に、俺は生まれてこのかた一点の曇りもない透き通った心を持つ人間を見た事が無い。仮にそんな人間が居たとしたら、そいつはとんでもない馬鹿だろう。

 そう、善人とは愚者。俺の中で、善とは愚である。一般的に善行とは、自らを省みずに他人に尽くす行為を指すが、何のメリットも無い真の自己犠牲は単なる馬鹿である。

 勿論、被災地に無償の援助を行なったり、難民に施しをする慈善団体には頭が下がるが、それを賢い選択とは思わない。


 情けは人の為ならず。そんな諺がある。他人への施しは回り回って自分へ返ってくる。だから他人に尽くしなさい。そんな意味の諺だ。ーーそれは果たして無償の施しだろうか。その行いが何倍にもなって自らに返って来る事をほんの僅かでも期待している時点で、それは無償では無いだろう。

 そして、返って来る事を期待して行動するのであれば、より返って来る可能性の高い相手にその労力を費やすべきである。その方が、合理的だからだ。

 中途半端な気持ちで行なう施しは偽善であり、相対的に見てそれは馬鹿な行動としか言えない。

 例えばビジネスだって言わば施しだ。パン屋が客にパンを与える。その善行は、客がそれに応じた対価を支払う事を前提とした施しなのだ。

 ならば、パンを与える相手はより裕福な者の方が好ましい。貧乏人にパンを与えても対価が得られる保証は無いし、先の商売を見据えても、上客になり得る可能性は低い。

 人生は有限だ。労力も有限だ。それを有効に使う事こそ賢い選択だ。


 故に、俺は思う。……アイリスは、馬鹿であると。









「何をしている」


 要塞都市ドーラまでは、後三日もあれば着くだろう。すれ違った旅商に聞けば、もう暫く行った先に小さな町があるらしい。小さいながらも宿屋は何軒か営業しているらしいし、冒険者斡旋所もあると聞いた。そこで斥候でも雇えば万事問題なくドーラの下調べが出来る。


 ーーだから、そこの行き倒れの相手をする必要は無い筈だ。


「何って、見ればわかりませんか、介抱です。貴方も手が空いてるなら手伝って下さい」


 見下ろした視線の先。馬車の轍が残る細い街道に行き倒れたローブの女。それを抱え起こす様に、アイリスは道端にしゃがみこんでいた。


「知り合いか?」


 念の為、確認する。


「いえ。知りませんが、どうやら魔導師のようです」


 傍らに転がった長杖を見て、アイリスが答える。

 ーーどうでもいい。魔導師だろうが聖女だろうが、助ける義理は特に無い。もっとも、聖女であれば助けた見返りが期待出来るが。


「そうか。……俺は先に町へ行く。日が暮れるまでにはお前も来いよ」


 俺とアイリスは現状パーティだが、仲間では無い。町までもう少しなのだから戦闘の危険は無いし、取り敢えず盾役タンクは今要らない。

 此処までの数日間、アイリスの剣の腕前と、盾役タンクとしての有用性には助けられたが、だからと言って彼女の偽善に付き合う義理は無い。

 俺は端的に用件を伝えてその横を素通りする。


「ちょっと待って下さい! 魔法で、治せませんか?」


 アイリスの横を通り過ぎ、二、三歩進んだ所で、彼女が声をあげた。苛ついた様な、少し怒気を孕んだ声色。

 怒っている理由も、その性格も、俺は彼女の言わんとする事を充分理解しているが、共感はしない。この弱肉強食の世界で、その性格は得じゃない。


「治せるか治せないかで言えば、治せるな」


 自慢じゃないが、俺は全属性の魔法を使える。当然、術者の少ないニッチな特殊属性なんかは知らないし、知らないのだから使えないが、その属性の魔法とそれを司る聖霊さえ分かれば練習も必要なく即座に使える。魔導師は基本的に、祈りブレスの伝導率の関係で苦手属性や使えない属性があるらしいのだが、俺の祈りブレスはかなり特殊だ。伝導率なんて関係無い。

 中でも治癒系の魔法は最重要と言っても過言ではないし、リスクを減らす為に一番初めに覚えた魔法である。使えない訳がない。


 何を勘違いしたのか、俺の返答に安堵した様に表情を和らげたアイリスが口を開く。


「そうですか、良かった。助かりました。では直ぐにお願いします。見た所かなり衰弱しているので」


「そうか。それは……気の毒だな」


 可哀想に。顔色は悪いが、その肌の質感やシワの具合などから恐らく十代後半から二十代くらいだろうか。

 行き倒れた理由は知らんが、運が悪かったな。まだ若いのに。


「気の、毒? 何を言っているのですか、治せるんですよね?」


 俺の感想に眉を顰め、アイリスが言う。ーー面倒な奴だ。不要な説明をさせる気らしい。


「アイリス。魔力は、有限だ」


 端的に、理屈を説く。それで理解してくれれば良いのだが。無駄な説明は効率的じゃない。口を開くのも面倒だ。


 人の魔力は有限である。その才能によって内包する魔力の量に差異はあるものの、無限の魔力を持つ生物は存在しない。俺は運良く魔力が人より幾分多いみたいだが、それでも治癒魔法に換算すると、最上級を百発ほど使えば空になる。

 使えない人間から見れば魔法は奇蹟の術に映るだろうが、単なる奇蹟では無いのだ。コストが生じる有限の力は、無償で使うものでは無い。


「それくらい知ってます。しかし、治癒が無ければこの方は助かりません。貴方は一回の治癒で消耗するほど魔力が少ないのですか? 森の魔物にはあんなに魔法で攻撃していたのに」


 語気を強めたアイリスの目つきが鋭いものへと変わる。威圧の篭った雰囲気で、さも正論の様に偽善を説く。


「魔物は攻撃してくるからな。殺すに限る。だが、その女を放っておいても俺に不利益は無い。確かに治癒魔法一回如きで魔力が尽きはしないが、確実に減る。魔力の減少は俺の生存率を下げる。それが例えほんの僅かな魔力でも、無駄な事に使うのは非合理だ。その女は他人だ。身なりを見るに、助けた所で見返りも期待出来ん。助ける価値は無い」


 面倒だ。結局長々と説明する羽目になった。


「……貴方、それでも人間ですか」


 知らねえよ。お前の物差しで俺を計るな。お前の常識は俺の非常識だ。勝手に押し付けるな、暑苦しい。救って欲しいなら代価を払え。その女が払わないなら、代わりに自分が払えばいいだろう。


「知らん。なんとでも言え。助ける価値があるなら証明しろ。俺を納得させろ。出来ないなら、先に行く」


 偽善の言葉を切り捨て、手短に条件を伝える。憎々しげに見つめてくるアイリスの返事を一拍待って、踵を返す。返答は無い。どうやら身を切って助けるほどの気概は無いらしい。ーーなら最初から中途半端な偽善を振りまくな、面倒臭い。


「……これで、どうですか」


 再び歩き出そうとする俺に、アイリスが手を差し出す。無造作に突き出したその手には、細かな細工が施された金無垢の髪留めがあった。


 ーーこいつは、真の馬鹿だ。


「充分過ぎるな。いいだろう」


 即座にそれを受け取り、ローブの女に掌を翳す。アイリスは俺の無詠唱を知っている。余り他人に知られたくは無いし、彼女には口止めしてあるが、幸いローブの女は意識が無い。

 祈りブレスを唱えず、治癒魔法を行使する。


「ぅう、ん。……わ、私は一体っーー」


 淡い光の粒子がローブの女に降り注ぎ、治癒の奇蹟が発動する。直後、ローブの女は目を覚まし、何度か瞬きを繰り返しながら呆然と呟いた。


「俺が助けた。金はあるか? 礼が出来るなら今すぐしろ。手持ちが無いなら貸しにしてやる」


 間髪入れずに言っておく。大事な事だ。アイリスの代価と謝礼は別だ。貰えるなら貰っておいた方が良い。身なりから、期待はしていないが。


「え、あ……、すみません。今は手持ちが……」


 女が俯き、口を濁す。ーーだろうな。金を持ってる奴がこんな所で行き倒れる訳がない。


「要りませんよ、お礼は。それより、お身体は大丈夫ですか? 私達はこれから町に向かう所です。宜しければ、一緒に行きませんか?」


 申し訳なさそうに視線を彷徨わせるローブの女に、アイリスが告げる。

 勝手に決めるな。お前は勇者にでもなったつもりか? ーーあ、なったつもりだわ、俺の嘘のせいで。


「い、良いのですか? すみません。町まで行けば、コレ・・を売って幾らか作れると思います。それで、お礼を……」


 女が懐を探り、何かを取り出す。黄金より燦然と金色に輝く小さな円盤。ーー形状はコンチョと呼ばれる飾りボタンだが……、金剛石オリハルコンじゃねえか。

 主に武器防具の素材に使用され、僅かでも鋼に混ぜれば強度と魔法伝導率を飛躍的に高める超希少金属。

 グラム単価は黄金の十倍。一般に流通する魔導媒体の最高等級品素材として使われる聖銀ミスリルの更に倍。この世で最も価値のある石の一つ。金貨を一回り大きくした程度のコンチョだが、貨幣に変えれば金貨十枚以上。素材価値だけで百万イクスを超える一品だ。


「おい、それくれ。これと交換で頼む。それで礼はチャラだ」


 金無垢の髪留めを女に見せる。金剛石オリハルコンには遠く及ばないが、これもなかなか高価な品物だろう。差額を謝礼だと考えるなら、十分な代価だ。


「あ、ありがとうございます。助けて頂いた上、こんな物まで……」


 ローブの女が神を見るような目で俺を見つめ、金色のコンチョを差し出してくる。

 ーー価値を分かってないのか? 計算が絶望的に苦手なのだろうか。魔導師は職業柄おつむの回転も重要なんだが、こいつ本当に魔導師か?


「気にするな。世の中、助け合いだ」


 女の気が変わる前に素早く金剛石オリハルコンのコンチョを受け取り、髪留めを手渡す。偽善は言うだけならタダだ。売れる恩は売っておくに限る。


「……それで、貴女のお名前は? どうしてこんな所に?」


 ローブの女に嘯く俺を、まるで悪魔を見るような冷たい目で睨んでいたアイリスが、穏やかな笑みを浮かべて彼女に語りかける。


「セリアと申します。実は、シモン枢機卿猊下から、勇者様と共に要塞都市を救うように命じられて一緒に旅をしていたのですが……、魔族に襲われ、勇者様とはぐれてしまったのです」


「……勇者、ですか?」


 ローブの女の言葉を反芻したアイリスが、その表情に戸惑いを浮かべ、俺に視線を送ってくる。


「…………」


 不味いな。非常に不味い。


 ローブの女、セリアの言葉が脳天を突き抜けた。急激に脳細胞が活性化し、様々な憶測が頭を駆け巡る。


 ーー嫌な、予感がする。


「セリア。その勇者様とやらは……、異世界人か?」


 俺はもしかすると、とんでもない厄介ごとに巻き込まれているのかも知れない……。


 面倒だ。俺のこういう予感は、残念な事に良く当たる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る